Cherry coke days





 社会科準備室の鍵を閉めて、小十郎の胸に顔を埋めていると、ふ、と小十郎が首筋に息を吹きかけてきた。

「ひゃッ!――…ッな、ん…だよっ」

 ぞくん、と首筋の肌が粟立つ。政宗は咄嗟に首に手を当てて振り仰いだ。すると、小十郎が口元に手を当てて、ふむ、と政宗の様子を観察している処だった。

「いや、気持ちよさそうに瞼を閉じてたから…寝ちまったのかと」
「そんなわけあるかッ!」
「それにしても伊達…案外敏感なんだな」

 ぎゃんぎゃんと叫ぶと小十郎がくすくすと笑い出す。丸っきり子ども扱いしてくるのが腹立たしい。政宗はぎろりと小十郎を睨みつけると、手を伸ばして彼のネクタイを引っ張った。

「うわ…っ、おい、伊達ッ」
「Shut up!」

 勢いで前屈みになる小十郎のネクタイを思い切り引っ張って、政宗は素早く其処に顔を寄せた。ネクタイでばれない様にしていたが、小十郎は案の定、ボタンを幾つか外しており、そうしてずらしてしまえば素肌が覗いてくる。

 ――がりッ

「――――ッ!」

 強く噛み締めると小十郎が小さく呻いたのが解った。とん、と政宗は彼の肩を押してから、ふん、と鼻を鳴らした。

「痛いなぁ、まったく…」
「仕返しだ、仕返し」
「割りに合わねぇ気がするんだがな」

 噛まれたというよりも、歯が当たったくらいだ。だが小十郎の首の付け根は赤くなっていく。腕を組んで顎を引いて睨みつけると、小十郎の手が伸びてきて、くしゃくしゃと頭を撫でてきた。

「子ども扱い、すんなよ」
「子どもだろ?」
「子どもじゃねぇよ」
「――ムキになるところが、ガキ」
「そういう片倉はガキに手を出すんだ?」

 売り言葉に買い言葉で政宗が其処まで言うと、はっと気付いたように口を噤んだ。だが既にそれは遅かった。
 小十郎は、ふう、と溜息をついてから静かに歩いていくと、戸に手をかけた。

 ――かちゃん。

 鍵が開けられてしまう。そして彼はドアを開けて、其処に立った。

「そう云うんなら、出ていいぞ」
「――――ッ!」
「そしたら、元の教師と生徒だ。それで良いんだよな?」
「あ…――、っ」

 ぐっと言葉が詰まる。入り口に立つ小十郎は静かに――眉間に皺を寄せて此方を見つめている。

 ――ただ謝れば良いだけなのに。

 中々言葉が出てこない。だがココから足を動かすだけの力も無い。彼を怒らせてしまったのは解るが、其れに対して謝ることが出来ない。

 ――どうしよう、どうしたらいい?

 ぐるぐると思考を廻らせていると、だんだん視界が歪んでくるような気がした。こんな事ぐらいでと思うが、一度は振られている身としては、最悪の結果を想像してしまう。
 もう大丈夫だと何度も自分に言い聞かせても、まだ信じられない――いつでも彼が自分から離れてしまうのではないかとさえ思ってしまう。

 ――嫌われたくなくて、あんまりメールとかもしないし。

 必要最低限に――でも最近は少しずつその回数は伸びてきてはいる。でもそれがいつ途切れるかと気が気ではない。
 政宗は拳を握りこみながら、唇を噛み締めた。そして小十郎を見上げると、静かに呼びかけた。

「片倉…俺、――っ」

 こく、と咽喉が軽く音を立てる。小十郎は政宗の変化に、険しくしていた眉根を徐々に解いていく。その様子を確認しながらも、足ががくがくと震えてくる気がしていた。

「俺、俺が…ッ」

 ――たった一言言えば良いだけ。

 それなのになんでこんなに勇気が居るのだろう。ずる、と微かに足元が音を立てて半歩動き出す。

「かたくらせんせい、はいってもよろしいですか」
「――――ッ!」

 政宗が顔を上げた瞬間、急に小十郎の傍らから上杉先生が顔を出した。彼は腕に沢山の資料を抱えている。それが今にも崩れ落ちそうで、横から小十郎が資料を半分受け取る。

「あ、はい…これはこれは凄い数ですな、上杉先生」
「どうも、いたみいります」

 資料を半分持った小十郎に、上杉謙信はにこりと笑いかけて中に入ってきた。そして政宗に気付くと、おや、と瞳を見開いた。

「――――…ッ」

 目があった瞬間、政宗は一気に部屋の中から飛び出していた。素早い動きで小十郎の横をすり抜け、廊下を走り出す。

「おい、伊達ッ!」

 背中に呼びかける声が響く。肩越しに振り返ると、小十郎が手を握って耳元に当てていた。そして「後でな」と声をかけてきた。

 ――後で電話する。

 彼の言いたい事を受け取って頷くと、政宗は蒼いジャージを翻して走っていった。

「まるで、しっぷうのようでしたね」
「すみません、慌ただしい奴で」
「かたくらせんせいは きにいっているごようす」

 くつくつ、と咽喉を鳴らして静かに謙信が笑う。その一言に今度は小十郎が、くん、と咽喉を鳴らした。謙信はちらりと視線を投げると、口元に手を当てて笑いながら指差してきた。

「どこのごじんですか」
「は?」
「くびに」

 はっと気付いて小十郎はネクタイを締めあげた。そして笑う謙信に背中を見せて、窓の外を眺める。ぎ、と回転椅子が音を立てていく。小十郎は政宗に噛まれた首元に手を当てて、徐に携帯に手を伸ばしていった。






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:2010.01.23/20100307 up