Cherry coke days





 自宅に着いてから元親は早々に着替えると、再び外に飛び出した。家の門をあけて向かい側へと向う。勝手知ったる風体で中に入り込むと、いつものようにお手伝いさんに声をかけて――手土産のりんごを渡してから、元就の部屋へと向った。

「元就ぃ、ちょっと良いか?」
「――――…」

 廊下を歩いていくと獅子脅しが、かこん、と軽やかな音を庭先に響かせていた。既に晩秋の風体の庭には花はない。
 元親は元就の部屋の前で声をかけたが、返事がないことに、もう一度彼を呼んだ。

「元就?」

 呼びながら、がらり、と障子戸を開け放つ。だがいつも居るであろう机の場所には元就は居なかった――そして部屋の真ん中で、座布団に頭を乗せて、すうすう、と寝息を立てている姿が眼に入った。

 ――寝てる。

 元親は静かに部屋の中に入ると、起さないように注意を払いながら障子戸を閉めていく。その向こうの庭では、かっこん、とあいも変わらず獅子脅しが鳴っている。
 元親の手元にはりんごが幾つかある。皮を剥かずに持って来たものだが、甘酸っぱい香りが広がっていた。
 元親は元就の傍らにいくと、畳に足を擦らせながら座り込む。胡坐をかいて、元就の顔の横にりんごを置いてみた。

 ――匂いで起きたりして。

 食い意地が張っている元就ならありうる。そんな風に考えて置いてみたが、彼は熟睡しているようで反応を見せなかった。

 ――こうしていると、昔と変わらねぇな。

 元親は眠る元就の額にかかる髪を指先で払う――すると少しだけむずがって、彼は眉間に皺を寄せて横を向いてしまった。だが横を向いたことで元親の方へと少しだけ近づく。

 ――長ぇ、睫毛。

 目尻にかけて睫毛が長くなり、切れ長の瞳を一層彩っているかのようだ。昔はよく一緒に昼寝をしたものだと思い出す。目を覚ますとふくふくとした頬をもった元就が直ぐに視界に入ってきていた。
 だが元就に言わせると、元親の方がマシュマロのような頬をしていたという。それを思い出して手を伸ばしかけてから、ふと躊躇して引き戻した。

 ――触りたい。

 今は精錬な表情に変わった元就だ。今触れてみたところで、子どもの時のふくよかさがないだろう。だがそんな今だからこそ、余計に触れてみたくてならない。

「…よ、っと」

 元親は静かに自分の足を伸ばして身体を横たえる。そして肘をついて頭を乗せると、上から元就を見下ろした。
 こうしていると一緒に昼寝をしていた時とあまり変わらない。だがその時のような気安さが――無邪気さは今は自分達にはない。

「俺のものになってくれたらなぁ…」

 肘を崩してばたりとその場に頭を付ける。そして元親もまた規則正しい寝息を立てる元就に釣られるように、静かに瞼を落としていった。










「おい……おい、元親」

 遠くから聞こえる声が心地よく耳に響く。僅かに足元が冷えるような気がして、ううん、と身体を震わせた。

「起きぬか、馬鹿者」

 いつもながらの罵声に苦笑するしかない。だが中々瞼が押しあがらなかった。

 ――足、冷てぇな。

 ぐ、と身体をくの字に曲げていく。すると肩に暖かいものが触れてきた――肌に触れた暖かさに条件反射で腕を伸ばす。

 ――ぐい。

 引っ張ってみると腕の中が急に温まってくる。晩秋ともなるとやはり何か一枚くらい羽織っていないと冷える。

 ――ヤバイ、これ暖かい。

 何だか大きな、それでいて微かに柔らかい湯たんぽを抱えているような気分に、ぐぐ、と身体を縮めた。同時に腕に思い切り力が篭る。

「いい加減、起きぬか、元親」
「――ん?」

 刺々しい声が鼓膜に響く。元親が薄っすらと瞼を押し上げると、眉間の皺が眼に入った。

「苦しいではないか」
「元就?」

 眉間から徐々に視線を動かしていくと、間近に元就の顔がある――しかも自分が抱き締めているのは元就そのものだ。

「全く寝ぼけおって」
「あー、もうちょっとこのままじゃ駄目?」

 先程よりは力を抜いて、柔らかく抱き込む。そうすると鼻先に元就の髪の香りが触れる。女の子じゃ在るまいし、と思うのだが、何だか甘い香りがするような気がした。

「――…夕飯の準備が出来たそうだぞ」
「食べていって良いの?」

 はたと顔を起してみると、こくりと元就が頷く。ごろん、と身体の動きを変えて――仰向けになる元親の胸に乗り上げるように抱き締められている元就が、腕を突っ張った。

「お前がそうしたいのなら」

 くい、と腕を伸ばす元就を腕から開放すると、何だか急に身体が冷えるような気がして、腹筋だけで起き上がった。
 元就は立ち上がって障子を開けようとしている。それに続いて元親も立ち上がりながら、彼の背後に立った。

「なあ…元就」
「何だ?」
「怒るなよ?」

 振り返ることのない元就に、背後から腕を伸ばす。
 元就の肩に顎先を埋めて、自分の胸に引き寄せると、ほわり、と再び温もりが触れてきた。背後から引き寄せて抱き締める――元就の首に両腕を絡ませているだけだ。背後から抱き締めれば、回ってこない腕に寂しさを覚えることも無い。それにいつもならば元就は直ぐにでも自分の腕からなど離れてしまうものだ。半ば振り解かれるのを覚悟していたのに、一向に元就は動きを見せなかった――それどころか、静かに抱き締められている。

「怒らねぇの?」
「怒るなと云ったではないか」
「でもいつもなら…こう張り手が」

 少しの違和感を感じて頬を摺り寄せる。それでも元就は、ちら、と元親に視線を動かしただけで、動揺も何も感じ取れなかった。

「我がそうされても構わないと感じたまでよ。悪いか?」
「いや、悪くも無い」

 ――だが逆にその冷静さが寂しい。

 ぐ、と咽喉を絞めるように生唾を飲み込む。そして元親は手を伸ばして元就の顎先に触れた。

 ――ぐ。

 無理に首を横に向けさせて、薄く開いている唇に自分の唇を近づける。微かに触れたと思った瞬間、元就がびくりと背を揺らした。

「ん…――ッ、調子に乗るでないッ」

 ――がつッ。

 勢い良く元就が頭を動かして、背後の元親に打ち付ける。衝撃でがっくんと首を逸らしながら――というか、元就の頭が顎にヒットしてくらくらとしてしまう。

「だってこの機会を逸したら…」
「我は遊びでこのような事を受け入れる気は無いが」
「うッ…!」

 緩くなった拘束に、元就が身体を反転させて此方を睨みつける。眉間に二本の皺が刻まれ、腕組をしながら睨め上げてきた。

 ――遊びで受け入れる気は無い。

 強かに打ちつけた顎を押さえながら、元親はその言葉に引っかかりを感じた。勿論、遊びのつもりは無い。だが気持ちを告げても、まだ通じているわけでもない。
 只管に待たされている状態なのだ――其処から一歩も踏み出せずにいるのに、そんな風に言われたら、さも強く「待て」と突きつけられたようなものではないか。

「だったら何で?何で赦した?」
「…其れくらい、男なら察しろ」

 吐き捨てるように元就が告げてくる。苦虫を潰したような表情で彼は俯いた。

「全くいつまでも子どものようで適わぬ。期待した我が馬鹿だった」
「期待…?」

 元親が瞳を見開く――だが吐き捨てると元就は障子に手をかけて、すぱん、と勢い良く開け放った。

「え…ちょっと、待てよ!」
「夕飯が冷める」
「元就、元就ってばッ!」

 ずかずかと廊下を歩き出す元就の肩に手をかける。だがそれを振り解かれ、再び肩を引っつかんだ――もう一度振り解こうとした元就の腕を、強引に引っ張って自分の方へと向けさせた。
 かっこん、とこんな状況に相応しくなく、獅子脅しが暢気な音を立てていた。

「お前、俺が強引にしたら…」
「五月蝿い」
「そしたら怒るよな?絶対、赦さないよな?」
「ええい、五月蝿いわッ」

 確認を込めて、真剣に問いかける。だが元就は、もう沢山だとでも云うように瞼をぎゅっと瞑った。

「元就ッ」

 こんな風に激昂する姿は珍しい。激昂――いや、これは彼の羞恥の表れだろう。元親はそう判断して、細い両肩をぐっと掴んで覗き込んだ。

「聞かせて。俺、どう行動したらいい?」

 ひく、と元就が息を飲んだ音がした。その音を聞いた瞬間、元親は強く元就を引き寄せて抱き締めていた。

「そんなの、自分で考えろ」

 腕の中で元就がそう呟く。泣くんじゃないかとさえ思った彼が、額を元親の胸元に押し付けてきていた。

「元就…――」

 名前を呼ぶたびに、愛しさだけが込み上げてくる。背中に腕が回ることはなくても、こうして側に居るだけでも良かった。それを急いでしまっている自分が情けなくなってきた。
 だが落ち込み始めた元親の背に、ふわり、と触れてくる感触があった。

「――――…ッ」

 ゆるゆると動いた手が、元親の肩甲骨に微かに触れる。それが元就の手だと――彼からの抱擁だと気付くと元親の視界が一気に歪んだ。

「元就…もと、なり…――」
「暫し、このままで」

 くぐもった元就の声が動揺していた。ぶわりと背が――触れられた処が熱くなってくる。元親はそのまま掻き抱くように元就を抱き締めていった。






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