同じ景色を見ていたから






 病院の近くにあるせいで客が途絶えることは無い。そのお陰といえばお陰なのだが、比較的その花屋は繁盛していた。
 そして今日も店主の前田慶次は明るい笑顔で鉢植えを外に出していた。ひとつひとつの鉢を外に出したり、メンテナンスをしたり、水をあげたりと忙しない。更には中の切花をチェックしたりもしなくてはならず、朝は忙しないものだった。
 朝の早い仕事柄、欠伸を噛み殺しながらせっせと勤しんでいると、店の中から可愛らしい声がさえずり始める。

「なぁ、慶次―ッ」
「前田殿、前田殿、某腹が空き申したッ!」
「前田とやら、早々に我の身支度を手伝え」

 レジの横から只管きゃんきゃんと騒ぐ声が聞こえる。だが慶次はあえて無視しながら鉢植えを手に外に出て行く。
 慶次は蘭の鉢植えを外に出すと、その前にしゃがみ込んでから華をひと撫でした。

「濃姫様、此処でいい?」
 ――ふわ。

 少しだけ蘭が頷いたように見えた。慶次は花に話しかけていく。だがそれはまるで歌うかのようで気付く者はいない。実際に慶次は鼻歌も歌いながら作業に取り組んでいた。
 一通り鉢植えを外に出すと、慶次は今度は中だとばかりに入っていく。その時、レジ横を通りかかった。

「おいってば!」
「ああもう、忙しいの。順番でしょ、政宗」

 慶次はレジの方を向いて言い放つ。すると他にもきゃんきゃんと騒いでいた声が止んだ。
 もしこの瞬間に【普通の】人が入ってきたら、驚いて出て行くか、慶次を変人扱いするに決まっている。
 慶次は鉢植えに向かって話していた。勿論普通の人にはそう見える。
 だが慶次には、ただの鉢植えには見えていない。だから鉢植えの方へと話しかけているのだ。そして観ている先には確かに人の形をした――といってもかなり小さいが――物体がいる。慶次に怒られて他の小さな物体もまた、びく、と身を縮めていた。

「だってよぅ…水…――」

 怒られた「政宗」はしゅんと俯く。上唇が大きく下唇を挟み込み、まるで幼児だ。指先で慶次は彼の頭を、撫でると「ちょっと待っててよ」とやさしく云った。
 慶次の視界に見えているのは、三頭身の小さな青年だ。右目をくるくると包帯に包んでいる姿が痛々しい。

 ――みんなにも見えればいいのに。

 日ごろから慶次はそんな風に思っていた。
 彼には植物のひとつひとつに小さな精霊がついているのが見えていた。幼い頃からだが、彼らはしっかりと其処に居て、ちょろちょろと動き出している。三頭身の小さな姿はとても愛らしい。三頭身で、大体にして20cmあるかないかの姿だ。そして花期には等身大の人間の姿になり、時には実体を持つものもいた。

 ――なんで俺には見えるのかなぁ。

 疑問を持ったこともあるが、自分に備わった力だと思うことにして遣り過ごしてきた。
 慶次はそんな彼らに勝手に名前をつけていたが、名前を付けるほど愛情が深いとも云える。といっても植物自体が名乗るときもある。
レジの横には隻眼の政宗と、赤い衣を纏った少年――幸村、そして少し清まして正座している元就がいた。

「ほんと…あんたら、貰い手決まればいいのにね」

 ぽつりと呟くと、ふん、と元就が鼻で笑った。

「この病院の前の花屋で鉢植えが売れるなんてことがあるのか?」
「うッ」

 皮肉だが的確な表現だ。慶次はエプロンで手を拭くと、手を差し出した。すると三体はその掌に乗ってしまう。それに合わせて慶次は彼らの鉢に水を注いでいく。

「でも、貰われたいって思わないの?」

 慶次が訊くと、政宗がうつむいた。

「俺は…こんな形になっちまったから。欲しがるやつなんていねぇよ」
「幸村は?」
「某は…これと思った相手にしか…」
「元就は?」
「我を丁重に扱ってくれるものになら、貰われてやらんこともない」

 三者三様に云いたい放題だ。それから彼らの話に耳を傾け、開店準備を整える。慶次はレジ前に三人を降ろすと、さてと、と声をかけた。

「それじゃ、今日も景気良く開店させますかね」


 そしてそれから数週間後、彼らに転機が訪れる。












 その日、慶次は店に泊り込んでいた。それもその筈で、彼の元には月下美人がある。夜に咲くこの花を見ようと泊り込んでいたのだ。

「花言葉は、艶やかな美人、七月十九日の誕生花、だって…将にって感じだよね」

 誕生花の辞典を開いて慶次が話すと、月下美人の傍に居た金色の髪の女性がふわりと慶次の元にきた。瞳もまた月を写し取ったかのように金色に輝いている。
 華期だけあって、その姿は普通の女性と変わらない姿だ。

「で、かすがはいいの?謙信様を呼ばなくて」
「あの方は…今は忙しかろう。時折私を見て、和んでくださるだけでいい」

 ふわりと慶次のいるレジに腰をかけ、かすがは少しだけつまらなそうに話した。

「見える…と思うんだけどな。今日くらいは」
「見えても、幻としか思わぬ」
「でもさ、あんたの露…――」
「ああ、夜露に濡れた私の花から取れるという…人に、私たちの姿を見せる効果があるとか。本当かは解らん」

 慶次が頬杖を付く中、かすがは饒舌なまでに話す。だがその話を聞きつけて、わらわらと政宗たちが出てきた。

「Hey,初耳だぞ、それ」
「本当でござるか?」
「――――…」

 慶次が手を伸ばすと三頭身の小さな花の精たちが、レジに腰掛けているかすがを振り仰いで騒ぐ。

「試してみたいのなら、今日、何滴かは採れよう。あげるぞ」

 これから花開くというのに、かすがは興味も無さ気だ。それとは対照的に三匹は喜んでいる。

 ――俺はもともと見えてたし…でも、はっきり見えるようになった切っ掛けは…

 慶次の脳裏に桜吹雪がよみがえる。桜吹雪の中で、忘れたくない、と咽び泣いて、情を交わした桜の精の最期を看取った。その時、彼女は「大丈夫よ」と優しく云ってくれた。

「しかし…普通は大人になると見えなくなるものが多いのに。前田、お前、花の精と情を交わしたろう?」
「さぁね?」

 慶次が瞼を閉じて、ふう、と溜息を付く。すると、幸村がよじ登って来て「前田殿!」と頬をぺちぺちと叩く。

「どした?」
「かすが殿が咲き申す」

 ふわり、とかすがから甘い香りが立ち込めてくる。ほんのりと彼女の身体も月下美人の名に相応しく光ってきているようだった。慶次は身を乗り出して月下美人を見つめた。

「あ」

 それと同時に、かすがが声を上げる。ガラスの向こうに見知った姿があった――白衣を着た青年が、ぱたぱた、と急ぎ足で目の前の病院からこちらに向かってくる。
 慶次が立ち上がり、入り口を開けると彼は嬉しそうに微笑みながら、いたみいります、と頭を下げてきた。

「謙信、どしたんだよ。こんな夜更けに」
「げっかびじんが さくと」
「うん、今咲こうとしている所だ。その為に駆け込んできたの?」
「ええ よかった まにあいました」

 ほ、と胸を撫で下ろしながら、謙信が微笑む。慶次が中に彼を通すと、かすがの表情がほんのりと色づいていた。そしてきらきらと彼女が光る。

 ――ああ、嬉しいんだね。

 恋焦がれる花が、目の前で愛しい人に出会えて、喜んでいる。それを見るだけで、ほっと胸が温かくなってきた。
 レジのところで三匹が、ちょこん、と座ってやりとりをじっと見ている。

「きれい ですね」
「うん」

 愛しむように謙信は月下美人に魅入る。その背後から、かすがが気付かれないように、そっと彼の肩を抱いた。
 辺りには甘く、切ない――そんな香りが充満していた。










「ほら」

 かすがが人の大きさのままの手で、数滴の滴を三匹に渡す。小さな器に入ったそれを受け取り、三匹が小さな掌で椀の中を覗き込む。

「Hum…?何だ、これ?」
「忘れたのか?私の花の夜露だ」

 政宗がそれを聞きつけて顔をがばっと上げる。幸村は匂いをかいでは、いい匂いでござる、と騒いでいた。元就は手にしてから溜息を付き、それでも頭をしっかりと懐に忍ばせていた。

「いいか、一人一滴ずつだ。効果は解らないからな」
「有難く頂戴いたす」
「サンキュ」
「貰っておこう」

 三人三様に礼を述べていく。それを見下ろしながら、かすがはぱたぱたとウィンドウの傍に駆け寄った。そして中に入ってくる慶次の元にいく。

「かすが、実体にはなれないの?」
「成れるが…」
「だったら今日くらい実体出して。手伝って」

 観れば慶次の車には花が沢山積んであった。今日は市場のあった日だ。かすがは云われると、しぶしぶといったように実体になり、手伝いを始める。その傍らをふいに謙信が横切っていく。

「おはようございます けいじ」
「おお、おはようさん」
「このかたは」
「あー…手伝って貰ってんの。今日だけ」

 慶次の横で夜勤帰りの謙信が、かすがをじっと見つめる。その視線に気付いて、かすがが頭を下げ、かすがと申します、と自己紹介した。

「そなた げっかびじんのかおりが」
「え?」
「わたくしの いちばん すきなはな なのです」

 ふわり、と謙信が嬉しそうに話した。それを観ていたかすがは、不意に中に飛び込んでいくと、ぶち、と一つ自分の花をもぎ取る。そして慶次から袋を貰うと、中にその花を入れた。

「あの…これを」
「げっかびじん?」
「焼酎などに漬けると、花をずっと愛でられます。どうか…どうか貴方様のお部屋にでも」

 すい、とかすがが手渡すと謙信は中を覗き、そして息を吸い込むようにたおやかに香りを嗅ぐ。そしてかすがの手をとり、ほんのりと微笑んだ。

「これは ありがたく」

 かああ、と赤くなるかすがを見つめながら、慶次は良かったと思う反面、開店時間を考えて焦り始めていた。










 外の雨が疎ましくなるほど、梅雨のじめじめした空気に項垂れていた。それでも病院の近く――向かい側にあるこの花屋の回転には差支えなど無い。特に切花が多く出るので、慶次は引っ切り無しに花束を作っていた。
 だがその日はやたらと救急車が多かった。サイレンを聞きながら、難儀なもんだねぇ、と人事のように考えていた。
 そしてそれから三日後、この店にはあまり似つかわしくない――風情の三人組が現れた。外で水撒きをしていた慶次が「いらっしゃいませ」と声を掛けると三人の男性は、ぺこり、と頭を下げて見せた。園芸センターなどではないので、まず男性客がめずらしい。しかも三人とも、仕事中のような姿だった。

「片倉さん、やっぱり切花ですよ。これなんてどう?」
「莫迦野郎、そりゃ仏花だ」

 銀色の髪の青年が手にしたのは確かに仏花だった。季節柄、取り揃えていたもので格安でもある。ぺち、と軽く銀髪の青年が一番年長と見える男性に叩かれる。そのやり取りを観ながら慶次は、ぷぷ、と笑いながら水を撒いていた。
 銀色の髪の青年は、ちぇ〜、と業と口に出して華を元に戻しに良く。その横から、彼らより頭一つは十分に低い青年――たぶん一番若いように見える――が、ショーケースの中のキキョウを指差して言った。

「トルコキキョウなんて良いんじゃないかなぁ。竹中さんのイメージ?」
「猿飛はそういうの詳しそうだな」
「まぁね〜」

 観れば、銀髪の青年は店の中をくるくると歩き回っていた。ラフに着こなしたシャツは薄ピンクだ。そして左目に眼帯をしている。鼻歌を歌いながら、店の中を巡り、あれこれと興味を示しているようだった。

「長曾我部主任、いい加減遊んでないで…」
「いい、猿飛。長曾我部は好きにさせてやれ」
「はぁ……」

 ぴっしりとスーツを着こなしている男性に、ラフなTシャツ姿の青年が諌められる。そちらは猿飛というらしい。
 そこまで窺ってから、慶次は中に入っていった。

「何かお探しですか?」
「ああ、見舞い用の花を」

 これ、と猿飛が声を上げる。それはトルコキキョウだった。慶次はそれに頷きながら、それじゃあ包みますね、と微笑んだ。
 すると猿飛が、くるり、と慶次も含めて回りを見て俯く。

「どうした猿飛」
「いやぁ…皆、でか過ぎって思ってですね。嫌んなるねぇ、全く」

 ――俺様だって小さくないのにさ。

 確かに云われてみると、大男がぎっしりと店の中にいる。その光景だけで不思議としか言いようが無い。
 くすくすと笑いながら慶次は花を包んでいく。その時、あの三匹がレジからひょこりと顔を出した。だが彼らには見えてはいない。三匹は自分の鉢の根元にちょこんと座り、彼らを振り仰いで見ていた。

 ――珍しいなぁ。こいつらが客に興味を示すなんて。

 リボンを手にしながら、慶次はそんなことを考えていた。すると不意に先程から店内を見ていた青年が、慶次の脇にあった鉢植えに眼を向けた。

「鉢植えか…この店、結構鉢植え多いんですね」
「ええ、俺の趣味みたいなもので」
「へぇ…これ、綺麗な葉ですね」

 ――ふわ。

 彼の手が伸び、レジ横の鉢植えの一つの葉に触れた。それと同時に、元就がびっくりして彼の方を振り仰ぐ。

「それ、もう花期終わってしまって。咲くのは来年なんです」
「へぇ…でも、綺麗だ」

 指先で色の浅い、新しい葉を撫でる。その仕種に、根元に座っていた元就が気持ちよさそうに瞼を眇めた。

 ――あ、元就が。

 元就は根元から、ぴょこん、と飛び降りると彼の指先に両手を伸ばした。そしてその手に擦り寄るように身体を寄せる。

 ――気に入ったんだねぇ。

 いつもは高飛者な物言いをする元就だが、どうやら彼に葉を触られるのは嫌ではないらしい。
 慶次がそれを観ながら両手で抱える程の花束を作る。そうしていると、花瓶あるのかな、と猿飛が云う。すかさず「買っていけ」と云う長曾我部の声が響く。

「はい、お待たせ」
「すまないな」
「いえいえ〜」

 チン、とレジを打ち込むと、スーツ姿の男性は領収書を頼み、会計を済ませる。そしてトルコキキョウの花束を持たせられた猿飛は、ふとレジの横の鉢植えを見上げ、ぱちり、と瞼を瞬いた。

「あ、あれって…」
「気に入りましたか?」
「うん…なんか手ごろな大きさですねぇ。結構花咲くんですか?」
「咲きますよ。大輪の、綺麗な深紅の花が」
「深紅か…いいなぁ」

 ふんふん、と頷きながら猿飛が鉢植えを見つめる。鉢植えの影の幸村は鉢に隠れたり、出たりを繰り返している。

「某、まだ蕾でござるよ?」
「咲くと、元気が出そうだよねぇ」
「それはもう!某、真夏の太陽の下にて、赤々と咲いて魅せるでござる」

 まるで会話しているかのように、幸村は彼の言葉に答えていく。

 ――見えているみたい。

 思わず含み笑いをしてしまうところだった。慶次は「またお越しください」と告げると、彼らは頷いて出て行ってしまった。その後ろ姿を見つめて、三匹がそれぞれにぼんやりと鉢の上に座って、足をぷらぷらとさせていた。

「気に入ったの?元就」
「――欲しいと、云ってくれるのなら。やぶさかではない」
「へぇ…気に入ったんだね?」

 元就はレジの横で、ちょこんと鉢に座りなおし、ほ、と息を吐く。その頬が知らずピンク色になっていた。

「で?幸村は?」

 レジの棚の上の彼に声をかけると、幸村もぷらぷらと足を動かして自分の幹に身体を預けて、うっとりと瞳を眇めていた。

「あの者の声、仕種、なんだか胸が滾り申した…」
「はは…やっぱり気に入ったんだ?」
「某の花を見たいのでござろうなぁ…」

 ――今すぐにでも、咲いて魅せたいものでござるぅ。

 幸村は楽しそうにそんな風に話す。だがレジの横に視線を向けて、慶次はふと気付いた。政宗がしゃべっていない。

「政宗、どうした…――?」
「あいつ…俺を見て、眉寄せた」
「――そんな事無いよ」
「やっぱり、俺なんて欲しがるやついねぇよ」

 ふい、と政宗は唇を尖らせて、自分の鉢の影に隠れてしまう。慶次は指を伸ばして、政宗の頭を撫でる。

「大丈夫、政宗は綺麗だよ。俺が毎年、お前の花を綺麗だと云わなかったことは無いだろう?」
「うん…――」

 しゅん、と項垂れる政宗の頭を指先で撫でてやると、政宗は両腕で慶次の指先を掴んで、ふるふる、と震えていった。その足元に小さな、涙の滴が落ちていた。





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