Cherry coke days




 その時に全て終わったなんて信じたくなかった――だから信じない。




 政宗は重く、痛みを訴える頭に手をやりつつ、ゆっくりと身体を起こした。自室のベッドの上で、腫れぼったい瞼を擦る。

 ――なんでこんなに頭重いんだ?

 ふとそんな疑問に駆られて昨日のことを思い出そうとする。昨日は確か花火を見に行った――そして其処で、片倉に振られた。

「――――…」

 そうだった、と思い出し、今こうして目が覚めていることに夢ではなかったのだと実感する。ぐす、と政宗は再びこみ上げてきそうになる涙を堪え、目元を擦った。

「政宗、起きた?」
「慶次…――お前、泊まったのか」
「うん…だってさ、鍵、そのままに出来ないし」

 ふあ、と欠伸をしながらベッドの下から首を、ごきごき、と鳴らしながら慶次が身体を起こす。鍵をそのままに出来なかった――ならば両親はやはり戻っていないのだろう。

 ――元々、半別居の夫婦だし。仕事、二人とも忙しいしな。

 仕方ないか、と政宗は溜息を付く。その瞬間、ずきん、と頭が痛みを訴えてきた。

「頭、痛むんだろ?薬飲みなよ」

 はい、と慶次が自分のバックから錠剤を取り出す。それを受け取って飲み込むと、政宗は慶次に向き合った。

「ありがとな、慶次」
「気にしなさんな。俺で良かったらいつでも胸、貸すぜ?」

 ――どん。

 慶次が気遣いながらも、自分の胸を叩いてみせる。それに政宗も口元を綻ばせて、はは、と笑った。

「何度も借りて堪るかよ」

 ばふ、と布団を直しながら反論する。すると慶次は抱えていたクッション――彼は見事に床にごろ寝をしていた――を抱えて、にやりと歯を見せて笑った。

「ええ?でも昨日の政宗、可愛かったよぅ」
「寝言は寝て言え。その場で永遠の眠りにつかせてやるッ」

 ――ばふ。

 足元に転がっていたクッションを慶次の鼻先にぶつける。彼は「酷いなぁ」とその場に寝転んだ。それを見下ろしながら政宗はクローゼットから服を取り出していく。

「まだ帰るなよ、朝飯くらい作ってやる」
「政宗の朝飯?マジ?大人しく待ってるよッ!」
「その前にちょっと風呂行ってくるけどな」
「――俺も後で入らせて」

 ――流石に汗臭い。

 ばたばた、と慶次が浴衣の襟元をはためかせる。それを見つめてから、ジャージなら貸すぜ、と言うと慶次はこくこくと頷いていった。












 風呂上りの髪をタオルでぎゅっと巻き、そのままでキッチンに立つ。冷蔵庫の中を見れば一通りのものは揃っている。
 政宗は静かに中を吟味すると料理を始めていった。その間に慶次が風呂に入っている音が聞こえて行く。慶次の事だから朝っぱらから、ゆったりと湯船に浸かる気に相違ない――以前泊まった時もそうだった。ならば時間はある。

 ――飯はもう炊けるし…煮浸しと、焼き魚、あと卵と野菜で炒め物でもするか。

 がさがさと野菜を取り出しながら頭の中で献立を立てていく。こうして朝食を作るのは久しぶりだった。休みの日には作ることもあるが、大抵昼からだったりするし、気まぐれにしか朝は摂らない。
 ことこと、と味噌汁の為の湯が沸いてきて、蓋を片手で取り上げてから、出汁をとっていく。無心になりながら行える点では料理は結構、気分転換になるものだ。

 ――朝飯は一日に欠かせないんだぞ。

 ふと小十郎の言葉が脳裏を掠める。一人だと食べない朝食だ――それを彼に指摘された。あの時食べたホットサンドとラテの味を思い出して、包丁を握る手が止まった。

「――――…ッ」

 ――ぽた。

 歪んだ視界から、涙が零れた。政宗は口元を手で覆うと、ずるずるとその場にしゃがみ込んだ。
 唐突にくるこの感情の波をどうしたらいいのか判らない。

 ――好きなんだよ、好き…好きだ。忘れたり、諦めたりなんて、急には出来ない。

 いつかはいい思い出になる、なんて言われるかもしれない。だが当事者にはそんな慰めの言葉なんて何の糧にもならない。

 ――今すぐ、どうにかしたいのに。

 不安定になるこの感情に、どう折り合いを付けたらいいのか。
 誰かそれを教えてくれ、と願うのに、結局は自分でやり過ごしていくしかないのだ。

「片、倉ぁ…――…っ、うぅ、」

 女々しいと言われようとも、まだこの胸には彼がしっかりと居座っている。思い出になんてして、軽くなかったことには出来ない。政宗は涙が引くまでそのまましゃがみこんでいった。










「また、泣いただろ?」
「泣いてない」

 嘘だぁ、と箸を向けて慶次が言う。風呂上りの彼は長い髪をくるくると巻き込んでいる。その姿が意外と似合っていて、噴出しそうになった。

「だって、涙の痕、あるよ」

 もぐ、と二杯目のご飯を口に運びながら慶次がじっとりと見つめてきていた。政宗は気にすることもなく、茶を啜った。湯気が鼻先に辺り、すん、と鼻を鳴らすと慶次が、強情ッぱり、と笑った。

「嘘、つかなくていいのに」
「俺が厭なんだよ」
「恋の痛手なら、笑ったりしないよ」

 もくもく、と慶次は言いながらも箸を進めて行く。見事な食いっぷりに政宗が見入っていると、粗方食べ終えてしまう。

「ごっそさんッ!」
「おぅ、お粗末様」

 ぱん、と手を合わせた慶次がそのまま身を乗り出してきた。

「なぁ、来週、空いてる?」
「――え?」
「旅行、行こうぜ」
「なんだよ、急に…――」

 身を乗り出してきた慶次に圧倒されてしまう。彼が動いた際に、はら、と纏めている髪が慶次の肩先にひと房落ちた。
 ぐわ、と慶次が拳を握りこむ。そして、見栄をきるように声も高らかに叫ぶ。

「そうだ、傷心旅行に行こうッ!」
「お前はJ●の回し者かッ!」

 ――ばしッ。

 思わず慶次の頭を叩き落していた。政宗が、ふうふう、と肩で息をしていると、慶次は叩かれた頭を摩りながら「違うってば」と苦笑した。

「まつ姉ちゃんの実家がさ、旅館やってて。この時期手伝いに行っているんだけど、皆で来ないかってさっき電話来てさ」

 提案してくる慶次に、ふと、それも良いかもしれない、と思った。何かしていた方が気が紛れるに違いない。このまま一人で居たら、たぶんまた、めそめそとしてしまうだけだ。政宗は、こくり、と頷いた。

「うん、皆で行こうよ」

 優しく慶次がそういう。彼の笑顔に、政宗は小さく「ありがとうな」と言った。










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Date:2009.09.04.Fri.22:04