舞う花びら、その先に





 いざ政宗が懐妊したとなると小十郎は慌ただしく身の回りを整えていった。いつものように城下にいたとなれば見つかるのも時間の問題だ。それを考慮しながら、正室である愛の元に身を寄せることに決めた――その為の大義名分はいくらでも後から付け足せる。
 その最中、政宗は時折訪れる悪阻と戦いながら、出来うる政務に向き合っていた。だが当の愛姫が話を聞きつけて政宗の元へと駆け込んできた。
 その時の剣幕は、輿入れが決まった時のようで、政宗は思わず目の前に白無垢を着た少女を見た気がした。

「愛、か…」
「ご機嫌はいかが?」

 侍女も連れずに両手で勢い良く戸を開け放った彼女は、そのまま腕を広げて、にこり、と笑って見せた。
 相変わらず愛らしく、彼女が笑うと大輪の牡丹が花開くかのようだった。彼女の訪れに座を作ると、着物の裾をはらはらと動かしながら彼女が詰め寄ってきた。

「政宗様、亜子を如何なさると?」
「単刀直入だな」
「誰に聞かれるか判らないもの。私と貴方の、内緒話よ」

 ――だから急くの。

 真剣な黒い瞳が政宗を射抜く。黒真珠のように煌く瞳を、長い睫毛が彩っている。たぶん侍女たちを振り切ってきたのだろう。

 ――思い切ったこと、しやがるな。

 こういう豪気な処は嫌いではない。むしろ好ましくもある。この自分の「嫁」として選ばれただけはあるものだと感心していると彼女は、ずい、と肩を寄せてきた。
 政宗は手を伸ばして彼女の長い髪を指先で掬うと、それを口元に向けて口付けた。そして静かに瞼を伏せて言う。

「小十郎の、子として育ててもらう」
「莫迦を仰い」

 はあ、と溜息を付いて愛が政宗から髪を取りあげる。手持ち無沙汰になった手に、愛の白い指が乗せられる。

「愛…――」
「貴方の御子は、この私が育てると決めたのよ?お忘れになって?」
「でも、愛…――」

 きゅ、と愛は政宗の指先を握り込んだ。そしてより肩を押し進めて、近づくと政宗の胸の上に頬を寄せる。自然と政宗はそのまま彼女を抱き締めた。
 傍から見れば代わりのない夫婦にしか見えない。だが自分たちは共犯者だと知っている――共謀者であると、彼女が嫁いできた時に話し合った。

「てて親は如何でもいいの。貴方の子、きっと強い子になる。私はその母として、亜子を育てる義務がある」

 ――そうでしょう?

 腕の中の愛が顔を上げてくる。彼女の面は揺れ動くことなく、ただ政宗にだけ向かってくる。その視線の強さに、此処暫くの自分の揺らぎを切り捨てられる気がした。

 ――酷いことだらけだ。

「愛…すまない」
「何を謝るの、謝るのは私にではなくてよ」
「うん…――」

 愛はこんな時に強く出る。女としての強さを見せる彼女に、曖昧な自分を窘められた気がした。自分の役割は何であったのかを思い出させられる気がした。

 ――全て、家の為に。

 でも其処にこっそりと自分たちの思惑も混ぜ込んで生きていく。それを決めたのは、もうずっと昔のことだった。
 愛は膝をすすめて、ひらり、と腕を広げた。まるで蝶が羽根を開くようで、彼女の動きにはいつも目を疑う。愛は「だから」と小首を傾げてから言った。

「貴方の愛する男に、別の男との子かもしれない子なんて、授けないで」
「――知って…?」

 彼女が知っていたことが以外だった。だが愛は「予想が当たったみたいね」と深く溜息をついた。

 ――もし小十郎との子だというのなら、手放しで喜び勇むでしょう?

 彼女の指摘は最もだった。何か思い悩む処があるから政宗が塞ぎ込んでいると踏んだという。
 ずき、と胸に彼女の言葉が突き刺さる。愛は立て続けに政宗に詰問してくる。それが誘導だと判っていても遮るつもりはなかった。

「好きなんでしょう?愛しているんでしょう?本当に」
「ああ…俺は、小十郎が、好きだ」
「他の誰でもないでしょう?誰を必要として、誰を愛しているのか、ご自分で判らない筈はないわ。違う?」
「違わない」

 政宗は愛に心の核心を暴かれる気がした。でもいつもこの目の前の彼女にはそれでも構わない気がしてしまう。何でも胸のうちを明かせるのは――小十郎以外には、彼女にだけだ。

 ――俺が愛しいと思うのは、あいつ以外にはいない。

 すとん、と胸にその事が降りてくると、政宗は肩から力が抜けた。すると愛は柳眉を下げて、すすす、と膝を進めると両腕を払って政宗を胸に引き寄せた。

「可愛そうな人、甘えていいのよ」
「…――ッ」

 じわり、と視界が歪み出す。潤んだ瞳から涙が溢れて来るのには然程時間は要さなかった。愛は政宗の頭を抱え込み、胸に抱きしめると、細い指先で柔らかく政宗を包んでいく。

「貴方の苦しみは私の苦しみ。貴方の歓喜は私の歓喜。貴方に嫁いできて、私は覚悟したのよ。ねぇ…政宗様、貴方が生きられなかった女子としての生、私が変わって生きて差し上げてよ?」

 自分とは違い、妻としての役割を与えられた愛姫――でもその生き方は、政宗には夢でしかない。だが愛にしてみれば、政宗のように愛しむ相手と共にいられることが、彼女にとっては夢の出来事でもある。彼女の辛さも、じわじわと染み込むように判る。

「だから、声を押し殺して泣くのはお止しなさい。夫婦しか此処には居なくてよ?ね?」
「愛…――っ」

 嗚咽を堪えていると、愛は優しく政宗に告げていった。彼女の優しさに甘えながら、政宗は初めて声を出して泣きだした。

「大丈夫よ、その子は私たちの子。貴方と片倉殿の子。ひとりで抱え込まなくて良いの」
「愛、俺…お前がいてくれて良かった」

 政宗がようやく――涙で濡れた顔のままで――彼女に告げると、当たり前よ、と強気な返事が返ってくる。政宗は回りの人の強さに救われていく気がしていた。ゆっくりと愛の背に腕を回して彼女にしがみ付くと、いつも嗅ぎなれた香とは違う、甘い香りが彼女からしていた。






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to be continued・・・