Cherry coke days





 結局、文化祭当日まで元就達のクラスが何をするのかも解らず、少しばかりの不満を抱きつつも元親は学校へと向った。早朝の校内は人が少ない。いつもよりもかなり早く出てきたせいもあって、クラスへと足を踏み入れるまでに人に出会うこともなかった。
 朝の、きん、と冷えた香りが鼻先に突き刺さり、秋も終わりだと教えてくる。あんなにむせ返るようだった金木犀も香りが消え、直に冬へと季節は移行していくのだろう。
 少しの寂寥感を胸に抱きながら、元親は開けっ放しのドアから顔を覗かせた。

「はよーっす…って、早いな、佐助」
「あ…チカちゃん。おはよう〜」

 誰もいないと思っていたのに、既に其処には佐助の姿があった。しかも既に今日使う具材を用意しており、大量のキャベツの千切りを作っている。
 こんもりとしたキャベツの千切りを見つめながら、元親は鞄をロッカーに押し込み、頭にタオルを巻きつけた。

「どうしたよ、お前、こんなに早く」
「そういう元親だって」
「俺は何となくだ。こういうイベント毎の前って、どうにも落ち着かなくてよ」
「そっか」

 たたたた、と途切れることのない音に、慣れていることを教えられる。既に佐助はクラスで用意していたTシャツに着替えており、準備も万端といった風体だ。

 ――なんか、いつもと違う。

 外見も何も変わったところはない。だが何となくだが、普段の彼とは違うような気がしてしまう。醸し出す雰囲気が違うというのだろうか――やけに穏やかなように見えた。
 ごそごそ、と元親が側でTシャツに着替えようと動く。そして、がば、と制服を脱ぐ。合間に視線を向けると、佐助はボウルを引き出そうと屈みこんでいた。その首の付け根に――赤紫の、ぶつけたような鬱血が見える。

「おい、それ…」
「え?」

 思わず指を指して聞くと、佐助は元親の指の動きに合わせて自分の首元に視線を動かした。そしてひょいと襟首を引っ張って、中を確認する。

「鎖骨、それ痣?」
「――…ッ!」
「ちょ…おいいい、佐助ってば」

 ぶわああ、と首元から一気に赤くなって佐助がしゃがみ込む。慌てて元親は身を乗り出して、しゃがみ込んだ佐助の元に行った。机ひとつが邪魔をしているが――其処に元親は上半身を預けて――しゃがみ込んだ彼を頭上から見下ろす。
 佐助は膝を抱えて顔を伏せていた。
 そしてゆっくりと顔を上げると、両手を合わせて鼻先までを覆う。見下ろす佐助は、じわりと目に涙の膜を張りながら、くぐもった声を出した。

「うっそ…嬉しい…」

 首もとの其れは業とつけたかのような、ぎこちない色に染まっている。小さな、よく見ないと解らないかのような薄い鬱血痕だ――それをつけた相手など、元親の脳裏にはひとりしか浮かばなかった。
 机に上半身を預けて、頬杖をつきながら、佐助の旋毛を見下ろして問うた。

「あ〜、幸村か。出来たんだ?」
「うん…これ、旦那からのだ。どうしよう、俺…すっげ、嬉しい」

 ――俺が気付かない内に。

 こくりと頷く佐助が、眉根を寄せて鼻を啜る。感動している佐助に、不器用な奴、と感想を抱いてしまう。

 ――人からの好意に敏感なのに、愛情を向けられることには慣れてないんだろうな。

 佐助は気が利くし、場を読むにも長けている。だがそれが愛情ならば話は別だ。ただの好意としか受け取れない――いや、そうとしか受け取ってこなかったのかもしれない。好意と愛情の区別がつかないのかもしれない――それくらいに愛情には慣れていなくて、どうしたら良いのか解らないかのようだ。
 その彼が焦がれた相手が、幸村――そして想いを返してくれる相手だ。
 元親がそんな風に考えていると、ふう、と深く息を吸い込んで、佐助は顔を上げた。

「ねぇ、ちかちゃん」
「うん?」
「俺、こんなに幸せでいいのかな?」
「――……」

 すん、と鼻を啜り上げながら、佐助は再び手を合わせて鼻先を覆う。合掌する手前のような、そんな仕種に祈りにも似たかのようなものを感じてしまう。

「俺みたいなのが、こんなに幸せでさ、罰、当たんないかな?」

 ――ぐしゃぐしゃ

 気付いたら腕を伸ばして、佐助の夕陽色の髪を手で思い切り掻き回していた。間に佐助が、わあ、と声を上げていたが構わずに続ける。

「おおよ!幸せで何が悪いッ?どんどん幸せになれよッ!」
「うん…――」

 はあ、ともう一度深呼吸してから、すっく、と立ち上がった佐助にあわせて、元親は机の上に座った。すると肩口に額を押し付けて、佐助が「とん」と拳を胸にぶつけてきた。
 髪が、むき出しの肌に触れて擽ったい。まるで大型犬の毛並みのようだ。

「って、擽ってぇよ」
「だってさ…嬉しくて、愛しくて、もう堪んない。俺、旦那を好きになって良かった」
「それ、今度本人に言ってやれよ」
「うん…」

 染み入るように告げる佐助が、まるで綺麗な硝子細工のように思えてしまう。そっと彼の背中に片腕を伸ばして、とんとん、と背を打つと彼は勢い良く顔を起して「今日の準備、早くやってしまおうよ」と満面の笑みを見せてくれた。

「俺もさ…」
「え?何…――」

 がたがた、と再び準備を始める佐助は嬉しそうだ――その横でジャージに着替えながら、元親は、ばさ、とシャツに袖を通した。

「俺も、あいつにぶつかって行くわ」
「――――…ッ」
「俺の生き様、観ててくれや」

 ふん、と背中を見せたままで宣言する。すると背後から、ふ、と笑うような吐息が聞こえた。

 ――げしッ

 振り返ろうとした瞬間、腰に蹴りが入る。仰け反ってから振り向くと、佐助がにやにやと口元を吊り上げていた。先程までの殊勝さは何処にいったのか。

「骨なら拾ってやるよ、ちかちゃん」
「嬉しくないお言葉、ありがとさん」

 べえ、と舌を出しながら元親は振り向いた。そして再び――緩んできていた、頭のタオルをぎゅっと結びなおすと、共に文化祭の準備へと入っていった。






→ 66





2010.03.13/100530 up