Cherry coke days





 走りこむ先で、外に出ると虫の声が響いていた。後ろから慶次が追いかけてくる気配に気付きながらも、どうにかして此処から離れたい気持ちだった。
 真っ暗な山や、街灯の少ない道が、いつもの明るい夜のイメージを壊していく。それでも鼻先には夏の焦げ付いた匂いが宿ってくる。

「待てよ、政宗ッ」

 馴れない暗い道に足を取られると、背後から慶次が追いついてきた。肩に慶次の手がかかり、政宗は足を止めた――二人とも、はあはあ、と呼吸が荒い。

「ごめん…俺、先走って…」

 呼吸を置いてから慶次が背後から口を開く。それでもまだ呼吸は乱れていて、途切れがちになっていた。確かに政宗は彼に真意を聞いて欲しいなどと言った覚えは無い。だが、気になればそれは政宗の知る範囲外でもある。

 ――責めるつもりもないし、そんな資格もない。

 盗み聞きしてしまったのは自分だ。そして、彼から――小十郎から出てきた言葉は、政宗の予想を打ち破るものだった。
 胸がじんわりと暖かくなってくる。息を飲んで――優しくされる度に、どうして、と淡い期待を抱きながらも、適わない恋心に悩まされる日々だった。それが、今全て覆ろうとしている。
 政宗は、慶次、と肩に手を置いている彼に声をかけた。シャツ越しの手には、たぶんしっとりと汗が染みているに違いない。だが、そんなものは関係なかった。

「――俺、望み、捨てなくて良いんだよな?」
「政宗…――ッ」
「さっきの、片倉の言葉、信じても…っ」

 其処までいうと、咽喉の奥から競りあがってきた嗚咽が、言葉を遮っていく。俯いて、首を軽く振って、こみ上げてくる涙を振るった。

 ――ぱらぱら。

 落ちる滴が、りいりい、と鳴く鈴虫たちの上に降って行く。辺りに、ほんわりと蛍光が揺らいでいた。すると、ふわり、と強い腕が背後から伸びてきた。そして引き寄せていく。

「泣くなって」

 ぱたぱた、と頬に伝わる涙が、慶次の腕の上に落ちる。慶次の腕にしがみ付いて、政宗は熱くなる目頭を指先で拭うと、空を見上げた。其処には、一面の星がある――今にも降って来そうなほどの、幾千もの瞬きがある。

「だって、全く嫌われてしまったんだって…そう思ってたから」
「政宗…」

 ――嫌われている訳じゃ、なかった。

 それだけでも嬉しいのに、まだ仄かな期待を抱いていても許されることが解ったのだ。淡い想いだとしても、それを握りつぶすことをしなくてもいい。
 政宗が、はあ、と鼻を啜りながら息をつくと、慶次が肩を掴んで、くるりと政宗を回した。そして、正面から肩を支え、間近で覗き込んでくる。

「後は政宗の押しに掛かってる」
「慶次〜ぃ」

 政宗の涙腺が、堰を切った様に崩壊していく。こんなのは失恋した夜以来の事だ。ぼろぼろと涙を零していくと、慶次は親指で涙を拭いながら笑った。

「ほらぁ、泣くなよ」
「お前、泣きたい時には胸貸してくれるって言ってたじゃねぇか」

 拳を作って政宗が鼻をぐずらせると、ぐい、と慶次のシャツを引っ張って涙を拭いた。途端に、慶次は「うわっ」と声を上げたが、怒る事はせずに眉根を下げる。

「言ったけどね…でも俺、政宗や皆が泣いている顔なんて厭だな。観ていたくない。皆、笑って、咲いて、恋を謳歌している方がいい」

 ――だから、泣かないでよ。

 慶次は優しく瞳を細めながら笑うと、政宗の鼻先を摘んだ。真っ赤になっている目で慶次を軽く睨むと、政宗は「ありがとう」と彼に伝えていった。










 夜半に差し掛かってから、飛び出した慶次と政宗が帰ってきたのには気付いていた。だが外に出て行く気にもならず、皆が寝静まった頃に小十郎はビールを片手に、リビングにいた利家に声をかけた。

「利家、ちょっと良いか?」
「ああ、どうした?」

 ぽり、とピーナッツを齧っていた利家が身を起して席を勧める。今日は、まつは旅館の方に泊まりこみだと言っていた。だが彼の眼の前には、彼女の作って行った煮物や、漬物が拡げられていた。
 小十郎は彼にビールを渡すと、ぷし、と弾けるような音を立ててプルタブを開け、くいと飲み込む。同じように利家もビールに口をつけたところで、小十郎は低い声で彼に訊ねた。

「お前、まつさんが好きだって気付いた時、どうした?」
「何をいきなり!そりゃあ、正面切って告白したッ」

 ぐほ、と噴出しそうな勢いで利家が声を荒げる。だが直ぐに、こほん、と咳払いをして――念を押すように「俺から、告白した」と繋げた。

「迷いは、無かったか?」
「何で迷う必要があるんだ?俺はまつが好きだ、その気持ちに偽りは無かった。だから、告げただけだ」

 ――簡単な事だ。

 微かに耳元を色付かせて利家が話す。だが其処まで言うと「何だ、恋の悩みか?」と楽しげに口元を歪めて小十郎に向き合ってくる。
 だが小十郎には、ただ楽しむ気持ちにもなれなかった。ずっと頭を悩ませているのは、あの日の彼の見上げてきた視線だ――花火の光に彩られながら、ただ見上げてきていた政宗の顔だ。直視しないようにと、直ぐに思いを断ち切るつもりで反らしたが、一瞬でも瞼に妬き付いてしまった。

 ――嫌いなんかじゃない。むしろ、好きだ。

 離れた年齢や、立場が、一歩を踏み出す勇気を削いで行く。ほんの数時間前に話した彼らの方が、ずっと自分たちの気持ちに正直で、純粋だった。

 ――大人ってのは、ずるくて、臆病なもんだ。

「自分の今おかれている立場とか、そういうのを考え込むとなぁ…」

 はあ、と溜息を付きながら、風呂上りの――濡れたままの髪を手でぐしゃりと動かすと、かかか、と利家が目の前で笑う。

 ――何だ、そんなことか。

利家は明るく笑い飛ばしていく。こんな状況で思わず小十郎は彼に助けを求めてしまっていた。何か答えが欲しくてならなかった。

「何だ、片倉。お前、臆病になったな」
「そう、だな」

 改めてそう言われてしまうと、すとん、と心の棘が抜けていく。小十郎は、ふふ、と口の中で笑うと、進められるままに煮物を口に放り投げた。

「偶には羽目を外せ。でないと、本当に欲しいものさえも無くすことになるぞ」
「ああ……」
「好きなら、好きでいいじゃないか。問題があるのなら、二人で解決すればいい。お前一人で恋愛はするものじゃないぞ?」
「そうだな、利家。俺も、少し柔らかくなってみるさ」

 頷きなら、利家が更に酒を薦めてくる。それに応えながら、小十郎は少しの決心を胸に焼き付けていった。




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2009.11.01.Sun.16:30/091118 up