カレイドスコープ・ライフ ――お前、人に懸想しているね? 小さな社の祭神は含み笑いをしながら佐助を指差した。そして面に覆われた顔を近づけて、佐助の頤に手を宛がうと、上に向けされる。佐助は眠くなっていた時期とは違い、体に力が沸き起こるのを感じながら応えた。碧色の瞳がきらりと光を弾く。 「あんたには迷惑かけてないけど…」 ――それはそうだろうけど、悲しむのはお前だよ? くすくすと目の前の白い狐面の祭神は咽喉を笑わせながら小首を傾げる。 この社は彼のもの――そして佐助はそれを取り巻くものだ。上位に立つ彼は顔を近づけて溜息をつきながら、佐助の所業を憂いているようだった。 「何でそう言い切れるのさ?」 ――あれは人、お前とは、生きられる年数が違う。置いていかれるよ? 「…それでも、旦那と一緒に居たいんだ」 彼の手を振り解くように顔を背ける。すると彼は肩を落として、社の奥に腰掛けた。 ――ざぁぁぁぁ 彼が手を動かすと社に取り巻く木々がさざめいた。木の葉が舞いおこり、揺れて音を立てる。吹きあがった風に身を浸しながらも、佐助は立ち尽くしていた。 ――この寂しい社に、お前は俺を楽しませてくれてきた。少しは助けてやろう。だが… 「――…」 ――お前の外見が、俺を映したものであり、力も俺が与えたものだということを忘れるな。 社の奥で足を組んだ祭神はそう告げる。 佐助は力を分け与えられた小さな存在だ。何百年と時を経てきたが神には及ばない。姿が似ているからと言っても、それを混同させてはならない。 「解ってる…」 ――万能ではないんだよ? 「解ってる…」 ――それでもと云うのなら、覚悟しておくといいさ。 ふ、と頭に掌が乗る。何時の間に側に来ていたのかさえ解らない――しかし祭神は佐助を愛しむように撫でてから、ふわりと姿を消した。 「有り難う、天狐様…」 佐助は掌に落ちてきた小さな葉を握りこんだ。丸い葉は、伸びた先が朱色に染まり、花期が近い事を告げてきていた。 ――もうすぐ旦那が通りかかる時間だ。 そう思い立ち、佐助は鳥居の元に足を向けた。暑くなってくる外気、そして夏が近づくにつれて佐助はその存在を強くしていく。夏の炎天――その瞬間を待ち侘びながら、強くなる日差しに瞳を眇めていった。 夏は暑い――しかし今年はやたらと暑く感じられた。幸村はアスファルトから立ち昇る熱気に、うへぇ、と舌を突き出してみせる。 「暑いでござる…」 「そりゃあ、夏は暑いものだよ」 隣を歩く佐助は涼やかな顔をしている。日が暮れ始めた道を一緒に歩いていても、彼の足元には影が出来ている。それを見下ろして幸村は少しだけ微笑みながら、そっと指先を隣の佐助の手に触れさせた。 ――とん。 「旦那?どうしたの?」 「いや、お前の手は冷たいなと思って」 「はいはい、じゃあ…どうぞ」 触れた手を佐助は素早く絡めとり、ぎゅう、と握った。外の熱気は強いのに、彼の手はひんやりとしている。その事に佐助が人ではないのだと実感させられてしまう。 ――知ってはいるのだが、なんとも。こうして触れられるのに。 ひんやりする手を握り返しながら、何処か寂しい心持になる。 「今年は自棄に暑いな。梅雨が過ぎたと思ったら毎日晴天ばかりだ…あ、でも、佐助とこうして外に出られるのは嬉しい…かもしれぬ」 「え…――ッ」 心寂しい気持ちを払拭するように、わたわたと話し続けると佐助が驚いたように振り返った。切れ長の瞳が、ぱっと見開かれる。 「佐助は夏にならぬと、外に出ないではないか。それに実体にも…他の季節ならば、某は一緒に歩いていると思っても、他の者には見えぬし」 「そう…だね」 じわ、と冷たいはずの佐助の手が熱くなってくる。並んで歩いていた筈が、幸村が歩調を緩めたせいで佐助が半歩前に出る。そして彼が振り返ると、少しだけ傾いた日差しが、佐助の茜色の髪をより一層紅くさせていった。 「だから、嬉しいのでござる」 「旦那…」 繋いだ掌がむず痒くなってしまう。指先を互いに動かして絡めながら、その感触に酔う。ざり、と足元が音を立てる――幸村は半歩前に出て、佐助の間近でそっと顔を近づけた。 「――…」 ふ、と微かに触れた唇が冷たかった。佐助は口付けた後に幸村の肩を引き寄せて、嬉しいなぁ、と呟いた。 「旦那、見られちゃうよ」 「そうだな…」 くすくすと笑いあいながら、実体である佐助に擦り寄る。確かに彼が存在しているのだと思うと、普段からの羞恥心など何処に行ってしまったのだろうかと思う行動に出てしまう。 一人で恋している訳でなく、二人で歩んでいる事が、嬉しくて堪らなかった。 「旦那さ、今度のお祭、一緒に行かない?」 「夏祭りか?」 「そう…夜にさ。一緒に行きたいな」 佐助が再び歩を進めて話し始める。それを聞いて幸村はパッと表情を明るくした。既に高校は夏休みだ。夏祭りの、屋台や花火――そうしたものに幸村が嫌を言うはずも無い。 「参ろう、共に」 「うん、それじゃあ…約束ね」 くるん、と手を引き上げてから、佐助は目に見えるように小指を絡めた。そして「指きりげんまん…」と歌い始める。 ――カンカンカン… 歌い終わると、遠くから響く警鐘の音があった。そして目の前を紅い消防車が走り去っていく。それを二人で見送りながら、幸村がそっと呟いた。 「サイレン…」 「最近、よく聞くよね」 佐助も茜色に染まる空を見上げながら、眉根を寄せた。 「この日照りだ。自然発火もあるとか…火事、多いな」 「そうだね。物騒だよねぇ…」 暑い日々に、炎天下での火事――それは夏休みに入る少し前から増えているような気がしていた。噂では放火との話も出ていたが、それよりも何よりも外気が熱されており、詳しくは知らなかった。 ――花火、見れるといいな。 暢気にそんな事を思っていた幸村は、ただ今は目の前にいる佐助との恋に夢中だった。 彼を失うことなど、微塵も考えることもなく、ただ幸せに身を浸しているだけだった。 夏祭りの夜、花火も上がるとのことで佐助と二人で先を競うようにして土手の方へと向っていった。途中の屋台で買ったかき氷は、いちごとメロンの味で、夫々に色が染まった舌先を見せて笑いあった。 全くの童心に返ったように幸村は躍る心を抑えられずに、あれやこれやと佐助を誘っては見て廻った。 「あと少しで花火、上がるのだろうな」 「俺様、こんな近くで花火観るの初めてだよ」 佐助は幸村の隣に腰掛けて、そのまま芝生の上に仰向けに倒れた。幸村はそんな佐助に手を伸ばして彼の頬に触れる。するとその手をとって佐助は擦り寄るように動かし、掌にそのまま唇を押し付けた。 「わ、わわ…っ、さ、佐助…ッ」 「んー?」 「や…手、止めぬか…――っ」 幸村が真っ赤になっていく。その反応が楽しいのか、佐助は余計に掌をぺろぺろ舐めていく。手の平の中心から、じわじわと沸き起こる感触に幸村は戸惑うばかりだ。 「うううう…佐助、さす…後で!後で、なら、させるから…」 「え…ッ」 がば、と佐助が腹筋を使って起き上がる。そして逃れることが出来ないように肩をがっつりと掴まれた。 「旦那、今の本当?」 「は…え?」 「後でヤらせてくれるの?」 間近に真剣な表情をした佐助が迫る。幸村は勢いで言ってしまった言葉に、改めて赤面するしかなかった。次の瞬間には思い切り佐助の顔を平手で張り飛ばしていた。 「は…破廉恥なぁぁぁぁぁッ!」 ――ばちーんっ。 小気味良い音を立てて佐助が芝生の上に再び倒れこむ。幸村は慌てて佐助を覗きこんだ。すると下から腕がにゅうと伸びてきて抱き寄せられる。 「うわあああ、や、止めぬかぁぁぁ!」 「駄ぁ目!全く本当に慣れないんだから、もう…」 「だ、だって…――」 「昨日も、こうして触れて、抱き締めあって、愛し合ったでしょ?」 「あ…愛し――な、ななああッ?」 「可愛い、だぁんな」 耳元で囁かれる言葉は幸村の羞恥心を呷るだけに足りている。佐助の物言いはストレートで時に幸村を翻弄してしまうものだ。 芝生の上でごろごろしている分にはじゃれているようにしか見えないだろうが、いつ誰に見られるかという懸念もある。幸村は泣き出しそうに眉根を下げて、芝生に転がる佐助を見下ろした。すると優しい瞳を、すう、と眇めて佐助が微笑む。 「あ、旦那、空…」 「え…――?」 背後で花火のはぜる音がした。パッと大輪の花が空に散って、振り返った瞬間、微かに映った佐助の顔が、まるで少年のように華やいでいたのが印象的だった。 幸村は途中まで話すと、手元で舟を漕いでいる佐助を指先で撫でてから、起さないようにそっと手に掬い取ると、側に置いてあったバックからタオルを取り出して、その上に佐助を置いた。タオルをそのままバックの中に収め、それから皆の方へと顔を向ける。 まるで寝てしまった佐助をこの場から外すような仕種に、元親が身を乗り出した。 「佐助、寝ちまったな。良いのか?」 「ええ…この先はあまり、聞かせたくはござらぬ故」 ぱっちりしている瞳を眇めて言う幸村は、何処か憂いを含んでいた。ここまでの話を聞く分には、佐助と出会ってからの幸福な話のようにしか思えない。しかし彼らにはそれだけではないものがあるように伺えた。 元親の肩に寄りかかりながら、元就は腕組をした。そして「先を続けるが良い」とだけ促がす。 あえて何も問われないだけ、幸村は静かに頭を垂れる。そして口を一度茶で湿らせると、そっと話し始めた。 「空に映えた花火は何処までも美しゅうござった…嬉しそうな佐助も、その後の甘い時間も、全ては永久に続くかのように思えておりました」 ちらりと幸村はバックの方へと視線を投げる。そこには、すうすう、と寝息を立てる小さな――三頭身の小さな姿の佐助が居る。 ――こんな夜は、佐助の動きだす時間だったのに。 目の前に広がる紅の花――そして肌に感じた熱気を、幸村は噛み締めるようにして思い出すと、嘆息する。 「花火が終わって、某は家に戻りました。帰り際に触れた佐助の身体は相変わらず冷たくて…今でも覚えております」 花火を見て、そして人が少なくなってから、二人は歩き出した。佐助は花火の余韻に浸っているのか、綺麗だったな、と何度も繰り返し、幸村の手を引っ張って歩いた。 佐助の現れる場所は神社だ――その前に幸村の家に着いて、入り口の前で幸村は引き寄せられるままに抱き締めあった。 「今日は有り難う、旦那」 「某とて…た、楽しかった」 「うん。また、明日ね」 「ああ…――」 ふい、と離れた体に、少しだけ寂しさを感じて、佐助の服の裾を握った。すると彼は、くすり、と咽喉の奥で笑ってから、流れるような動きで幸村の腰に腕を回すと、あっという間に口付けてきた。 「――…ッ、ん」 咄嗟のことで呼吸が上手くできなくて、大きめに口を開くと、其処に舌先が滑り込んでくる。ぬるりとした感触に、その先まで続きそうな甘い痺れを感じて、幸村は軽く拳を佐助の胸に打ちつけた。 「だ、駄目だ…ッ」 「何で?勃っちゃう?」 「あああああああんまり、そんなことを…――っ」 「ごめん、俺様、好きな子ほど苛めたくなるみたい」 くすくすと耳元に笑い声と共に囁かれて、幸村はただ身を小さく縮めるだけだった。そして佐助は耳元に「明日ね」と意味深に囁いてきた。佐助の言葉に頷いて、そして背を向ける彼を見送った。 手にも、身体にも、耳にも、佐助の感触が離れない――そんな夏だった。知り合ってからかなり経つのに、余計に愛しく感じてしまう自分に戸惑いながらも、幸村は満たされることに何の不安もなかった。 日中の、灼けたアスファルトの匂いとは違った、夜の独特の焦げた香りが、鼻先を擽る。 「花火の匂い…まだ、残っておるような」 くん、と嗅ぎ取った夏の夜の匂いの中に、微かに火薬の匂いが混ざっているようだった。花火を見ていた時にずっと嗅いでいた香りだ――幸村は脳裏に再び、夜空を見上げた瞬間の嬉しそうな佐助の顔を思い出して、ふふ、と笑いながら家に入っていった。 ――ざざざざ、ざざざざ。 社に戻ると木々がざわめいていた。佐助は寸前までの浮かれた気持ちを引き締めて、辺りの様子を伺った。 ――なんだ?何か、おかしい。 木々がざわめく。そして空気に混じる火薬の香り――耳鳴りに似た感触が佐助に迫ってきた。咄嗟に、今潜り抜けたばかりの鳥居を振り返った。空の色にハッと気付く。 ――夜が、こんなに明るい筈は無い。 「天狐様…――ッ!」 佐助は異変を察知して、社の方へと駆け込んでいった。それと同時に社のドアが開いていく。佐助は躊躇うことなく其処に飛び込んでいった。 ――力をお貸しください。 佐助は一念にそう祈りながら、社の奥に突き進んでいった。 空は赤かった。夜空が赤く染まり、程なくしてサイレンの音が響いていた。夏の、花火大会の夜に、火種が降り注いでいった。 ――カンカンカン、カンカンカン… しきりに鳴り響く消防車の警鐘音に、眠っていた幸村が目を覚ましたのは夜半だった。何だろうかと自室の窓を開けて、何度か空を見上げて瞬きを繰り返した。 「紅い…これは、火事か?」 夜空に赤々と広がる色に驚く。そしてどこら辺が火事なのかと周りを見回して、どくん、と胸が鳴った。 ――あの方角は。 小高い山になっている裏手に、武田道場がある。そしてその山には小さな社があり、其処に佐助が居る。 「佐助…――ッ」 瞬間、幸村は部屋を飛び出していた。皆が寝静まった時間だ――幸村が飛び出しても気付かれることもなかった。 幸村はまだ熱気の残る夜道を只管に走った。 つい数時間前に一緒に佐助と歩いた道だ。隣には嬉しそうに笑っていた彼が居た。だが今はその道をただ不安と共に逆流していく。 「まさか…――っ」 脳裏に過ぎる最悪の事態――それを何度も追い払おうと必死になった。紅い、明るい空の方へと向っていくと、火の粉が空に舞っているのが見えた。 幸村が駆け込んだ先では、消防車が数台停まり、只管消火活動が行われていた。 人だかりも出来ており、辺りには煤に汚れた人の姿もあった――その中に武田道場の主、武田信玄の姿を見つけて、幸村は心臓を鷲掴みにされる気持ちだった。 「お館さまぁぁぁぁぁ!」 「ぬ、おお、幸村ッ」 「ご無事でしたか…お館さまぁぁ」 彼の厚い胸板に飛び込むと、逞しい腕に抱きとめられる。すると周りに火が舞い上がっているにも関わらず、広がることもしない状況に、信玄は一度唸った。そして幸村を抱きとめながら、無事じゃ、と宥めるようにして告げていく。 「どうやら放火らしくての。辺り一面燃え広がったわ」 「なんと…――っ」 「しかし、儂は…不思議なものを…狐につままれたような…」 「え?」 信玄は顎で燃え広がる屋敷と、山を見上げた。そして、ぽつりと幸村に告げてきた。 ――逃げろと、声がした。 信玄の言葉に、どん、と衝撃を受ける。それが定かではないが、幸村は燃えている場所を再び見上げ、そして絶叫したい衝動に駆られた。 ――山が、燃えている。 それが何を意味するのか、解らない幸村ではない。幸村は信玄の制止を振り切って、一気にその場から駆け出した。 「佐助、佐助ぇぇぇッ!」 気付いたら燃える山道を突き進んでいた。大きな山ではない場所にある社を目指す。ざわざわと辺りを取り巻く木々が――紅い花を、はらはら、と落とそうとしていた。 「く…――っ、佐助――ッ」 視界の端で、社が目に入る。だが一気に燃え広がる木々が幸村の足を止めていく。何度も躓きながら、ようやく社が近づいた瞬間、ぶわり、と黒いものが視界に横切った。 ――…ッ! 火を、幹から溢れさせた樹が、倒壊してきたのだ。幸村が息を飲んで瞼をぎゅっと引き絞ると、ひやり、と腕に触れたものがあった。 「旦那、どうして来た?」 「さ、すけ…」 「もう本当にどうしようも無いんだから」 気付いたら佐助の腕に抱きとめられていた。冷たい佐助の身体が幸村を護る。 「大丈夫、旦那は俺が護るから」 「佐助…――っ」 彼の背後にただ燃える様な赫が映えて、美しいのに怖いと思った。腕を伸ばしても触れるのは何もなくて、ただ彼の冷たい身体だけが自分を護ってくれているのだと知った。 ――はらはら、はらはら。 視界を覆う紅い花。 それが一気に揺れ動く。それと同時に沸き起こっていた火が払われ、鎮火していく。 「これは…一体…もしや、佐助、お前…」 「やっと旦那は俺が何だか気付いた?」 にこ、と佐助は嬉しそうに緑色の瞳を光らせた。触れている場所は何処も彼処も冷たい。だが幸村には火の熱さは触れてこなかった――それもその筈で、辺りに植えられていた木々が――紅い花の咲く樹の葉が、幸村を包むようにしている。 「俺様は、この社の天狐さまの眷属みたいなもの。此処にとどまる花だよ。花の精…」 「佐助…――」 「此処は俺様が護るって、そう…天狐さまと約束してきたから。だから…」 ――ざああああああ。 言う佐助の背後で、紅い花が散り始める。あんなに満開になっていたのに、その赫は火を消すようにして蠢いて、そして払っていく。だが幸村は気付いていた。 その紅い花に、焔の赫が混ざっている。 ――燃えてしまう。 すう、と血の気が引いていくような気がした。この樹が、花が、炎に捲かれたらどうなるか。最近では旱魃に近いほど乾燥する日々だった。それを思うと、余計に腹の底から冷える気がした。 「佐助、逃げなくては…お前がッ」 「大丈夫だよ、怖く、ないからね」 「厭だ…俺から離れるなッ」 幸村は佐助の腕に抱き締められながら、ただ叫ぶしか出来なかった。 佐助の背後には紅い花――そして焔に捲かれる光景が広がっていく。 「旦那、好きだよ」 「佐助、佐助…――嫌だ、置いて、逝くなッ」 ぶわり、と彼の笑顔が歪む。手に触れていた肌の感触が消えていく。 「ずっと、ずっと好きだった」 「そんな言葉、聴きたくない…別れるような、そんな…」 「聞いて」 ふ、と頬に触れた手が、冷たく感じた。でもその手が透き通り始めていた。 目の前の佐助が、ふわりと紅い花を散らしていく。茜色の髪も、碧色の綺麗な瞳も、全て幸村を蕩けさせるだけのものだ。 「愛しているから」 「――――…ッ」 歪んでいく視界の先で、佐助はそう言うとそのまま幸村を抱き締めた。そして視界を遮るように手で覆い隠すと、優しく包み込むようにして抱き締めてくれた。 ――……。 その後の記憶は曖昧で、幸村が気付いた時には、煤に汚れた信玄が男泣きになりながら幸村を抱き締めてくれた。 だがその時には既に空は白んで、朝を迎えており、幸村の視界には黒く煤けた社と、焼けて朽ちた木々が映るばかりだった。 ――眼に蘇るのは、あの赫。 「――――…さ、すけ?」 小さく呼びかけてみても、彼の姿が現れることは無かった。たった一夜にして幸村は愛しい者を失った。彼がもう此処には居ないのだと、其れだけが幸村に解る事だった。 呆然と、白んだ空を眺め、腕に残る彼の冷たい感触を思い出して、幸村は泣き叫ぶしか出来なかった。 「辺りは復旧して行きますが、あの社は…ずっとそのままでござった」 幸村は静かに微笑みながら話す。政宗も小十郎も、元親も口を噤んでしまっていた。焼けた花、焼けた樹――それならば此処にいる佐助は何者なのだろうか。そんな疑問が走り出す。 皆が疑問を持っても口に出せずにいると、元就が深く溜息をついて皆を見回した。 「では其処の佐助は…?」 「佐助は、佐助でござる。少しでも佐助との接点を見つけたくて、何度もあの社に通っておりました。どれくらい…夏が過ぎて、程なくした頃でしょうか。焼けて焦げた百日紅の樹から、小さな芽が出ておりました」 ――その芽を接木して、ようやくこの姿に。 幸村はにこりと微笑んで眠る佐助を指差した。タオルの上で眠る佐助はそんな話をされているとも知らずに、すうすう、と寝息を立てるだけだ。 「見つけた時は必死でござった。大事に、大事に、持ち帰り…根を張ったころ、ふわふわと光の玉になり、程なくして此処なる佐助が現れもうした」 その時のことは忘れられない。枯らしてなるものかと、園芸などしたこともなかったのに、必死に調べて育てた。だが佐助は目を覚ましてから、幸村を直ぐに認識してはいたが、些細は違いはあった。 「しかし、同じ樹から芽吹いたとはいえ、一度は朽ちた身……記憶を半分失っておりましたし、少し幼児返りしておりましてな」 「なるほどな…でも、好きなんだろう?」 政宗は溜息と共に促がす。すると幸村は「勿論でござる」と華やいだ笑顔を見せた。どんな姿になっても側に居てくれる――それを思えば、あの瞬間で全て失われたと思った時の絶望感に勝るものはない。 「以上でござる。流石に話し疲れもうした…」 幸村は眉を下げて肩を落とす。すると直ぐに元就が「泊まって行け」と促がしてくれた。それに頷いていると元親が腕を天井に向けて伸びをする。 「話もひと段落したし、そろそろお開きにするか?なぁ、元就」 「そうだな…時に元親。お前、あと数日で花期が終わろう?」 「あ、ああ…まあな。また来年だ」 紫紺の瞳がしっとりと元就に向う。そんな二人を見つめながら、政宗は掌を小十郎に向けた。そして小十郎を乗せると、そのまま音を立ててキスする。 「あー…なんか真田の話聞いてたら、余計にお前が愛しく思えてきた」 「な…何を申されます、政宗様!」 「好きだぜ〜、小十郎」 「きょ…恐縮でございます…ッ」 小十郎は政宗の掌の上で正座すると、真っ赤になっていく。それを眺めながら、政宗は勝手知ったる状態で「俺も泊まってく」と元就に告げていた。幸村は彼らの平和な遣り取りを見つめてから、眠る佐助の方を観て、ふふ、と小さく口元を綻ばせるだけだった。 瞼の裏に蘇るのは、あの日の赫――そして彼の愛の告白が、今もまだ幸村の胸を締め付けている。あの熱に浮かされたかのような、暑い日々が迫ってくる。 朝早くに店の周りの植物に水を捲きながら、幸村はほうと溜息をついた。 「夏はもう直ぐでござるな…」 翌日の晴れた空を見上げ、花を終えようとしている元親の藤を見てから、そっと幸村は佐助の方を見つめた。すると佐助は小さな腕を伸ばしてから、そうだね、と応えてくれる。 「のう、佐助。出逢った時を覚えて居るか?」 「うん?旦那がまだちっさくて、可愛かったのは覚えてる」 ふふふ、と楽しそうに佐助は応えると、変わらない碧色の瞳で幸村に笑顔を向けてくれた。持ってきていた鉢植えの樹肌を撫でると滑らかな感触が手に触れる。つるつるとした感触に何度も撫でてしまうと、佐助は流石に「くすぐったい」と幸村を止めた。 「今年も綺麗に咲いてくれるか?」 「勿論。沢山愛してくれる旦那には大サービスするって」 ――もう直ぐ、俺様の季節だよ。 佐助は、ぴょん、と幸村の肩口に乗ると、耳元に手を添えていく。 「俺様、百日紅だから夏中サービスするよ〜」 「百日咲くから、だったか。名前の由来は」 「旦那を夏の暑さに負けないくらい熱く、ずっと愛してあげるから」 ――待っててね。 囁く声に幸村はただ破顔するしかない。ひんやりとした樹肌をもうひと撫でして、楽しみにしてる、と言うと佐助は幸村の頬に飛びついていった。 彼の姿で夏の暑さを忘れた、あの邂逅の瞬間――それが偶然だとは思わない。 佐助と出会ってからの日々はいつも幸せに溢れている。今もまだ、それは変わる事無く。 →9(エピローグ) 100725 逆転花の精・佐幸、終了。佐助は百日紅でした。 |