Cherry coke days




 朝食の準備が整う頃合に、利家と幸村は野駆けから戻ってきた。楽しそうに笑いながら帰ってきた二人だったが、幸村は泥だらけになっていた。

「旦那っ、あんた何やってきたのさ?」
「おお、佐助!楽しかったぞ、利家殿について野山を駆け巡り、道なき道を…」
「危ないことしてんじゃないよッ!もう、馴れてないなんだから、少しは自重してよね」
「何を言うか。利家殿が付いておったから危なくは無い」

 ふん、と泥だらけの顔で幸村が言う。それを玄関先で見守りながら利家が豪快に笑っていた。言われるだけあって、幸村の顔も身体も、何処も彼処も泥だらけ――しかも山の黒土がべっとりと付いている。

「幸村君は頭から突進してなッ。見事な転びっぷりだったぞ」
「――旦那」

 ひやり、と佐助から冷たい気配が漂う。それに気付いて幸村がじりじりと足元を後ろに動かした――逃げようとしているのは明白だった。

 ――がしっ

「即刻、風呂直行ッ!隅々まで洗ってやるッ」
「厭でござるあぁぁぁぁぁッ!」

 まるで洗われるのを嫌がる猫か犬かのように、幸村が逃げようとする。だがそこは馴れている佐助の手腕だ――あっさりと幸村を掴みこむと、ずるずると引き摺っていった。

「何やってんだよ、あいつらは…あ、こら元就。あいつらの分は食うんじゃねぇぞ」
「む…わ、解っておるわッ」

 既にまつは旅館の手伝いに行ってしまったらしく、テーブルの上には食事が並べられていた。元就の隣の席に元親が陣取って忠告する。元親の忠告が無ければ、こっそりと元就は皿を引き寄せていただろう。

「ほら、俺のやるからよ。好きだろ、オクラ」
「……元親」
「うん?どうした?」

 小鉢にはなめことオクラのおろし合えが入っている。元親はそれを彼に渡していくと、元就はじっと元親を見上げた。

「いや、いい…――貰うぞ」
「ん?おお…食えや」

 元就はこくりと頷くと小鉢を抱え、もそもそと箸をつけていく。その隣で元親は鰆の西京焼きと玄米入りのご飯を口に、ばくばく、と入れるとすぐさまお櫃を開けてお替わりをしていった。










 風呂場に直行すると、昨夜入った時とは雰囲気が違って見えた。総檜の風呂には湯は張っていなかったが、ほんのりと檜の香りがしていた。其処に淡く朝の光が差し込んでいる。

「旦那、全部脱いでよ?」
「え…――ぜ、全部ッ?」
「そ、全部ね。洗濯しないと…って、あ…ご、ごめん」

 脱衣所で振り返った幸村が、ぎゅ、とシャツの裾を握っていた。そして、ぶわ、と紅くなっている。それを視界におさめてから、佐助は「しまった」と言葉を濁した。

「変な意味じゃないからね。だから、脱いで。泥、落としてからじゃないと洗濯機入れられないし…」
「あ、そ…そうだな。うん…すまん」

 ぼぼぼ、と耳まで赤くして幸村はぼそぼそと答える。そしてシャツに手を伸ばし、ぐいぐいと脱いでいく。だが佐助に背を向けていた。佐助は肩越しにそれをじっと眺めていた。幸村の背には、くっきりと肩甲骨が浮き上がっている。腕を動かすたびに動く其処を、じっと見つめていると、むずむずとした感覚が身のうちを動き回ってくる。

 ――触りたいなぁ。

 実のところ、夏祭り以降彼とは肌を合わせていない。というのも、良い雰囲気になると幸村から逃げていくのだ。

 ――何か失敗したかなぁ?

 佐助はタオルを手にして肩越しに見守っていた。すると、ぱら、と幸村が自分で結っていた髪を振り解く。

「佐助…その、あんまり見られていると」
「恥ずかしい?」

 ――もっと恥ずかしいことしたのに。

 くす、と鼻先で笑うと幸村が眉間を寄せた。そして唇を尖らせたかと思った瞬間、ぬ、と幸村の手が伸びてきて佐助の胸倉を掴んだ。

「え…――」

 ぐい、と強く引き寄せられていく。そしてそのまま、噛み付かれるかのように唇をふさがれた。
「ん…――だ、旦那?」

 少しだけ口唇を離して見せるが、そのまま再び幸村から強く口付けてくる。佐助の蜜色にも見える髪を――後頭部に回した手で掴みこみ、離さない勢いだった。

「どうしたの…ちょ…――っ」
「ん、っく…――」

 ふう、と吐息を繋いでから、ずる、と幸村が唇を離し、佐助の首元に顔を埋める。佐助は自然な動きでそのまま幸村の背に手を回して、そっと抱き締めた。

「馬鹿者が」
「え?」

 佐助が聞き返すと幸村は顔を起こさないように、強く佐助の首元に額を押し付けた。
「好いた相手を前にして、平静でなど居られるものか」
「――――…ッ」
「は…恥ずかしくて、俺はもう顔から火を噴きそうだというのに」

 ――あまり苛めるな。

 呟く幸村の声はたどたどしくなっていく。密着している彼の髪からも、身体からも、泥と山の匂いが強く香っている。だが佐助はそのまま強く幸村の背を抱き締めながら、小さく、ごめんね、と告げていった。





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2009.09.26.Sat.19:31