Cherry coke days 花火に行くと云うその日に――いつもならば、待ち合わせの五分前には来るはずの元親が来なかった。元就は、珍しいこともあるものだ、と頭の隅で思いながら家の前の門を開ける。そして然程離れているとは言いがたい目の前の家へと足を向けた。 ――かたん。 門を開け、中に入る。そして呼び鈴を鳴らしたが応答が無かった。その事に珍しいと思いながらも、裏庭の方へと回る。こちらも勝手知ったるという風体で動く――裏庭への道には低い垣根があり、それを元就はひょいと跨いだ。 ――昔は乗り越えるのが大変だったのに。 跨いだ後に垣根を見つめて思案する。だが直ぐに元就は前を向くと裏庭に面しているベランダまで歩いていった。 「あ」 「――…ッ」 ふと目の前に見知った姿があった。ベランダから降りてくる寸前の元親と目が合う。 「元親…その、姿は…――」 「ああ、クソッ!折角驚かせてやろうかと思ったのによぅ」 元親は言いながら置いてあった下駄に足を入れる。慣れた仕種で下駄を履くのをじっと見つめてしまった。案外と綺麗に切りそろえられた足の爪――そこから踝、と徐々に視線を上げて行く。 元親は和装をしていた。てっきり洋装のままだと思っていたのに、彼は和装だったのだ。 ――あんなに嫌がっていたのに。 見れば元親は白地の絣を着て、各帯で貝結びをしている。着慣れない様子でもなく、しっかりと着こんであり、襟からは薄紫の重ねが見えた。じぃと見入っていると元親が慌てて元就に弁明を始める。 「ほら、元就が浴衣着ろって煩く言うからよ、たまには良いかと思って」 「――…似合う」 「え?」 「似合う、な」 じっと見上げながら――視線を逸らすこともせずに言うと、元親が真顔になった。そして両足を下駄に下ろすと、こりこりと後頭部を掻いてみせる。そして俯いてから、空を仰いで、そして少し斜に構えてから元就に向き合う。 「おう…有難よ」 照れているのだと解っていても、視線を離す事が出来ない。元親の和装を見てしまうとどうしても幼い日々を思い出す。彼の母親が呉服店を営んでいたせいか、幼い頃にはよく色取り取りの着物を着せられていた。 そして夏祭りには、白地の着物に金魚のように、ひらひらと舞う兵児帯をしていた。 「ってか、お前はどうなんだよ。なんでその格好だよ?」 それを思い出していると、ハッと我に返らせられる。人差し指を向けて元親が声を荒げた。言われて元就は自分の服の裾を摘んでみせる。 「甚平では可笑しいか?」 「――出すぎ」 「――……?」 顎先に手を添えて今度は元親が上から下までを舐めるように品定めていく。元親は元就に近づくと、少しだけ身を屈めると鼻先に指を突きつけてくる。 「足が出すぎなんだよッ!」 一瞬言われたことに反応できなかった。言われてみてから自分の足元を見つめ、元就は眉根をよせると元親に噛み付いていく。 「な…――ッ。それくらい良かろうッ!」 「だってよぅ、お前その足…白いのに!焼けるぞっ」 「日は暮れるッ!焼けぬわッ」 「そこら辺の野郎になんてお前の玉の肌見せられるかよッ」 「やかましい、この馬鹿者ッッ!」 ――先程までの感傷が台無しだ。 肩を怒らせて元就が踵を返す。そして進みかけた瞬間、ぴたりと止まって振り返った。その様子を元親は腕を組みながら見つめていたが、さ、と目の前に元就の手が伸ばされる。 「ほら、行くぞ、元親ッ!」 「――――…ッ」 差し出された手に――その手を見て、ぐっと詰まった。じわりと咽喉の奥から熱くなってくる気がした。元親がその手を見つめたまま動かないでいると、元就は差し出した手をもう一度上下に軽く振った。 「どうした?」 「手、握っていいのか?」 「――……っ!」 元親の静かな問いに、ふと元就は自分の手を見下ろし、ばっと勢い良く振り下ろした。もう軽々しく手を繋いで歩く歳は過ぎている。 それなのに自然にそんな仕種をしてしまった。すべては元親の和装で、幼な心を喚起させられたせいだろうか。 元就が居心地悪く手を握りこんでいく。 ――ぐい。 ぎゅっと拳を握った瞬間に、手首を掴まれて前に引っ張られた。気付くと目の前に元親がいる――白い絣の着物の背が、やたらと広く感じられた。それを瞳を眇めながら、眩しいものでも見るような目つきで追って行く。 「俺が引っ張ってってやるよ」 「――馬鹿、が」 どうも、と元親はそれに前を見据えたままで応えた。だが元就は、我が馬鹿なのだ、と小さく口の中で呟いていった。 →26 Date:2009.08.30.Sun.17:38 |