舞う花びら、その先に





 翌日が出立だというのに、小十郎は休むこともせずに、そっと部屋を出た。そして向かったのは幸村の元だった。

「真田、ちょっと顔かせや」

 障子を開け放つと、書物を読んでいたらしい幸村が、ふと顔を上げる。そのまま本を仕舞うが、居住まいを動かすことなく部屋の入り口に立つ小十郎を見上げている。

「――如何されました?」
「手前ぇ、政宗様に何をした?」

 小十郎が睨みつけながら――睨み、見下ろしながら声音を低くして問う。だがそんな彼の威圧に応えることもなく、幸村は少しだけ膝の向きを小十郎に向けると、澄んだ瞳を彼に向けた。

「何のことでござるか?」
「白ぁ、切るつもりか」
「某には何のことかさっぱり……」

 ふ、と幸村は苦笑しつつ、微かに俯く。その瞬間、腰を落として小十郎が白刃を抜いた。

「真田ッ」

 すらり、と彼の愛刀がその白刃を見せる。全て抜き払うのではなく、鞘を掲げたまま小十郎は抜き身を幸村の首元に突きつけた。

「――……」

 咽喉に刃が迫る――だが幸村は静かに白刃を見下ろし、そして小十郎を見上げてきた。その視線は真っ直ぐに小十郎に向けられ、揺らぐことは無い。

「手前ぇ、一体誰に何をしたか、解ってんだろうなぁ?」
「刀を納め下され」

 静かに――ただ静かに幸村が小十郎を見上げながら言う。同時に小十郎の項に、ちり、とした厭な気配がした。

 ――ひた。

「――――…」
「でないと、貴殿の首が飛びまするぞ」

 すぅ、と幸村の瞳が眇められる。その奥に小さな焔が揺らいでいく。小十郎は視線だけで背後に――項に向けられている苦無の気配を感じると、一呼吸置いてから刀を納めた。
 背後には佐助が殺気を含ませたままで、小十郎の首を狙っていたのだ。だがそれも小十郎が刃を収めたことで薄れる。

「佐助、下がれ」
「旦那ぁ、あのさ…――」

 ひゅん、と苦無を指先で振り回してから佐助が彼に何かを忠言しようとする。だがそれを赦さずに、幸村は彼を見ることもせずに命じた。

「下がれ」
「――はいはい」

 溜息と共に佐助の気配が消える。小十郎はその様子を――未だに怒気を放ちつつ、見下ろしていた。
 佐助が去ってから、幸村が膝を再びずらして小十郎を見上げる。そして、揺るがない意志を伝えてくる。

「某には何の事か、検討もつき申さぬ」
「――……」
「だが、仮に貴殿の考えているようなことがあれば…だったら、貴殿はどうか?」
「何――…?」

 ――ふ。

 そこまで言った幸村の口元が、三日月のように釣りあがる。彼の背後から、ざわざわ、と厭な空気があふれてくるかのようだった。

「主をその手の中に収めているには、変わらぬであろう?」

 嘲笑を含んだ言葉に何も云えなくなる――いや、威圧してきた幸村の瞳には、狂気すら見えていた。底知れない静けさは、不気味にしか映らない。小十郎は吐き捨てるようにして「二度は無い」と伝えるとその場に背を向けた。
 背を向けた先から、笑い声が響いていたのを、聞き逃しはしなかった。








 回廊を歩いていると、視界の先に先ほどの忍が柱に寄りかかっていた。呆れた風に腕を組んで、斜に構えている。

「すまないね、うちの旦那が」
「猿飛か…主とはいえ、首に縄でも着けとけ」

 佐助の前を通りかかりながら、そう言うと佐助は「そうだね」と頷く。そして小十郎の前に進み出ると、両手をひらりと動かして肩を竦めた。

「何を思ったのか、俺様にもわかんなくてさ」
「――……」
「厭んなるね。俺にしておけばいいのにさぁ?」

 ――あんたこそ、あの姫さんの首に縄つけといてよ。

 覗きこんでくる佐助の瞳に、小十郎と同じ嫉妬の色が浮かぶ。それを一瞥してから、小十郎はただ歩を進めていった。





10





to be continued・・・