舞う花びら、その先に 小十郎が再び政宗を迎えに来たのは、夜半に差し掛かった時だった。息せき切って、駆け込んできた小十郎に政宗は安堵で視界が潤んだくらいだった。 小十郎は邸に駆け込んできてから、幸村に礼を述べていく。幸村はそれに答え、そして夜も更けていることだから、と出立を明日へと持ち越す提案をした。彼の申し出に政宗も小十郎も承諾していく。 「政宗様…遅くなりまして」 「待ちくたびれたぞ、小十郎」 まだ息も荒い小十郎が政宗の前に膝をつく。それを見下ろしながら、じわり、と涙が浮かんでくる。 ――俺、本当は心細かったんだ。 彼が其処にいるだけで、ぽっかり空いた胸の空白が埋められるようだった。政宗はそのまま膝を折ってしゃがみ込むと、小十郎の頭に手を当てて自分の胸に引き寄せる。 「おかえり、小十郎」 「お変わりはございませんか?」 「――ない。だけど、お前がいなくて寂しかった」 「政宗様、心細くていらっしゃいましたか」 ふわ、と鼻先に嗅ぎなれた小十郎の香の香りが触れる。強く小十郎を胸に抱きしめると、背中に力強い腕が回ってくる。 ――小十郎だ。 ほ、としながら彼の腕を感じている。だがその反面、あいつとは違う、と思っている自分がいた。そんな自分に気付きながらも直ぐに否定する。 ――あれは無かったことだ。 顔を起こすと政宗は小十郎の頬に手を添えて、ゆっくりと口付けていく。全てが馴染んだ感触でへこんでしまっていた気持ちが上向いていく。 「小十郎、明日は早く帰ろうな」 「ええ…――」 やわやわと背中をなでてくる大きな手が心地よい。気付けば政宗は彼の膝の上に乗り上げながら、確かめるように掻き抱いていた。そして政宗に合わせる様に小十郎の腕が腰に回る。 ――ぎゅ。 「ぃた……――ッ」 「政宗様?如何された」 思わず腰骨の辺りに触れた彼の指先に、びり、と痛みが走り声をあげてしまう。驚いて小十郎が顔を上げた。 「あ…、すまない、小十郎」 ――しまった。 口篭った際に、訝しそうに小十郎の眉がよった。真っ直ぐ射抜いてくる彼の瞳を見つめられない――ふい、と政宗が気まずく視線を逸らせる。 「ご無礼を」 「――…ッ」 ――ばさ。 咄嗟に小十郎から身体を引き剥がすことが出来なかった。素早い動きで小十郎の手が動き、帯を振りほどく。そして素肌を彼の前に晒すことになった。 「これは…――」 愕然と政宗の肌に見入る小十郎を見ることが出来ない。政宗は顔を背けながら唇をかみ締めた。 ――す。 恐る恐る、といった風で小十郎の指先が肌に触れる。点のように残る鬱血痕に、ひとつ、ふたつ、と指先を触れさせ、そして擦り剥いている腰骨の辺りに掌の感触が滑る。 ――ぎり…。 不意に歯噛みする音が耳を打ち、政宗が瞳を小十郎に向けた。小十郎は膝の上に拳を握り締めて俯いている。ぎりぎりと聞こえたのは彼の歯噛みに他ならない。 「誰に、誰にこんな事を赦された?」 搾り出す小十郎の声が低い――怒声を孕んで微かに震える声に、政宗はただ謝るしか出来なかった。 「ごめん、ごめんな…――」 「政宗様、お答えください」 何度謝っても小十郎は同じ事を繰り返す。ぱり、と彼の身体から放電しかかる火花が見えた気がした。 「どうか、本当のことをお話ください。誰にこんな無体を――…赦された?」 怒りを含んだ彼の視線が痛い。小十郎が顔を上げ、政宗の肩を掴んだ。その手は強く、微かに震えていた。政宗は言葉を選びながら、ようやく「ごめん」と告げると、たどたどしく言った。 「――違う、俺…拒んではいなかった」 あの時の事を弁明しながら話していくと、小十郎は「もう良いです」と静かに言った。 「政宗様、少々お黙りくださいませ」 「小十郎…――?」 肩を掴む手が、素早く動いて政宗の肌蹴た着物を調えていく。袷を重ね、帯を締めると小十郎は、ざ、と一歩後ろに下がり頭を垂れた。 「腸が煮えくりかえっております故、貴方様でも」 ――傷つけかねません。 はあ、と押し殺した吐息を吐いてから、小十郎が立ち上がる。そして腰に刀を差込み、足音も高らかに障子を開け放った。 こんな風に小十郎が怒るところをみたことは無かった。政宗は、さあ、と血の気が引く思いをしながら、気付いたら彼の背中に向かって懇願していた。 「小十郎…――、頼む。頼むから、あいつに非はねぇから」 ふと、障子に手をかけたままの小十郎が、肩越しにちらりと政宗を見、そして「真田か」 と呟く。ばりばり、彼の身体に細かな放電が起こる。 ――駄目だッ。 「行くな、小十郎ッ」 障子を開け放ち、廊下に出た小十郎を、畳を蹴って政宗は駆け込んでいく。小十郎の腕を掴んでも直ぐに彼は振りほどいてしまう。 「政宗様、お許しください。この片倉小十郎、一発でも奴を殴らねば気が済みませぬ」 「小十郎ッッ!」 ――がっ。 何度も振りほどかれながら、小十郎の背中に抱きつく。すると小十郎は声を荒げながら背後の政宗を振り向いた。 「お止めくださいますなッ」 「厭だ、小十郎ッ」 「――……ッ」 離せ、と云う彼を止めるには、ただ抑えることしか出来ない。だがしがみついていれば小十郎の動きが止まった。政宗は小十郎の背中に顔を埋めながら、はっきりと告げた。 「すまねぇ…本当に、俺が…俺が浅はかだったんだ」 「――……」 ぐず、と自分のしてしまったことに後悔が押し寄せる。彼に謝罪しながら、声が震えてくる。 「泣くほど、あいつが恋しいですか?」 「違う」 ぽつ、と諦めたような声を出した小十郎の言を否定する。 ――判れよッ。 今まではどんな時もわかってくれた。それなのに、自分のしたことが――裏切りがこんな風に小十郎を責めることになるとは思ってもいなかった。それでも自分に必要なのが誰かなんて解っている。政宗は涙で濡れ始める視界を押し上げながら、小十郎を抱きしめる腕に力を込めた。 「俺は、お前じゃなきゃ…――」 「仕方の無いお人だ」 ふう、と大きな溜息の後に、抱きしめている腕を振りほどかれる。そして小十郎が身体を反転させて、泣き濡れている政宗を――目元を指で拭うと、厚い胸板に押し付けるようにして引き寄せてくる。 「小十郎ぅ…――」 「惚れてしまった弱みは私にありますからな…」 「ごめん…」 「もう、謝ることも止めましょう。私は、忘れまする」 強く引き寄せてくる小十郎が、まだ怒りを含んだ低い声を出す。それでも政宗を突き放すことはしなかった。その事に、政宗はただ安堵するしかなかった。 →9 to be continued・・・ |