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 まさか本当に当たるなんて思っても居なかった。
 それは買い物の帰りに寄った福引だった。いつもは素通りしていく所だが、この日に限っては商品が良かったのだ。

 ――洗剤の詰め合わせ…おお、缶詰セットもある。

 がさがさと買い込んだ食品を持ち、レジでの会計時に貰った抽選券を取り出す。数を数えていると2枚足りなかった。

「使うか?」
「旦那…って、あんた何食べてんの」

 すい、と横から差し出されたのは抽選券だった。買い物には二人で来たのに、彼はさらりと一瞬姿を消してしまっていた。そして今手元にはたこ焼きがある。

「直ぐにご飯だって言ったでしょ」
「しかし腹が空きすぎて…ッ」

 抽選券を差し出したままで幸村は慌てる。いつもはもっと小言を言うところだが、抽選券が欲しかったのでそれ以上は追求しなかった。
 佐助は腕まくりをしながら抽選の列に並んだ。すると隣にちょこんと幸村も並ぶ。

 ――二人暮らし、はじめたばかりだもんね。

 念願だったといえばそうだ――幸村が大学に合格して、親元を離れる決意をしてくれたのと、佐助の家の契約期限が迫っていたこともあり、いっそのこと一緒に住もうと決めた。
 だからこの春からは二人暮らしな訳だが、とかく必要なものは多い。一人で暮すのとは違い、全てが二人分だ――だがそれを厭うわけではなく、楽しく思えてしまっているから世話はない。

「俺様、3等の洗剤セットが欲しいんだよねぇ」
「ぬ…某は5等の焼き菓子の詰め合わせが欲しいぞ」

 からからと福引の廻る音がする。それを聞きながら二人でそんな事を話しているうちに、目の前に佐助の番が来た。

「よっしゃ、旦那ッ!頑張るねッ」
「焼き菓子セットだぞ、佐助ッ」

 がさ、と買い物袋を手に持って幸村が拳を握る。佐助は一度手を顔の前で、ぱん、と合わせると福引に向っていった。

 ――からからから。

 軽やかな音を立てて、目の前に小さな玉がぽとんと落ちてくる。

「あ」

 ぽとりと落ちてきた玉の色は金色――ゆるゆると首を伸ばして商品の描かれている看板を見上げた。

 ――特賞:温泉ペアチケット。

 視界に飛び込んできた文字に、信じられない気持ちでいっぱいだった。しかし直後に鳴り響いたベルの音に現実だと気付かされる。

「凄いッ!凄いぞ、佐助ッ」
「は…ははは。旦那、温泉行こうか…」

 背後から抱きついてきた幸村の腕に手を添えながら、洗剤セットへの未練を断ち切れずに佐助は苦笑していった。










 二人の休みを合わせていくと、中々予定を決められなかったが、連休を避けて平日に来たのは正解だったと思う。特賞で引き当てた温泉場に二人で訪れた際には、ロビーからしてゆったりと時間が流れているかのような状態だった。すれ違うのはご高齢の方くらいだ。

「ウィークディだから全く混んでなくて良いねぇ」

 部屋に通されてから荷物を置くと、空かさず幸村はテーブルの上に出されていた茶菓子に瞳を光らせている。

「凄いぞ、佐助っ!三種類も置かれている」
「食べて良いよぅ。お茶淹れようか」
「うむッ!と…言いたいところだが」

 先程、仲居さんが説明してくれた通りに、クローゼットを開けると浴衣が入っている。佐助はそれを手にしながら、幸村の分と自分の分とを選り分けていく。幸村は一度言葉を切ると、佐助の方へと瞳を輝かせて言い放った。

「だがその前に風呂だ!」
「もう行くの?」

 たった今到着したばかりだろうと、佐助が呆れる。手にした浴衣をそれでも彼に差し出すと、幸村は自分の荷物から小さな袋を取り出してから、ばさ、と上着を脱ぎ捨てた。

「当たり前だろう。到着して直ぐ、食前食後、寝る前、そして朝起きて、食後にまた…」
「いったい何回入る気だよ!ふやけちゃうよっ」

 幸村の熱心な説明を耳にしながら佐助もまたシャツを脱ぎ出す。そして浴衣に、さ、と腕を通すと羽織を手にした――その時点で既に幸村は着替えを済ませて、今か今かと佐助が来るのを待っている有様だった。

「旦那ってば、どれだけ楽しみにしてるわけ?」
「そうは言うが、温泉にきたのだから、心行くまで堪能すべきであろう?」
「それは…」

 ――そうだけど。

 佐助が口篭りながら畳を上を歩いて幸村の側に行く。幸村は佐助の半歩前を歩きながら、時々浮き足立ちながら歩いていった。

 ――なんでこんなに元気なんだろう。

 これが年の差と考えると自分が随分と老成してしまっているように感じられてしまう。しかしそうではなくて、元々幸村のテンションは高いものだ。
 からら、と大浴場の戸を開けると、走り出す勢いで幸村が駆け込んでいく。

「佐助ッ、マッサージ機だッ!」
「はいはい、後でね」

 脱衣所についても人と擦れ違わない。それもその筈で、今は繁忙期から遠ざかっている。しかも従業員の方に聞いたところ、本日の宿泊客は指十本で足りるらしい。

 ――珍しいことなんですよ。

 ころころと笑いながらそう教えてくれた。それを思い出しながら、佐助は着てきた羽織に手を掛けた。

「おおおお、広いぞッ」
「ちょ、脱いでから入りなさいッ」

 がらら、と浴場への戸を開け放った幸村が大声を出す。湯の発する蒸気と、暖まった独特の香りが鼻先に触れてきた。
 無邪気にはしゃぎ廻る幸村を叱り飛ばしながら、佐助はさっさと支度を済ませていった。すると幸村も慌てて戻ってくると、ばさばさと――着ていた浴衣を畳みもせずに脱ぎちからかすと佐助の後を追う様にして駆け込んでいった。
 大浴場にはまだ人の姿はなく、佐助は洗い場のど真ん中を陣取って桶を手にした。
 昼日中から風呂に入るなど何時振りだろうか――ほんのりと差し込んでくる陽光に瞳を眇めながら、ざばざばと掛け湯をしていく。

「佐助ッ、隣いいか?」
「いいけど…周りも使いたい放題なんだから…」

 この広い浴場だ――それに誰もいないのに、幸村はいそいそと佐助の横に座ってみせる。
 最近の浴場には備え付けのものが多数置いてある――佐助が手を伸ばしてシャンプーを泡立てていると、じっと横を見ていた幸村が真似をするようにして手を伸ばしていく。一通り洗い終えてから、側にあったものに手を伸ばす。

「洗顔石鹸、お茶の成分だって」
「何か違いがあるのか?」

 洗い場に置かれている説明を読みながら、そんな話をしていると、幸村は身体を泡だらけにして覗き込んできた。だが幸村の視線は佐助の手元というよりも、濡れたタオル――それが掛かっているのは佐助の腿の辺りだ――その上に向っていた。

「――…旦那、見すぎ」
「う…っ、あ、す、済まぬッ」

 覗き込んでいた幸村は瞬時に顔を真っ赤にして目線を反らそうとする。佐助は業と膝に掛かっているタオルに手を伸ばして、少しだけ持ち上げて見せた。
 タオルは濡れており、既に形がわかるほどだ。それをあえてチラリと持ち上げてみせると、幸村は横目でおずおずと視線を流してくる。

 ――まぁ、興味あるんだろけど。

「いつも見ているのにさ、気になるわけ?」
「いいいいいつもなどッ!暗くてよくは見えな…ッ」

 揶揄うて佐助が歯を見せながら言うと、彼は首をぶんぶんと振り回した。それもその筈で自分たちは一応恋人同士であり、することは当にしてしまっている間柄だ。

 ――でも慣れないんだよねぇ。

 そんな彼が愛しくて、ついでに言うなら好きな子ほど苛めたくなるというものだ。佐助は上体を折り曲げて幸村の方を覗き込む。彼はといえば、真っ白い泡を首から下をしっかりと絡めている。

「あらら、じゃあ、明るいところで見てみる?」
「破廉恥だぞッ」

 ぷっ、と頬を膨らませる幸村に悪戯心が沸き起こる。瞬時に佐助は手を伸ばして幸村の股間を掴みあげた。

「あ〜、旦那のはいつもながらご立派で」
「ぎゃああああああ、さすけぇぇぇッ」
「あ、なんか泡でぬるぬるしている…ね、旦那ぁ…このまま一度出させてあげようか」
「なななななんという事を――ッ!」

 佐助は膝を寄せる幸村の足に手を添え、ぐっと開かせようとした。背後では湯が沸きあがっている音が響いている。

 ――誰もいないし。

 佐助がその気になりながら、唇をぺろりと舐めると、ぬるりとした手が佐助の顎先に当たった。

「旦那…」
「こ、の…止めぬかッ」

 ――ばふッ。

 泡が顔にぶつけられる。全く痛みはないものの、地味に驚くものだ。

「佐助の破廉恥ッ!すけべッ!万年発情男ッ!」
「――…へぇ?」

 佐助は手にシャワーを持つと、幸村の頭から勢い良く吹きかけていった。










 食事が済むまでに幸村はいそいそと浴場に何度も足を運んでいく。

 ――体力使うんだけどねぇ。

 最初に身体を洗っているから、後は掛け湯してから湯船に入っていくのだと幸村は言っていた。だが早々に佐助はギブアップしており、食事前の入浴は流石に断った。
 夕飯は海と山の幸をふんだんに使ったもので、最初から舌鼓を打つものだった。
 前菜として出された五種盛り合わせの小鉢も、その後に出てきた炊き合せも、メインの肉料理や、揚げ物も美味しかった。且つそれに炊き込みご飯が加わり、水菓子が出る頃になると佐助の腹は満腹を訴えていた。
 幸村はそれでも足りなそうな顔をしていたので、自分の分を幾つか分けたくらいだ。

「佐助、食後にまた風呂に行こう」
「ええ?…寝る前にも行くんでしょ?」

 早々にテーブルから離れて窓際の応接セットの方へと移動する。常とは違って浴衣を着ているせいで、椅子に座ると自然と足が肌蹴た。
 手にデザートを持ったままの幸村が佐助を眼で追い、即座に気まずそうに眦を染めて手元を見つめる。

「勿論だが…厭か?」
「お腹いっぱいでさ、しんどいんだよね…」
「ならば風呂で空かせば良い」

 ぷん、と頬を膨らませて、手元のデザートを掻き込んでいく幸村に、おや、と思い立つ。彼にしては珍しく諦めないで追いすがって来る。

「なんか…誘ってない?」

 佐助は手元の茶を湯飲みに注ぎながら疑問をぶつけてみた。すると案の定、図星だったのだろう。一瞬言葉を詰まらせてから、おずおずと幸村は佐助に告げてきた。

「あ、いや…露天が」
「露天?」
「夜になると、篝火が焚かれてな…綺麗だと聞いたのだ」

 ――だから、一緒に見たいと思って。

 ことん、と食べきって空になった器を膳の上において、幸村は手を合わせた。礼儀正しいその仕種を見つめて頬杖を付く。

「へぇ、それは知らなかった。それじゃあ行こうか」
「うむッ!」

 佐助が承諾すると、今度は表情を明るくして彼は微笑んできた。その満足そうな顔を見ながら、佐助は少し湿気の残る髪に指を差し込んで微笑んでいった。





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100518 up すみません、続きます。