同じ景色を見ていたから






 数日後、再び彼らが花屋に姿を見せた。やはり花を買っていくようで、猿飛といわれた青年が花を物色している間、眼帯の男は店内――特に、元就をじっと見つめていた。
 慶次の眼には、じっと元就の鉢を見つめる彼と、その頬にぺちぺちと手を打ち付けている元就の姿が映っている。

「迷うことがあるのか、うつけめ!早う、決めるがいい」

 なにやら元就は彼にそんなことを進言している。聞こえていないのが幸いといえば幸いだろうか。

 ――元就ってば…気に入ったのは解るけどさ。

 ふふ、と思わず笑いが漏れてしまう。するとガーベラを手にしていた猿飛が小首を傾げた。それを笑って誤魔化して、慶次は手にガーベラを受け取る。すると猿飛は視線をレジ上にある鉢に、ちらちらと向けていた。彼の視線の先の鉢――それは幸村の鉢に他ならない。そして幸村はというと、先程からずっと慶次の肩に乗っている。
 猿飛は鉢を見上げながら聞いてきた。

「あの、聞いても良いですか?」
「はい?何でしょ」
「あの鉢、幾ら位なんです?」

 指差された先には幸村の鉢がある。それを観て、幸村が慶次の肩から身を乗り出した。

「あれ、お求めに成られますか?」
「値段次第かなぁ、とか。他でも見てきたんですけど、結構高いんですよね。でもあのくらいの大きさなら俺の部屋に調度良いかなって」

 ははは、と猿飛は照れ隠しのように早口になりながら言った。すると幸村が眼を輝かせて、慶次の頬に手を打ち付ける。

「前田殿、前田殿、お願いでござるッ。某、あの者に貰われたいでござるっ」

 ――解ってるよ。

 小さく呟くと、幸村は再び慶次の肩にしがみ付いた。そして身を乗り出して彼の動向を窺っている。

「そんなに高くないですよ。あの鉢、ほぼ俺の私物ですし」
「え…そうなんですか?俺、あれが良いんですけど…」

 ――譲ってくれないですか?

 猿飛が顔の前で手を合わせる。それを観て幸村が、ひょい、と彼のほうへと飛び乗った。手に着地するつもりだったのだろうが、さっと彼が片手を離してしまったので、足場が巧くない。幸村は彼の手にぶら下がって、足をじたばたさせている。

「うぉぉぉぉぉ、落ちるでござるぅぅぅぅッ」

 ――何がしたいの、幸村?

 慶次はそんな幸村を観ながら呆れる限りだ。そして手にリボンを持つと、ガーベラを纏め上げ、ブーケにしていく。

「勿論譲りますよ。ただね、あの子、大食漢で」
「へ?」

 ――あの子?

 猿飛が突っ込んでくるので、もう家族みたいなもので、と誤魔化した。実際に花の精が見えているとは言いがたい。

「よく食べるんです。液肥でも固形肥料でも、花咲いてても咲かなくても、がつがつ食べますよ。食い意地張ってるんでさ」

 くつくつ、と咽喉を鳴らして笑うと、やっと彼の肩によじ登った幸村が真っ赤になって、酷いでござる、と叫んでいた。恥ずかしい、とも騒ぐ彼を見ながら、どう出るかと猿飛の動向をうかがった。

「良いです、それでも。ちゃんと手入れして、育ててみせますよ」
「いい人だなぁ、あんた」

 思わず慶次が呟く。すると猿飛はにこりと笑って見せた。

「なんかね、あの花、部屋にあったら元気をくれそうな気がして…すごく惹かれるんですよ。理由なんてつけられないけど…」
「そ、某も!」

 ほわ、と頬を緩めて微笑む彼の視線が穏やかだった。それにあわせて彼の肩の上で飛び跳ねる幸村が、やたらと可愛らしく見えて仕方なかった。
 慶次は「それじゃあ、帰りにでももう一度寄ってください」と告げた。すると彼らはガーベラの花束を手に、病院のほうへと向かっていった。










 病院の方へと向かっていった彼らの背を見送り、慶次は棚から液肥と固形肥料、それから水を受ける受け皿、そしてメモ帳とペンを取り出した。そしてレジ台に腰を掛けると、長い足を片方組んで台にし、メモ帳にさらさらとペンを滑らせていく。

「前田殿ぉ、何をしているのでござるか?」
「うん?幸村の育て方、書いてんの」
「某の?」

 三頭身の幸村はレジ台から、何度も飛び跳ねてから慶次の腿に手を引っ掛け、足をよじよじと動かして乗り上げてくる。その様をみていると、まだ子犬がぎこちなく段差を上るときのようだった。慶次は幸村の首根っこを掴むと、ひょい、と自分の掌に乗せて頬を摺り寄せた。

「ぎゃああああ、何をするでござるかぁぁぁッ」
「いやぁ、幸村、お別れだな〜って思って」
「そ、それはそうですが…うぎゃああああ、腹、腹を撫でないでくだされぇぇぇぇッ」

 掌の上でころころと転がる幸村を撫で捲くっていると、幸村が必死に抵抗する。元々でている腹部を指先で転がしてなでていると、幸村はげらげらと笑い出して身を捩っている。

 ――この騒がしいのも、今日限りかぁ。

 いつもは貰い手が決まればいいと思ってきたのだが、長く一緒に居すぎて、彼らの存在が大きくなっていた。今日で幸村が居なくなるかと思うと、何だか心寂しい気がした。
 名残惜しくなりながらも準備をしておかないといけない。慶次はころんとレジ台の上に幸村を転がし再びメモを書き込んでいく。
 幸村は両手を台について背を上下に動かしていた。ぜえぜえ、と笑い続けたせいで呼吸が荒くなっている。
 その横にすかさず、ペットボトルの蓋に水を入れて置くと、迷わずに幸村はそれに口をつけて、こくこく、と飲んでから、今度はレジ台の横にある元就の鉢のほうへと歩いていった。

「元就殿、某、今日貰われていくことに相成り申した」
「そうか…息災でな」
「はっ、ありがたく」

 元就が自分の鉢の上に座ったままで言うと、幸村はぺこりと頭を下げていく。合わせて反対側の鉢の方へと幸村は、ととと、と走りこんで行く。其処には鉢に背中を預けて座っている政宗が居た。幸村は彼の前で覗き込むようにして声をかける。

「政宗殿?」
「ああ、幸村か。貰われていくんだろ?元気でやれよ」
「はい。政宗殿も」

 座ったままで政宗は元気なく、彼に声をかけていく。その様子に幸村も気遣って静かに答えた。だが政宗は、諦めたように、投げ遣りとも取れるように苦笑する。

「俺はたぶんずっと慶次と此処にいると思うぜ?」
「そんなことないでござるよッ」
「幸村…」

 拳を握って幸村が反論する。それに政宗も驚いたのか、左目がぱちりと動いた。

「某、政宗殿の冬の花、観るのが好きでござった」
「俺もさ、夏はお前の花観るの好きだったぜ?」

 にこり、と二匹は笑いあって、そして幸村の手に引かれて政宗が立ち上がる。

「はぁ…何、青いことやってんの、あんたら」

 レジ台に座ったままで慶次がそんな事を口にする。すると目下のところ、幸村と政宗は何故か握り合った手を叩き落としたりと忙しなく動いている。

「ほらほら、幸村、鉢に戻りな。そろそろ来るんじゃない?」
「おお、そうでござった」

 慶次が棚から幸村の鉢を下ろすと、葉っぱを拭いて行く。葉は艶めいた濃い緑をしており、その先に大きくなりつつある蕾がいくつもついていた。

「前田殿、葉を綺麗にしてくだされ」
「はいはい。なんか嫁に出す気持ち…ってこんな感じ?」
「よ、嫁…――ッッ?」

 びく、と幸村が肩を怒らせる。葉を磨いて、少しでも綺麗にして、彼に渡して、可愛がってもらえばいい。そんな風に思いながら慶次は幸村を袋の中に収めていった。

「すみませーん、あの…」
「あ、はいはい、猿飛さん。用意出来てますよ」

 見舞いが済んだのか、入り口にひょいと顔を見せた猿飛に気付いて、慶次が元気よく応える。すると彼は中に入り込むと、袋の中を覗きこんで嬉しそうに笑った。

「袋の中に、肥料と、あと育て方、入れておきました」
「ありがとうございます。大事にしますね」

 二人が遣り取りをしている間に、幸村は袋によじ登っていく。それを観ながら他の花たちが手を振っていた。
 猿飛が幸村の入った袋を大事そうに抱える。その背後から、ひょい、と銀髪の青年が顔を覗かせた。

「あ、佐助、お前結局それ買うのか」
「主任にはあげませんよ」
「いらねぇよ、俺は」

 彼は鼻で笑い飛ばす。すると佐助はムッとしたのか、彼を冷ややかに見上げた。

「元親主任も何か買えばいいじゃないですか」
「何そのとって付けた感ッ!やだねぇ…」
「人のものを物欲しそうにしているからでしょ」

 手をぱたぱたと動かしながら佐助の皮肉を回避し、そのまま彼の頭の上に手をぽんとおく。そして元親は、佐助のオレンジにも見える明るい髪を、ぐわしゃ、と撫で回した。佐助は、ぎゃあ、と飛びのく。その反応に元親は満足したのか、シシシ、と歯を見せて子どものように笑った。

「あっははは、ざまぁみろッ。まぁ…俺はさ、これ…――ずっと狙ってんだけど」
「え…――?」
 元親がレジの横にある元就の鉢を指差す。そして身を屈めて鉢を見つめる。
「――――…ッ」

 びくん、と元就が揺れ、ぴょこん、と背筋を伸ばした。慶次の目では元就と元親はまるで見詰め合っているかのようだった。

「可愛くねぇ?これ。小さな緑の葉っぱに、新しい黄緑の葉っぱがキラキラしててさ。俺の部屋に合うと思うんだよなぁ」

 ――そう言っている、あんた達の目のほうがキラキラしているよ。

 くふくふ、と慶次は彼らを見ながら含み笑いをした。だが彼らは気付いてはいない。会話をそのまま続けて行く。

「――そういえば主任の部屋って、白だらけ…合いますね」
「だろう?」

 佐助が幸村の入った袋を抱えながら、顎先に手を置いて唸る。意見の一致をみたのか、元親が嬉しそうに佐助を――しゃがんだまま――振り仰いだ。二人でにこにこしていると、ふい、と佐助が溜息をついた。

「っていうか、良い年した男が花だの何だの言っているって、どうよ…?」
「お花ちゃん抱えたお前に言われたくねぇよ。ま、職業柄仕方ねぇよ」

 ――職業病なんだよ。

 ハハハ、と軽く笑う元親は、レジ台に両手を乗せてしがみ付いては、鉢と見詰め合っていく。すると元就が彼の鼻先に正座をして「早う、決めろ」とまるで呪詛のように繰り返している。

「あの〜、皆さん、どんなお仕事を?」

 確かに佐助の言葉はそうだ――慶次は好奇心を擽られて、彼らの間に割って入った。すると佐助が、にこ、と笑いながら説明してくれた。

「ああ、インテリア関係なんですよ。色々部署があるんですけどね」
「俺は主に企画なんだけど、去年までデザインとか現場とかも。で、こいつがデザイン、そんであっちの顰めッ面しているのが部長」
「へぇ〜」

 彼らは顎先で入り口に寄りかかっている男を指し示す。彼は慶次が視線を投げると、ぺこ、と会釈してみせた。佐助が病院に見舞いに来ている理由を話してくれた。

「営業のトップが今回ぶっ倒れてさ、展示会とか大量にあるから、毎日根詰めな状態なのに、結局、任せていた分仕事内容を聞きに来なきゃならなくて」

 ――それでほぼ日参状態なんですよ。

 なるほど、と慶次は納得した。そんなに間をおかずに来る客は珍しい。だがそういう経緯があるのなら納得できる。
 しかも彼らの同僚は胃をやられたらしく、食べ物を見舞いには持って来られない。そうすると本か、花か、仕事か、となってしまう。選択肢が限られているという訳だ。

 ――仕事しに病院までくるなんて、大儀なもんだねぇ。

 慶次が納得していると、遅れまして、と彼らが名刺を渡してくれた。慣れない手つきで名刺を受け取ると、改めて慶次は元親に問うた。

「それで、どうします?これ…ご購入されます?」
「んー…明日にします。今日、俺電車で来てて。満員電車でこれの葉っぱ落とすのは避けたいんで。明日車で来ますよ」

 元親はそう言うと立ち上がった。そして「予約にしておいてください」と慶次に頼んできた。
 だが彼の言で元就が、ふるふる、と身を打ち震わせている。

「な、なんと…我の葉を気遣ってくれるとは」

 ――いい人そうじゃない、元就。

 感動したのだろう。珍しく頬を紅潮させて元就が打ち震え、彼を見上げている。だが立ち上がった元就は、高らかに叫んだ。

「褒めて遣わそう。うむ、長曾我部とやら、我をそなたの家に連れて行くがいいッ」

 ――でも尊大なのは変わらないか。

 慶次は苦笑しか浮かばない。元就は機嫌よく、自分の小さな枝の先に飛び乗って、精一杯に手を伸ばす。それが日光浴している時の姿を似ていて、笑い出したくなった。

「長曾我部」

 不意に彼の肩を入り口に居た男――片倉小十郎が掴む。その手に元親が、なんです、と振り返った。小十郎の手には携帯をパタンと閉じたところだった。

「今日買っていけば良いだろう?俺が送ってやる」
「マジで?」
「猿飛、お前もな。直帰連絡、入れておいたから」
「おおおおおおッ!やるねぇ、片倉の旦那ぁ!」

 二人にそう言うと、佐助も元親も嬉しそうに、ありがとうございます、と繰り返していた。そのうち、あざーす、と佐助が言い募ると小十郎は彼の頭を、ぐしゃぐしゃ、と掻き混ぜた。先程、元親がやったときには嫌がったのに、彼にはそうでもない。慶次はその違いに含み笑いをしつつも、善は急げとばかりに、元就の支度を始めた。
 育て方についても事細かに書いて渡す。すると元親は「いい花屋だな、あんた」と肩を叩いてきた。

「ありがとうございました〜。また、何かあれば言ってくださいね」

 背を向けながら手を振る彼らを見送り――元親と佐助の持った袋から、元就と幸村も顔を覗かせて、小さな手を慶次に向けて振っていた。
 ふう、と慶次は溜息をついた。
 こんなに立て続けに彼らが居なくなるとは思っていなかった。嵐のようだと思いながら、元気でな、と胸内で告げる。

「慶次…――」

 くい、とエプロンの結び目が引かれる。それに気付いて慶次が振り返ると、レジ台の上に立って政宗がエプロンを引っ張っていた。だが彼は俯いてしまっており、旋毛しか見えない。

「どうしたの、政宗」
「俺、おれ…――なんか、悪いこと、したかなぁ?」
「政宗?」

 様子がおかしい政宗を、ひょいと首根っこを掴んで掌に載せる。いつもならそんな扱いをしたら、手に武器を持って突きに来るほどなのに、慶次の手に抵抗もしない。

「何で、あいつ、俺観て怖い顔するんだろぅ?」
「大丈夫だよ、政宗」

 俯く政宗の身体が、ふるふる、と震えてきた。慶次が慰めの言葉を告げても、次の瞬間には、ぽろん、ぽろん、と大きな滴が彼の片方だけの眼からこぼれてきた。

「ううぅ…――ッ」
「泣かない、泣かない。政宗は綺麗だよ、ちゃんと咲ける綺麗な花だよ」
「でも」

 顔を上げた政宗の頬が、涙で濡れていた。それを指先で拭うと、ぷっくりした頬までもが動く。慶次はレジ台に座ると政宗を撫でながら、穏やかに話した。

「政宗はあの人が気になるんだねぇ」
「――…ッ」
「だから、そんなに悲しくなるんだ?」

 まだ、ぽろんぽろん、と涙を零しながら、政宗が思い出すように話してくる。

「だって、あいつの手、暖かかったんだ。初めて来たとき、少しだけ触れてくれたんだ」
「そっか……」

 些細なことでも、彼には嬉しいことだったに違いない。ぐすぐす、と泣き続ける政宗を慶次は胸ポケットに押し込んで、恋なのかねぇ、と陽が暮れはじめた空を見上げて呟いていった。







 その時はまだ、閉店間際に彼が飛び込んで来るなんて、予想もしていなかった。






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