カレイドスコープ・ライフ ――瞼に蘇る一面の赫。 あの夏の日の夜、幸村の視界を覆ったのは、燃え盛る赫だった。 「ありがとうございましたーッ!」 「また来てくれよなッ」 臙脂色のエプロンを翻してお辞儀をする背後から、ぬっと現れたのは銀色の髪を持つ緯丈夫だった。幸村は頭を元に戻してから背後に立つ彼に声をかけた。 「元親殿、お客様には誠意をもって接さねば」 「まぁ、そう硬くなりなさんな。ん?」 わしわしと頭上から頭を撫でられて、幸村は勢いによろめいた。そして幸村がよろめいている間に、政宗に呼ばれてカウンターの中に戻っていく。 幸村は彼の後ろをしぶしぶ着いていったが、その際に入り口にあった藤の花に目が行った。視線の先にある藤は、紫と白をひとつの幹から出している。ゆらゆらと揺れる花房は、薄く甘い香りを放っている。 ――今や盛りとばかりに…綺麗でござるなぁ。 幸村が入り口を彩る藤の花に見入っていると、今度は横にぬっと人影が現れた。だが先程の元親よりもその影は細く、自身よりも目線が下に向う。 「美しいであろう?」 「元就殿…ええ、それはもうッ。やはり花は良いものでござる」 「ふふ…しかも花期ともなれば、しっかりと戦力になる。真に扱いやすい輩よ」 「…元就殿」 くっくっく、と咽喉を震わせる元就に冷ややかな視線を投げていると、不意に元親が振り返った。すると元就はばっと手に持っていた丸盆で自分の顔を隠す。 そしてそのまま元就は茶を淹れに歩き出した。 入り口に咲く藤――それは元親に他ならない。桜の咲く時期になると、それまで実体になっていた小十郎が元の小さな姿に戻り、それから間もなく、元親の藤が蕾を付け始めた。 他の鉢植えと違って、大本に本体を持っている元親は、微弱ながらも蕾の時分から時々実体になっていた。だが蕾の間は眠いらしく、活動時間もそうそう無かった。 だが今は満開に咲き誇り、カウンターの中で調理を一手に引き受けている政宗の手伝いをしている。 ――しかしフロアが某だけというのは…いやいや遣れば出来申すこと、弱音はいらぬ危惧と云うもの。 幸村はぶんぶんと首を振ってから、再び開いた入り口に向って「いらっしゃいませ」と満面の笑みを向けながら接客に向っていった。 閉店時間を迎えると幸村はフロアの掃除を始める。掃除が片付く頃合になるとひとつのテーブルの上にはまかないが載せられる――そして時にそれは新作のお披露目になったりもする。 「今日は豆ご飯にキスの天ぷらの残りで掻き揚げ、それから筍尽くしだ」 「おお…なんと豪華なッ!」 幸村が喜んでテーブルの上を覗き込む。するとペットボトルの水を手に持った元親と元就も同じようにテーブルに着いた。がたがたと椅子を引いて座り込むと、皆で顔を見合わせてから手を合わせて「頂きます」と云う。この瞬間が幸村にとっては一番安らぐ瞬間だ。 ぱくぱくと口にその日の夕飯を掻き入れていく。咀嚼するたびに味が咥内に広がって、じんわりと胃に染み渡ってくる。 「んー…蕗の薹の味噌汁とは、何とも美味でござるなぁ」 「あ、それ多分最後の蕗の薹だ。今朝、小十郎が見つけてよ」 しゃくしゃくと筍の煮物を頬張りながら、政宗が幸村の椀の中身を知らせてくれる。赤出汁の味噌汁に入っているのは、ほの苦い蕗の薹だ。 「いい見つけ物したもんだぜ、小十郎。偉い、偉い」 「この姿でも政宗様のお役に立てて光栄でございます」 気付くとテーブルの上の政宗の前には、小さな三頭身の小人が乗っている。きちんと正座をして座っている手元には、小さな豆ご飯のおにぎりがあった。彼の小さな手に乗っているそれは、さもすれば豆の方が大きいようにも見えてしまうくらいの、小さなおにぎりだった。政宗が小十郎の前に置いたしょうゆ皿に――丸いしょうゆ皿は、小十郎の大きさにしてみれば結構な大きさだ――筍を箸で取り分けていた。 「旦那、旦那、ご飯粒ついてるよ」 「む…。佐助、お前も食うか?」 「いいの?」 不意に下から呼びかけられて俯くと、其処には三頭身の――体長約10cmの佐助がいた。茜色に染まる髪を揺らしながら、箸を向けて掻揚げをわけてやると、小さな手でそれを受け取って嬉しそうに齧り付いていく。 ――まくっ。 佐助が掻揚げに齧り付く瞬間、もふりと膨れた頬が左右に動いていく。もこもこと動く頬が徐々に小さく萎んでいくと、幸村は箸を止めて彼に微笑んだ。 「美味かろう?」 「んッ!流石は竜の旦那だよねぇ」 佐助は嬉しそうに瞳を細めて幸村を見上げてくる。そうして見上げられていると、三日月に細められた目が、まるで狐のようだと思ってしまった。 「まだ沢山あるからよ、たっぷり食ってけ」 褒められたのが嬉しかったのか、政宗は自分の分の掻揚げを幸村たちの前に出した。そして豆ご飯に口を付けながら、筍の天ぷらにも手を出していく。 「食後には柏餅もあるからの…茶は、そうさな…久々に濃茶でも立ててやろうか」 「元就〜、あんこは味噌か?」 「味噌は品切れよ。粒が残っておるわ」 元就の申し出に即座に元親が答える。元親は目の前の食事に手はつけず、水だけを飲んでいた。だが柏餅にだけは興味を示して、味噌餡ねぇのか、と残念そうに項垂れた。 そして指先を卓上の真ん中に向けると、掻揚げをひとつ摘み上げた。 ――ひょい。 大きめの掻揚げを、ぱくん、と口に入れて、元親は不満そうにもくもくと口を動かしている。テーブルの上には小さな花の精が2匹、そして囲むのは四人の男だ。どうしても、あれこれと五月蝿くなりがちだ。 「そういえばよ、幸村はGW、どうすんだ?」 「GW…でござるか?」 箸を止めて幸村は政宗の問いかけに顔を起した。政宗は頬杖をつきながら此方を見ている。彼の目の前では小十郎がしきりに「お行儀が悪いですぞ」と政宗を諌めていたが、政宗は手で小十郎を掴みこんで、小十郎のふっくりした頬に唇を押し付けた。 ――ちゅっ。 「Shut up!静かにしてろ」 「―――…ッ、ま、政宗様…ッ」 ついでに政宗は「めっ」と口にすると、小十郎は小さな手を左頬の傷跡に触れさせて、ぶああ、と赤くなった。政宗はそのまま小十郎の首根っこを掴んで、彼をぷらりとぶら下げたままで、話の矛先を幸村に戻した。 「で、GW明後日からだけどよ、帰るなら…」 「某、一人でござる故、いつも通りに」 幸村は両手を合わせて、ご馳走様でござった、と云う。目の前の幸村の膳は全て空になっている。そのひとつひとつを覗き込んで、佐助は「今日も完食だね〜」と得意満面に胸を張ってから、ついつい、と食器を纏め始める。何処にそんな力があるのか解らないが、案外に佐助は器用に食器を重ねていった。 幸村の言葉に元就が口を挟みこむ。既に元就の手元には茶筅があり、抹茶を立てていた。 「親兄弟には?」 「海外でござる故…年末ならいざ知らず、この時期は」 少しだけ寂しそうに幸村が眉を下げる。するとそんな彼の様子を見上げて、たたた、と急いで佐助が駆け寄った。 ――きゅう。 小さな手で佐助は幸村の腕に両腕を回す。幸村の腕にしがみ付きながら、佐助がぐりぐりと頬擦りをするのを、幸村は声をたてて笑っていく。 ――慰めているつもりなんだろうな。 政宗は手にまだ小十郎をぶら下げたままで二人の様子をそう認識した。そしてぶら下げたままの小十郎を持ち上げて、視線を合わせると、すとん、とテーブルの上に彼を下ろす。 「そうかぁ…――じゃ、いつも通り、宜しくな」 「畏まりましてござる」 ぺこ、と幸村が頭を下げる。 その礼儀正しい振る舞いに釣られるように政宗も元就も頭を下げた。顔を起すのと同時に元就が目の前に茶の入った器を差し出す。茶を出し終えると元就は静かに立ち上がり、カウンターの中に向った。 彼の背を見送りながら、元親が「柏餅、味噌が食いたかったな」と未だに呟いている。 「なぁ…そういえば、お前らって何時からの付き合いな訳?」 「そういえば、我も聞いたことないな」 ことん、と皿に山盛りになった柏餅を置いて、元就が背凭れに凭れかかった。目の前に柏餅が置かれると、わっと皆が手を出していく。 「言って…居りませんでしたか?」 はたり、と幸村が瞳を見開いた。柏の葉を捲って、今将に食べようと口を開きかけた瞬間だった。 「俺達のはお前聞いてきただろ?それから話が終わっちまってたな」 「そういえば…」 幸村は柏餅に、ぱく、と齧りついてから頷いた。そういえば話した記憶がない。 だが話したところで、彼らの関係のような優しいものだけでない事は事実だ。どうしても話すのを躊躇ってしまう。 ――ぺろ。 指先についた餡子を舐めとりながら、ふと下を見ると、不安そうに眉根を寄せた佐助が見上げてきていた。碧色に輝く瞳が揺れている。 「旦那…――」 気遣わしげに見上げてくる佐助の頭に指先を向けて、ぐりぐりと撫でると、ふきゃ、と変な声を上げて佐助は背後に倒れこんだ。 そうすると、小十郎が空かさず駆け寄ってきて、佐助に手を差し出してやる。小さな手を取って佐助が起き上がると、今度は元親が彼らの前に千切った柏餅を差し出していった。 花の精にも色々ある――だが今の佐助を観ていると、どうしても幼さが残っているような雰囲気もある。 ――佐助が覚えているのは、何処までだろうか。 今まで怖くて聞けなかった。 聞いてしまったら、あの日の赤い記憶が押し寄せて来そうで、どうしても身震いがしてしまう。だがあの日がなければ、今こうして此処に幸村も佐助も存在していなかった。 幸村は三個目の柏餅を食べきると、ふう、と溜息をついた。 「然程、良い話でもござらぬが…」 「そうなのか?」 「まぁ…あまり面白くもないかと思われますぞ。それでも良いのなら」 少しだけ戸惑いを見せながら政宗に言う。すると、政宗は頬杖から顔を離し、ひょい、と皿の上の柏餅に手を伸ばした。 ちらりと見上げる先の時計はまだ日付を変えては居ない。もし日付けが変わっても帰れない距離でもないし、いざとなればこの和カフェに泊まれば良いのだ。 「どうせ時間はあるんだ。夜伽とでも思ってよ…」 ――話してみろや。 政宗が幸村を促がす。 すると幸村は出された茶を飲みきって、ことん、と器をテーブルに置いた。そして瞼を閉じると、何かを思い切るように深く呼吸をした。 ――話すのは初めてでござる。 小さく胸の内で燻っていた記憶――それを引きずり出すように、幸村は静かに瞼を押し上げると、佐助に柔らかく手を差し出した。直ぐに佐助は幸村の掌に飛び乗る。 掌に三頭身の佐助を載せ、そのまま自分の頬へと摺り寄せると、佐助は嬉しそうに「旦那〜」と声を弾ませる。こうして触れていると子犬に触れているかのような錯覚さえ起すものだ。 「では、某とここなる佐助との出会いから」 「何年前だっけね?」 「さぁ…?まだ某が幼い頃でござったからなぁ…」 小さな手を幸村の頬に当てて佐助が首を傾げた。 その無邪気な問いかけに、小さな胸の痛みを感じながら、幸村は静かに語り始めていった。 みーんみーん、と蝉が忙しなく啼いていた。 小学校に上がる頃から幸村は町道場の武田道場に通っていた。周りの学校の子ども達が、塾だ、ゲームだ、と忙しなく動く中で、幸村は専らこの武田道場に通うことが楽しみだった。 学校が終わるとランドセルを背負ったままで、武田道場に向う。どれだけ強くなったかを毎日確かめるかのような練習に、いつも胸を躍らせていた。 季節は夏――真夏の、夏休みも間近な時期だった。 みーん、みーん、と蝉が忙しなく鳴き、じっとりと空気が暑さを伝えてくる。駆け込む先の自分の影がやたらとはっきりとしていて、空を見上げれば入道雲が出てきていた。 ――遅くなってしまった。 この日は小学校の委員会でいつもの時間に間に合いそうになかった。はあはあ、と息を弾ませながら走り、道場へと向う。 その最中、幸村は視界に赤い陰を見た。 ――此処…皆が近道だと言っていた…。 急ぐ気持ちはあるが、ふと足を止めた。赤く翳ったのは花だ――夏の炎天下の中で、ほろほろと花びらを揺らしている赤い花だ。 そしてその花は幸村の視界の先の、大鳥居の奥まで続いている。 ――ごく。 思わず咽喉が鳴った。背には駆け込んだせいで汗がびっしりと湧き上がり、ランドセルとの間に濡れた感触を伝えてきていた。 鳥居の奥には小さな社があるのは知っている。そしてその道すがらずっとこの赤い花があることも知っている。だが道は暗く、木々のざわめきさえも威圧してくるようだった。 ――危ないから、一人では入ってはいかんぞ。 齢の離れた兄はそう言って、祭の時には幸村の手を引いて此処に来た。その忠告のせいもあって、幸村は一人で此処に入るのは躊躇われていた。 だがもう直ぐ練習の始まる時間だ――時間を護りたいという気持ちが上回り、幸村は鳥居を潜っていた。 ――じわ。 鳥居の下に入るとすぐに木々の陰になり、日陰が出来ている。炎天下から日陰に入ってみると、ひやり、と汗が引いていくようだった。 ――言いつけを破ってしまった。 不意にそんな風に思いつくが、後の祭りだ――幸村は駆け上がるように石段を越えていった。 確かに近道だと言われた通り、直ぐに武田道場の裏手が見えた。幸村はそのことに喜びを感じながら、社の奥に突き進む。 ――ざあ…。 あと少しだと、ほっと胸を撫で下ろした瞬間、目の前に社が現れた。その社を護るように、一対の狐が向き合っている。 「――――…ッ」 びく、と幸村が肩を震わせて足を止めた。やはり神社と云うのはどうしても威厳があるような気がして、固唾を呑んでしまうものだ。 幸村は、ぱん、と一度だけ柏手を打つと、通らせてください、と胸の内で呟いた。 ――ざあ。 ぱっと顔を起すと、頭上で木々がざわめいた。その音に驚いて上を振り仰ぎ、そして再び顔を元に戻した瞬間、幸村は瞳を見開いた。 「あ…――」 出てきたのは掠れた自分の声だった。 先程まで誰も居なかった――幸村の他には誰も居なかった。それなのに、今、社の境内に一人の青年が座って、此方を伺っていた。 「――――…ッ」 ぞっと背筋に戦慄が走る。だが幸村の足はすくんで動かなくなっていた。 それなのに、眼前の青年はふと幸村に気付くと、碧色に輝く瞳を向けてきて、小首を傾げて見せた。彼が小首を傾げると、ふわ、と茜色にも似た髪が揺れる。 ――綺麗だけど、怖い。 彼の肌には汗のひとつも浮かんでいない。外は炎天下だ――何処を歩いても汗が吹き出るものなのに、彼は涼しい顔をしていた。 「へぇ…?」 目の前の彼に見入っていると、その彼は感心したかのように声をあげた。その声がやたらと幸村の耳に甘く響いた。 「あんた…俺様を見ることが出来るの?」 「――――…ッ」 びくん、と幸村が肩を震わせながら、ランドセルの肩の部分を握りこむ。そうして瞳を離せないで居ると、境内から彼は腰を浮かせて、すい、と歩いてきた。踏みしめる足元の土が、ざり、と音を立てていた。 ――ふ。 彼は幸村の側にくると、ふうん、と再び品定めるように見下ろしてきて、顎先に手を当ててきた。くい、と引き上げられると碧色の瞳とぶつかる。 ――どうしよう、喰われるのだろか。 此れが御伽噺に出てくる鬼なのだろうか。幸村はかたかたと足が竦むのを感じながら、咽喉をごくりと動かした。 「そ、某、美味くはござらんッ!」 「え…――?」 不意をついて出てきたのは悲鳴でもなんでもなく、そんな言葉だった。その幸村の精一杯の言葉に面食らって、彼が碧色の瞳を見開き、そして次の瞬間には破顔した。 「あはははははは…ッ」 「な、何が可笑しいのでござるッ」 拳を握りこんで叫ぶと、今度はじわりと涙が浮いてきた。それでも彼は笑いやまず、やっと笑い終えたと思うと、くしゃ、と幸村の頭に手を添えて顔を近づけてきた。 「可愛いねぇ…面白い」 「な…――っ?」 「また、お出で。ちびっこ」 「――…ッ」 すい、と彼は腕を動かした。腕の動きに目を奪われていると、ざあ、と赤い花が目の前を覆っていった。 「ま、待って…ッ」 どうして呼び止めるような言葉を発したのかは解らない。視界を全て埋める赤い花が、はらはら、と地面に落ちて顔を起すと、既に彼の姿はなかった。 「今のは…――あっ!時間ッ」 周りを見回してから、肝心の道場のことを思い出した。幸村は今の今の出来事を反芻する術もなく、一目散に道場へと向っていった。 みーん、みーん、と耳に蝉の鳴き声がしていた。ただ、彼に出会っていた瞬間、その蝉の音も、何もかもが彼だけで埋め尽くされていた。 だがそのことに幸村が気付くのは、ずっと後のことだった。 →7(佐幸) 100419 逆転花の精・佐幸開幕。 |