舞う花びら、その先に





 世間には愛が懐妊したという事になっている。初産という事で政宗がひと時も離れないほどに心配している――という理由での移住だった。
 愛の邸には必要最低限にしか人員は割かれておらず、隠れるにはもってこいだった。そして小十郎もまた政宗のもとと、城を行き来するが、基本的に政宗の傍にいてくれた。

 ――ある意味、夢みたいだよなぁ。

 冷えてきた外気から身体を守るように、羽織を手繰り寄せると、楽しそうに愛が政宗の髪を柘植の櫛で梳いていく。

「政宗様、御髪が結構伸びましたわ。これなら、少しくらい結えるかも。この機会に伸ばしてみては如何?」
「流石にそれは駄目だ。いつ誰が来るかわからねぇし…」
「あら、そのお腹で人前に出ることがありまして?」
「う……ッ」

 あんなに目立たなかった腹は、今はふっくりと形を変えている。身体もいつもよりも重くなった気がして、時々自分でも下腹部を手で摩っている時もあるくらいだ。愛や、愛の乳母に言わせると腹の形で性別が判ると言う。

 ――俺にはさっぱりわからねぇよ。

 そもそも喜多が居てくれて自分の身体のことを知っている程度だ。そんな女子らしい話には疎くてならない。

「綺麗に結い上げて、花を飾りましょう。簪でも良いわ。わたくしの打掛を羽織れば宜しいわね」
「愛…俺は着せ替えの人形か?」
「少しくらい良いではないの。そうね、紅もさして…」

 愛が政宗の前に乗り出して、腹の上に手を添えると楽しそうに微笑む。こうして微笑む彼女を見ていると、いつも寂しい思いをさせていたのだと知らしめられる気がした。

 ――可愛いよな、愛は。

 時々底意地の悪いことも言うが、それも愛嬌だ。愛は政宗の腹の上に頬を寄せると、もう動きまして?と聞いてくる。それに答えようとしていたら、二人の会話を割くように小十郎の声が響いた。

「失礼致します」

 から、と襖を開けて小十郎が低頭して入ってくる。愛が居る時にはこうして臣下としての姿を見せる。政宗が背を反らせて表情を華やかせる。

「おう、小十郎。どうだ、あっちは」
「は、滞りなく」

 声も硬く、小十郎はまだ低頭している。それを政宗の横に座りなおした愛が口元を袖で隠して、ころろ、と嗤った。

「片倉殿、そんなに改まらなくても宜しくてよ。さ、中に…」
「は、失礼致します」

 すす、と膝を進めると小十郎は襖を閉める。そして背を伸ばして政宗の前に座ると、政宗の方を観て視線を固定させてしまっていた。真っ直ぐに政宗に視線が注がれてくる。

「どうかしら?政宗様、お綺麗でしょう?」
「それは……今更言葉にするまでもなく」
「小十郎、嘘付かなくていいぞ」

 今の政宗は愛によって髪を梳かれ、彼女の打掛を肩に掛けられている。打掛は暖かいから良いが、あまりに髪を梳かれすぎて肌にへばりつくみたいで、何だかむず痒い。
 くしゃくしゃ、と軽く政宗が頭に手を当てて動かすと、愛が「まあ!」と非難の声を上げた。

「いえ、戦場での政宗様も麗しゅうござりますが、そうして居られる姿もまた、麗しゅうござりますれば」
「ああ、もう、良い!それ以上云うな」

 手をはらはらと動かして政宗が遮る。小十郎は言葉をストレートに伝え過ぎる、とそっぽを向きながら吐き捨てると、小十郎は苦笑していった。










「城下の様子はどうだった?変わり、無かったか?」
「はい、全て滞りなく…」

 冷え込みが激しくなってきたのを受けて、もうそろそろ雪が積もり出すと踏んでいた。そうなれば雪の重みで家が倒壊するような事もある。皆、来る冬に備えているのかを窺う。今は小十郎が政宗の手足となって動いてくれていたので、手に取るように状況が飲み込めて良く。
 伝達事項は全て彼を通して――そして他に政宗が女だと、今回の件の真相をしっている成実らに伝えて貰っていた。

 ――政務が滞らなければ良い。

 ふ、と吐息を吐くと、政宗は足を崩した。そしてハッと気付いたように動きを止めてから、急いで手招きをした。

「小十郎、来い」
「どうかされましたか?」

 傍に膝をすすめてきた小十郎の手をむんずと掴み込み、政宗は自分の膨らんだ腹に当てた。

 ――ととん、とん

「判るか?」
「――……ッ」

 ぶわ、と小十郎の顔が赤くなる。左手で小十郎は自分の口元を覆うと、じっと政宗のほうへと視線を投げてきた。政宗は少しだけ嬉しくなって、伸び上がるように首を彼に向けた。

「こいつ、もう動くんだぜ?今の、解ったかよ?」
「え、ええ…勿論でございます」
「すげぇよなぁ…俺の身体にさ、もう一人居るんだぜ?」

 素直に感想を述べると、小十郎は手をそっと離してから、辺りを見回した。そして強く政宗の肩を抱くと、耳元に囁いてくる。

「政宗様、この小十郎は安堵致しました」
「Hum?」
「貴女様に、しっかりと母性がありましたこと、安堵致しました」
「――失礼なこと言うなよな」

 ふく、と頬を膨らませると間近で小十郎が苦笑していく。手を伸ばして彼の頭をぐりぐりと弄ると、ははは、と彼は声を上げて笑った。そして、笑いを抑えると静かに、ゆっくりと話し始めた。

「いえ、本当に…正直、その子が私の子なのか、それとも…と思う日も未だございます。ですが、貴女様が母になろうとしている姿を見ますと、良かった、としか」
「小十郎…――」

 政宗の腹の上にある彼の手が、愛しそうに優しく円を描くように撫でて来る。

「いつも、貴女様には苦痛しか与えられないと、悔やまれてなりませんでしたので」

 じっと見つめてくる小十郎の肩を押して、伸び上がると政宗は勢い良く彼の額に自分の額をぶつけた。

 ――ごつ。

 鈍い音がして、小十郎が額を押さえる。確かに額は痛いが、こうでもしないと彼に諭せない気がした。

「あのなぁ、小十郎。俺は、こうしている事、男として――そして奥州筆頭として生きることに後悔なんてないぜ」
「政宗様…――」
「だから、お前が気に病むことなんて何も無いんだ」

 両腕を回して彼の広い背にしがみ付く。いつでも気付いた時には自分を守ってくれていた背中だ。

 ――お前が居ないことの方が、俺には苦痛だ。

 だから傍にいろ、と彼の胸に顔を埋めて――くぐもった声で言うと、小十郎は愛しそうに背中を撫でてくれた。










 ただ甘いだけの生活が、自分たちに訪れるなんて思ってもいなかった筈だった。
 雪が降り始め、蒼白く庭先が染められる。だが一時的なこの雪は明日の朝には消えるだろう。その光景を庭先に見つめながら、政宗が布団から外を見ていると、ゆら、と灯篭の火が揺れた。
 寝入る前にどうしても咽喉が渇いたと云ったら、小十郎が取ってきてくれると席を立ったばかりだった。

 ――何でこういうタイミングなんだ。

 目の前に見知った男が立っていた。闇夜の中に、ひらり、と舞い降りた姿が政宗の青灰色の瞳に映る。そして、彼は政宗の姿を見て息を飲んだのが解った。

「へぇ…姿を見ないと思ったら」
「手前ぇ、真田の」

 手を伸ばして刀に触れさせる。この身体でどれだけ動けるか解らない。じとり、と厭な汗が手の内に広がっていく。
 さく、さく、と政宗の動揺など気にも留めずに彼が近づいてくる。

「まさか、身篭っていたなんてね」
 ――相手は誰?右眼の旦那?

 小首を傾げる姿に、口布で覆われた顔は表情が読みきれない。声音だけでは判断しかねるものだ。彼は縁側の近くに来ると、答えてよ、と政宗に迫ってきた。政宗は立ち上がれずにただ手に刀を添えているだけだ。だが、視線は目の前から離しては居なかった。

「その子、まさか真田の旦那の子?」
「違ぇよ、猿」

 即答し、すら、と目の前の男――猿飛佐助に切っ先を向ける。これ以上近づくな、と牽制するようなものだ。

「猿…って酷いね。俺様、なんなら知らせてあげようか?」
「余計なことはするな」
「余計かな。旦那のことだから喜ぶよ」

 身を屈めながら切っ先に指先を添えて、戦う気はないよ、と佐助は刀を下ろさせてくる。

「――言うんじゃねぇよ。この子は、小十郎との子だ。そして俺と、愛との子だ」
「――伊達家のこと、考えて?それとも旦那のこと考えて?」

 佐助が一歩後ろに飛びのいた。どんな用件で此処に来たのかは解らない。だが彼の訪れで、あの時のことが思い出された。だが政宗は瞑目すると、声を低くして発する。

「話す義理はねぇ。失せな」

 ふん、と目の前で佐助が顎先をしゃくる。それと同時に、回廊を渡る音が聞こえ、政宗が其方に顔を向けた瞬間、目の前の闇から佐助の姿が飛びのく。

「おっと、お目付け役だね。俺様、退散するわ」

 佐助が回廊の先にいる小十郎のほうに首をむけ、じゃあねぇ、と手を振っていた。それを小十郎は刀に手を宛がったまま睨みつけている――今にも飛び出していきそうな勢いに、まだ佐助が居るのだとわかっていても、彼に飛び出していって欲しくなかった。
 政宗は立ち上がると、直ぐに小十郎の元に駆け寄った。

「小十郎…――ッ」
「お気になさいますな」

 小十郎は柄から手を離し、政宗を安心させるように肩を抱いてくる。つん、と冷たい空気が鼻先に触れていく。しがみ付いた手が、かたかた、と頼りなく震えるのを抑えられなかった。





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to be continued・・・