スキ、キライ、スキ



 新入社員と聞いて喜んだのは佐助だった。それもその筈で現場で動ける若い者が少ないこの会社では、佐助が引っ切り無しに動き回っていた。営業や総務には新人が多く投入されても、なかなか入ってこない――それもその筈で、センスが問われると言われれば仕方がないからだ。

「は〜、でもやっと俺様、下っ端じゃなくなるんだ」
「安心するのは早いぞ、猿飛」
「そうそう、最近の若い者ってすぐやめるじゃねぇか」

 エレベーターに乗りながら佐助がうっとり――いや、ほっとしつつ言うと、横目で佐助を見ながら小十郎が水を差す。それに便乗して背後から元親があっさりと告げた。

「酷いなぁ…あんたら上司がしっかりしてくれないから、俺たち下っ端がさ…」
「おい」

 ぶつぶつと佐助が愚痴をこぼし始めると、眦を釣り上げて小十郎が睨みつけた。慣れているとはいえ、さすがに彼に睨まれると閉口してしまう。

「あまり自分を卑下するな。お前は下っ端なんかじゃねぇだろ」
「――…片倉さん」
「うちの部に使えない奴なんざいねぇ」

 ぴしゃりと言われて佐助は背筋を伸ばしてしまった。その背後から、ひゅう、と元親が口笛を吹いて寄越す。それと同時に、チン、とエレベーターが到着を告げる。ドアが開くと、一番奥から元親が先に降りる。小十郎の横をすり抜ける際に、元親は軽やかに言っていった。

「あんたの部下で良かったわ」
「そうか」

 ひらりと手を振る背中が、まっすぐに窓の近くの主任席へと向かう。二人分くらいあるデスクの上には元就用の模型が――少しずつ模様替えをしつつ、置かれている。

「ほら、猿飛。お前もさっさと降りろ」
「は〜い」

 促されて佐助は軽やかにドアからフロアに出た。そして後ろから歩いてくる小十郎の横に並ぶ。小十郎は部長のデスクのある壁の方へと向かう。そのすぐ手前に佐助のデスクがあり、更に入口付近にはまだ来ていない新人社員のデスクが置かれている。

「俺も…」
「ん?」
「俺も、あんたが上司で良かったって思ってる」
「エイプリルフール…」

 もう騙されないぞ、とばかりに小十郎が眉間に皺を寄せる。朝から政宗に騙された小十郎は警戒していた。佐助は首を横に振って「嫌だなぁ、そんな訳ないじゃん」と軽い調子で答えた。するとそれはそれで気に障ったのか、小十郎はさらに瞳を眇めてしまった。

「だったら少し言葉に気をつけろ。敬え」
「えええええ?信じてくれないんですか?酷いなぁ、もうっ」

 ぽん、と大きな手が佐助の肩に触れる。苦笑しつつ答えると、小十郎は鼻で笑って「煽ててないで仕事するぞ」と付け加えていく。
 促されるままにフロアに足を踏み入れていく。おはようございます、と大きな声で――でも少しかったるそうに挨拶の言葉を口にした途端、チン、と軽快な音が背後で鳴った。
音の後に、二機あるエレベータのもう片方のドアが勢い良く開いた。

「間に合った―――――ッッッッッ!」
「――…?」

 勢いよく飛び込んできた青年の声に、佐助と小十郎が振り返る。
 其処に居たのは見たことのない顔だ。短い髪に、がっちりとした体形――そしてメッセンジャーバッグを肩にかけた青年は、額に浮かんだ汗を裾で拭うと、はあ、と呼吸を吐き出した。そして目の前に佐助と小十郎に気付くと、思いきり身体を折りたたんで一礼した。

「本日より、勤務することになった、徳川家康と申すっ!」
「……新入社員?」

 ぽつり、と佐助が呟くのを小十郎が頷くことで肯定する。名乗った彼は、二人を見比べてから、人好きのする笑顔を向けてきた。

「以後、宜しくお頼み申すッ!」

 さ、と差し出された手と、笑顔――ここからまた、新たな展開が待っているとは、この時には彼らには予想もできなかった。










 徳川家康はこの春に入社した社員だ。
 彼は挨拶を済ませると、自分のデスクに案内され、そこを居心地のよい空間にすべく、持ってきていたメッセンジャーバッグからいろいろと取り出した。

 ――ことん。

 一番目に入る場所に、小さな観葉植物を置く。幹がごつごつとしているのに、上についている葉は小さく密集している。

「よし、忠勝、ここでいいか?」

 返答が返ってくる訳でもないのに話しかける。すると、がた、と一つ奥のデスクから、ヘッドフォンを落とした佐助が此方を不思議そうに見つめていた。

「――?」

 なんだろうかと首を傾げて見せる。しかし佐助は何事もなかったかのように、ヘッドフォンを首にかけると、PCに向かってしまった。

「儂の直属の上司は…猿飛殿、ということか」

 自分のフロアでの位置を確認しながら、今度はフォトフレームを取り出して飾る。其処には三毛猫の写真があった。

「忠勝、ここで見守っていてくれ」

 大体において名前をつけてしまう癖のあるのが家康だ。そしてそれは全て「忠勝」という名前になっている。忘れられなく、また大事な「友」の名前だ。なので愛着を持って、いろいろなものにその名前を付けている家康だった。

「その猫も…その、ガジュマルも`タダカツ’って言うの?」
「え…あ、ああ…はい」

 上から声を掛けられて見上げると、いつの間にかそこに居たのは佐助だった。何の気配も感じられなかった。家康は少し驚きながらも、佐助に向かって頷く。
 見上げる先の佐助は、明るい茜色の髪をしているし、瞳に至っては碧色だ。鮮やかな色合いに一瞬、視界がくらりとしそうになった。

「まぁ、いいや。あのさ、この日で都合悪い日ある?」
「えっと…ない、な。うん…ないです」
「じゃあ、この日。歓迎会やるから」

 目の前に差し出されたカレンダーを覗き込んでそんな話をする。指定された日を手元の手帳にメモする。そして頷くと「宜しく」と言われた。家康は同じように「よろしくおねがいします」と勢いよく頭を動かし、ごつん、と思い切りデスクに額をぶつけた。

「…ってて」
「――…っ、ふふ…そそっかしいねぇ。気を付けて」
「はい」

 くすくすと笑いながら背を向ける佐助は、そのまま「部長〜」と小十郎に声をかけに行ってしまった。その背中を見送りながら、家康はなんとはなしに心が躍るような気がしてならなかった。





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