Cherry coke days



「旦那、ちょっといい?」

 珍しく二階の幸村の部屋に佐助からの訪れがあった。ぼすぼす、と襖をノックする音に、調度課題を終えたばかりだった幸村は「いいぞ」と応えた。
 此処最近はずっと階下の佐助の部屋に、こっそりと幸村が訪れる事の方が多かった。だからお盆を持って来た佐助を何処に座らせようかと、一瞬だけハッとしてしまう。
 しかしそんな幸村の横をすり抜けて、佐助はさっさと側に来るとベッドにもたれて座った。

「そろそろお茶にしなよ。南瓜餡のパイ、作ってきたんだ」
「おおおお、この甘い香りはこのせいか!」

 お盆の上には、ミニパイが乗せられている。佐助に聞くとすでに彼は信玄にも出してきたという。
 幸村が満面の笑みでそれを手にし、ぱくり、と齧り付いた。

「うまいッ!パイ生地がさくさくなのに、甘いッ!うまいッ!」
「はいはい、本当に作りがいがあるってもんだよ、旦那のその顔みていると」

 ふふふ、と佐助は笑いながら、自分の皿にあったパイのひとつを、幸村の皿に移した。そしてじっと幸村を見つめてくる。

「…どうかしたか?」
「さっきね…大将に怒られちゃった」

 ごくん、と幸村は咽喉を鳴らしてパイを飲み込んだ。近くにあったコーヒーをそのまま口に含んで、手に持っていたパイを一度皿に戻す。すると佐助は片膝を立てて、其処に腕を乗せると、項垂れるように下を向いた。

「進学しないで、働くって言ったら…ね。ずっと考えてたんだ」
「――…」
「迷惑かけるだけだから、そろそろ独り立ちしようかと思ってたんだけど」

 ちら、と視線だけを幸村に向けてくる。今言われたことを脳裏で反芻して、幸村は徐に佐助に問うた。

「働く…ってことは、この家を出て行きたいのか?」
「そういう訳じゃないよ。勉強したいことだってあるし…」
「ならば進学すればいい」

 断言するように強く告げる。しかし佐助は膝に顎先を載せて、へたりと眉を下げてみせた。

「でもさ、俺様迷惑でしょ?この…家の子でもないんだよ?」
「恩義を感じるなら、然る後、お館様のために働けばよかろうッ!」
「――…」

 どん、と思わずローテーブルを叩く。たたきつけた拳が、びりびりと痛みを訴えてきた。しかしそれよりも、この家を出ることを彼が考えていたということが、幸村にはショックだった。だが彼の意思を尊重したい気持もある――しかし、此処は素直に自分の気持も伝えてしまおうと、幸村は何度か瞬きした後に、伺うように佐助の方を見上げた。

「それに…佐助が、いないのは」
「俺様がいないのは?」
「俺が…」

 ゆっくりと口にする言葉に、じわりと涙が出てきそうになる。今までずっと側に居て、好きで、ようやく触れ合える間柄になれた相手だ。その相手が遠くに行ってしまうなど――それが、大して離れて居なくても、家を出ると云うだけで――寂しくて仕方がない。
 幸村は深く呼吸を整えてから、はっきりとした声で佐助に向った。

「俺が耐えられそうにない」

 幸村の言葉のあと、一呼吸置いてから、佐助が大きく息を吸い込んで吐き出す。呆れさせてしまったかと、幸村は慌て始めた。

「佐助…っ」
「――俺、卑怯だね。ごめん旦那」

 しかし幸村の焦りをものともせず、何故か嬉しそうな顔をしながら、佐助が顔を起こした。そして佐助は幸村の近くまで寄ってくると、幸村の肩に自分の頭を乗せる。

「何が卑怯なんだ?」
「俺の決意の為に、旦那の気持ちを使った」
「――」

 腕を回していいものだろうかと、幸村がそっと佐助の背に手を伸ばすと、すかさず掴みこまれて誘導される。佐助の背を抱きながら、同じように佐助が幸村の腰を片方の腕で支える。そうしていると、体の向きが変わり、肩に乗っていた佐助の頭が、幸村の額に付くように近づいてきた。

「俺が此処に留まることを、旦那のせいにしたいと思っちゃった」
「それでいい。卑怯でもなんでもない」
「ああもう、あんたって本当に可愛いねっ」

 ふふ、と佐助は眉を下げたままで言う。間近で、吐息も触れ合うのに、肝心の温もりが遠い。幸村は一度だけ瞳を泳がせてから、つん、と唇を突き出してみた。

「可愛いと思うなら…」
「ん?」
「その…、――だな、ええと…」
「して欲しい?」
「――…ッ」

 ぶわ、と首筋から顔にかけて熱が篭る。佐助は、ちょん、と唇に唇を重ねてきた。

「さ…佐助ッ!」
「ええ?これじゃ不満?」
「あのな、もっとしっかり…ッ」

 できればもっと強く抱き締めて欲しい。キスだってもっと感じるほどにしてほしい。そんな風に思うのに上手く言葉が出なかった。しかし先の先を読んで、佐助はにやりと笑った。

「本当は旦那の腰が立たなくなるまで、したい」
「な…ッ」

 耳朶に囁かれた言葉に、ぶわああ、と涙さえ浮かぶほどの羞恥心を感じる。耳朶に囁かれたまま動けずにいると、くす、と笑う声が聞こえた。そしていつもの通りの佐助が、茶化すように告げてくる。

「でも明日は石田なんとかとお出かけじゃなかった?」
「そうであった!」

 ハッと気付く。明日は三成との約束のスイーツビュッフェに行く日だ――佐助と家康もくるから、正確には四人で行くことになる。
 それを思うと、幸村の頭はスイーツで一杯になっていく。心此処にあらずというように「何を食べようか」と思っていると、再び唇に佐助が触れてきた。

「ん…っ、佐助?」
「無理はしないからさ、おさわりくらいはいい?」
「え…――、あ、うん」

 思わず頷くと、佐助はそのまま首筋に顔を埋めていく。そして強い腕に引き倒されながら、佐助の重みと温もりに、幸村は安心しながら瞼を落としていった。




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