同じ景色を見ていたから





 助手席に座って膝に鉢植えを抱えたまま、佐助は運転している小十郎に話しかけた。

「片倉さん、結局何も買わなかったんですね」
「可笑しいか?」
「だって、盆栽とか好きでしょ?」

 そうなんだ、と後部座席から身を乗り出して元親が聞く。車内では彼らに見えないところで、幸村と元就はふらふらと車の中で話し合っていた。
 幸村は佐助の肩に捕まって後部座席の方へと話しかける。だが後部座席では、元親の肩に乗りながら元就が眠そうに瞳を瞬いていた。

「元就殿、元就殿、眠いのでござるか?」
「もう夜だ…日輪は出て居まい。眠くて当たり前であろう」

 確かに彼は日光が大好きな植物だ。それは幸村も変わらないが――幸村は佐助の肩に小さな手を引っ掛けて後ろを見る。元就は、ふああ、と欠伸をしてから、ひとまず鉢に戻っていく。

「この者、政宗殿を気にしていた者で御座ろう?」
「ああ、そうだったな。毎回、凝視しておった。迷わず手元に置けばいいものを」
「どうして…――連れてきてくれなかったのでござろうか」

 幸村が、ぷく、と頬に空気を入れて膨れる。だがそれを、ちら、とだけ観て、元就は鉢の方へと、ひょい、と身を躍らせた。

「我が知るか。幸村、我は眠る。息災でな」
「――はい、おやすみなさい。また、いずれ…花期にでも」

 ひらひら、と彼は手を振ると自分の鉢の根元に腰をかけていく。幸村も慌てて挨拶をすると、向きを佐助のほうへとかえて、肩の上に立ち上がった。
 する、と赤になった信号に車が止まる。対向車のライトが明るい。

「――欲しい鉢はあるんだが」

 小十郎の呟きに、幸村が反応した。瞳をきらきらとさせて、佐助の腕を滑り台にして、すすす、と降りていく。そして自分の鉢に戻りながら、二人を見上げていった。

「うまく育てられるか、少し気がかりでなぁ…」

 ――花の咲く植物は、どうも苦手でな。

「片倉さんにも苦手なものあるんで?」

 後部座席の元親が、へぇ、と驚いたように問う。そして小十郎を焚きつける。

「でも気になっている時って、買い時なんじゃないですかね?」

 元親の言葉に、うんうん、と頷きながら佐助が続ける。

「俺様、何かを買う時って直感で決めるけど。だってさ、植物だって、目があうっていうか…こう、これ!って思うときじゃないと駄目じゃないですか?迷っている時って、相性悪かったり」
「――そうだな」

 信号が青になると、再び車を静かに走らせる。この方向から行くと元親の家の方が近い。先に元親からな、と後部に小十郎が呼びかけると、はーい、と気の抜けた声が返ってくる。
 その合間をぬって佐助が横を窺いながら聞く。

「で、どうなんです?」
「欲しいな、あれは」

 ふわ、と小十郎の口元に笑みが浮かぶ。それを観て佐助は突き動かされそうになりながら、身を乗り出しかけてシートベルトに阻まれる。佐助の動きに――ぐん、と揺れたのにあわせて、鉢の上の幸村が「ぬおおおお」と鉢から転げ落ち、袋の底に落ちて行く。

「だったら…――ッ」
「まあ、少し考えるよ。それより週末だからって、仕事を後回しにするなよ。猿飛、図面は?」

 微笑んでいた顔が、ぴしりと仕事の顔になる。佐助も溜息を付きながら、仕事の話へと加わる。

「はいはいっと、出来てますよ。月曜には施工主に渡せます」

 よし、と小十郎が頷く。そしてすかさず後部の元親にふる。

「長曾我部、あの展示会の進行度は?」
「上場。あとは家具配置するだけだ」

 元親が気の抜けた調子で答える。そして傍に置いてあった元就の袋を手にすると、車がするりと止まり、どうも、と元親はにこやかに言うと降りていった。
 一人暮らしには広すぎる一軒家の前で、元親は手を振る。それを見送りながら佐助が溜息を付く。

 ――あの広さに、白で統一する部屋って…どんだけ金かけてんだよ。

 呟く声に隣で小十郎が肩を震わせて嗤う。再び動き出した車内で、ふと佐助は袋の中の幸村を見下ろす。鉢の中でひょいと顔をあげた幸村は、思わず視線が合って、ぴぎゃ、と声を上げたが彼には見えていない。
 佐助は一番上にある、小さな、小さな、まだ緑の丸い蕾を指先で撫でた。

「片倉さん…あんた、花でも愛でて一息つけば?」
「うん?」
「仕事人間になってたら、疲れちまうよ?」

 そうだな、と小十郎が溜息を付きながら言う。それを横目で見ながら、他愛ない話をしていくと、あっという間に佐助の家の前についてしまった。
 車を見送りながら、マンションの前で佐助は袋を抱え込んだ。手にぶら提げて持てばいいのだが、なんだか鉢植えが愛しく感じられて抱えてしまう。
 佐助は独り言を繰り返す――だがそれに幸村が応えていくが、惜しむらくは彼にそれが聞こえていないということだ。

「あの人、いい人なんだけどねぇ…たまに心配になっちまうよ」
「政宗殿、迎えに行ってくれるので御座ろうか」
「ああいう人こそ、癒しが必要だよねぇ?」
「政宗殿なら…すごく綺麗に咲き申す。癒されるでござるよ」

 袋の中から、顔をちょこんと出して幸村が佐助に言い募る。だが佐助には聞こえていないし、幸村の姿も見えてはいない。
 佐助は、はあ、と溜息をつくと、カードキーで入り口を開けると、すたすたとエレベーターへと歩んで行く。

「さぁて、速く中に入ってこの子に水でもやろうかな」

 ――独り言、増えたな。

 苦笑しながら佐助がエレベーターを待つ。その間に、幸村は「腹が空きもうした」と鉢から叫んでいった。










 佐助のマンションを後にして、小十郎は窓を少し開けると、煙草を探った。彼らが居るときには控えていたが、たまに吸いたくなる。
 かたん、と助手席の下から灰皿を取り出し、口に煙草を咥える。そして火をつけてから、ふと封筒が残っているのに気付いた。

「ああ、しまった。これ…竹中に渡しておかないと」

 手にとってみて、今日渡してきた仕事に必要なものだと気付く。もし無かったら、すごい剣幕で――吐血する勢いで――責められるに違いない。
 それを思うと届けないわけには行かないだろう。
 小十郎は再び病院へと引き返していった。
 一方、病院前の花屋では、彼らを見送った後に客が立て続けて来ており、ばたばたと慶次は動き回っていた。そうしている内に、政宗もいつもの調子に戻り、まだ花の精の形の定まらないサボテンたちと徒党を組むようにして走り回ったりしていた。
 客が居ないときには、煩いっ、と慶次が叫ぶ。だがそれも気にせずに、きゃっきゃっ、と騒ぎまわり、かすがや濃姫から冷ややかな目で見られていた。
 だがそれも、向かいの病院から白衣を翻して一人の医者が来るまでだった。

「松永さん、今日はなんですかぁ?」
「いや、卿は今日もよく働いているなと思ってね」
「働いちゃいけませんか」

 レジ台に隣接している作業台で、慶次がむっとしながら花束を作る。それを作業台に寄りかかりつつ、松永久秀は淡々と語った。

「いや、物珍しいからだ。気にするな」
「気にしますよ、その言い方…――てか、あんたまたサボってんでしょう?」
「これは異なことを。私の休憩時間だよ、出てくるときに浅井君が駆け込んできたが…」
「薬剤師のあんたに用があったんでしょ?それを袖にしてきたんですか」
「大丈夫だよ、三好達に任せてきている」

 くっくっく、と松永は咽喉を鳴らしながら嗤う。暇さえあれば彼は此処に来る。だがあまり禅問答なことは慶次には向かない。
 ふ、と虚空に溜息を付くと、彼はレジ台の横に目を向けた。

「おや…――これは珍しい」
「それ駄目ですよ、俺のですから」

 さっと慶次が釘を刺す。彼が目をつけたのは政宗の鉢だ。

「いやいや、これは『かぎろい』であろう?原種に近いという、希少種」
「よく知ってますね」

 感心しながらも厭な気がしてしまう。松永は珍しいものが大好きだ。だが彼に鉢植えをうまく育てられる気がしない。以前、サボテンさえも枯らしていた彼だ。だが案の定、松永は政宗の鉢に手を伸ばす。それを政宗が青くなって飛び上がっていた。

「ふぅむ…――卿はこれを譲る気は」
「ないですよ。ないからっ。それは俺の」

 慶次が歯をむき出しにして、駄目、と念を押す。すると、惜しいなぁ、と彼はまた咽喉を鳴らして笑う。さっさと退店してもらおうと、所望されていた白バラの花束を仕上げると、追い出すかのように背中を押した。
 松永はバラを抱えて病院に戻っていく――因みにあのバラは自身の部屋に飾られるという。やれやれ、と慶次が中に入ってくると、まだ青くなって政宗がガタガタ震えていた。

「危ないねぇ、まったく。あの人、珍しいもの大好きだからさぁ」
「俺、あのオヤジに貰われるのは厭だぜ」
「だから断ったの」

 鬼の形相で、ぎりぎり、と歯をむき出しにしている。

 ――相性悪いと思うんだよな。

 今にも火花を散らしそうなほどに、政宗が怒っている。そして怒らせていた肩を落として、ふと政宗が呟いた。

「でも、あいつなら…――」
「政宗?」

 慶次が顔を寄せると、政宗は首を振ってから作業台の上で胸を張った。腰に手を当てて、にや、と歯を見せて笑う。

「いや、いい。慶次、今年の俺の花、何個くらい見たい?」
「うーん、去年は五個だったからねぇ、あと二、三個多く観たいな」
「じゃあ、肥料一杯くれよ?」
「解ってるよ」

 散らばった葉や棘を片付けながら、慶次が時計を見上げた。

「さってと、閉店準備始めるか」

 すでに閉店時間は過ぎている――松永に付き合っていたら時間が予想よりも過ぎていた。明日は市場のある日だ。それを思い出し、うーん、と背伸びをすると慶次は片付けに入っていった。












 レジの清算をしていると、閉じていた筈の入り口のドアが、ちりりん、と音を立てて開いた。いつも開けっ放しにしているので、鐘がついていることさえも忘れてしまうが、久々に聞いたその音に慶次は顔を上げた。

「いらっしゃいま…――あ、あれ?片倉さん?」
「すまない、閉店時間過ぎてるが、まだいいか?」
「え、ええ。いいですよ、何をお求めで?」

 清算の途中だったのをやめて、彼の元にレジから出て行く。小十郎は少し前に見送った時とは違って、上着を脱いだまま――しかも病院から駆け込んできたようで、息が切れてしまっている。
 まだ呼吸が乱れているが、彼は深く息を吸い込むと、辺りを見回してから、レジ横の鉢植えを指差した。

「それ…――その、鉢を」
「誰かに贈り物ですか?」

 慶次はレジ台に腰掛け、彼を試すように問いかけた。小十郎はシャツのボタンをひとつ外しながら、ふう、と溜息を付いた。

「いや、自宅用だ。それを貰えるか」
「これ、苗の時に病気して、形が歪んでるんで売り物にはならないんですよ」
「――……」

 慶次が鉢植えに手を伸ばして、自分の膝の上に乗せる。それをレジ台に乗った政宗が、じっと見上げていた。
 ちらりと見ると、政宗は切なそうに眉根を寄せている。鉢の緑は濃く、艶やかな葉をしているが、付け根の幹が曲がって真っ直ぐに伸びることが出来ていない。
 そして片側だけ、葉も、枝も、つけることが出来ずにいる。
 両手で慶次は鉢を抱え込むと、じっと小十郎を見つめた。

「それでも、大事にしてくれますか」

 こく、と落ち着いた呼吸の合間で小十郎が咽喉を鳴らす。そして穏やかにその鉢を見つめながら、彼は言った。

「何度観ても、やっぱり欲しいと思った。やっぱり、これが俺は欲しい。だから…」

 ――ばんっ。

 小十郎の言葉に、景気良く慶次がレジ台を叩いた。

「気に入ったっ!あんたにこれ、あげるよ」

 ――ホントにどうなることかと思ったよ。

 そう続けて言うと、小十郎は首をかしげた。だがほっとしたのか、かくん、と肩の力を抜いて小十郎が、ほっと溜息をついた。そして乱れつつあった前髪を指先で掬い上げて撫で付ける。
 同時に、へなへな、と政宗も台の上に膝をついていく。彼もほっとしたのだろう。

「はぁ…良かった、今決めて」
「何かあったんですか?」

 慶次は幸村や元就を入れたのと同じ、大きな袋を作業台の下から取り出す。

「いや、その…松永という医者?にこの鉢の話をされて…欲しいものは手に入れないと後で後悔することになると」
「ああ、なるほどね」

 ――たまには役に立つじゃない。

 ははは、と声を出して笑いながら、慶次は彼に渡すものを揃えて行く。そして「ちょっと時間かかるんで、外のベンチに座っててください」と小十郎に言うと、彼は外においてあるベンチへと歩いていった。

「俺…おれ、嫌われてると思ってた」

 膝をついたままの政宗が呟く。

「違ったんだ?嫌われてたんじゃなかったんだ」

 嬉しそうに頬を、桜色に染めて政宗は慶次を振り仰いだ。

「政宗のこと、しっかり何度も見てたみたいだよ?可愛がってくれるよ、あの人」
「どうしよう、おれ…――嬉しい」

 ――ぽろ。

 うるうると政宗の瞳が熟れていく。それを指先で拭って、慶次は袋に鉢を詰めるのを、ゆっくりと行った。彼ともお別れだと思うと、少しでも時間を稼ぎたい。

「ほら、可愛い顔が台無しだ。泣くな」
「うん」

 手を差し出すとその上に政宗が載る。そして「可愛がってもらえよ」と政宗を撫でて行った。
 まだ苗だった時、病気で駄目になりかけていた苗だった時――処分されそうになったのを、どうしても捨てられなかった。花の精の形を保つことも出来ないくらいに弱っていた苗を、手塩にかけて育ててきたのだ。

「俺が、丹精込めて此処まで育てたんだ、政宗…お前は綺麗な花だよ」
「慶次ぃ、俺…――今年はいっぱい、いっぱい、花つけるから」

 ――見せられないかもしれないけど。

 小さな手を慶次の頬に当てて、政宗がしがみ付く。そして別れを惜しんだ後、慶次は袋に彼を入れて外に出た。

「お待たせしました」

 慶次の手から、小十郎の手に鉢が渡される。それにあわせて政宗が鉢の端っこに座って、彼を見上げる。袋の中で、政宗が満開の花のように、ほんわりと笑っていた。







 opening act end… to be continued.





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