ファイティング・バレンタイン





 厨房に戻ると政宗がちらりと視線だけを向けてきた。小十郎は手を洗いながら定位置に立つ――すると、とん、と背中が当たった。

「政宗様、美味しゅうございました」
「うん…」
「政宗様、折り入って相談があるのですが」
「うん、言ってみろ」

 とん、と背中と背中がぶつかる。政宗は手元で和え物をくるくると和えている。それを肩越しで眺めながら小十郎は目の前の鍋を覗き込んだ。程よく灰汁が浮いており、それを掬い上げる。

「今度、一緒に甘味を買いに行って下さいませぬか」
「いいぜ…何か喰いたいもんあるのか」

 ことん、と政宗の髪の感触が項に触れる。思わず、びく、と肩を揺らしてしまったが、政宗はそれでも背中を預けたままだ。小十郎もまた振り返らずにそのまま、手元では作業を続けて話し続ける。

「は。少々、気になるものがございまして」

 小十郎が口篭ると、ふうん、と興味もなさそうに政宗は頷いた。いつもならばもっと食らい付いてくる筈なのに、珍しいこともある。訝しく思いながら小十郎は呼びかけた。

「政宗様?」
「うん…あのよ、小十郎…」
「はい?何でございましょうか」
「ちょっと、しゃがめ」

 ぐい、と腕を引っ張られてその場にしゃがみ込む。何事かと顔の向きを変えると、政宗が腕を回して小十郎の首にしがみ付いてきた。

「ま……、政宗様?」
「声、小さくしろよ」
「――…ッ」

 間近に迫る政宗が、小十郎の胸にしがみ付くようにして抱きついてくる。頭上では、ことこと、と煮物の煮える香りがしている。このカウンターは囲いが出来ているので、覗き込まないと外からは容易には見ることは出来ないが、周りには客がいる――そう思うと、小十郎の心臓がばくばくと緊張で高鳴り始めた。

「どうしよう、小十郎…俺、まだ余韻引き摺ってる」
「え…――?」
「お前に触りてぇよ…」

 ぎゅう、と抱きつく政宗が、小十郎の首元に鼻先を埋める。彼を抱きとめながら、小十郎はその場で小声を意識してたしなめた。

「駄目ですよ、政宗様ッ!今はまだ仕事中…」
「じゃあ、仕事終わったら良いのか?」
「良いとか、悪いとかじゃなくて…政宗様?」

 小十郎が返答に困っていると、顔を起して政宗が手を頬に添えてくる。指先が、すら、と小十郎の左の傷跡に触れ、其処に彼は唇を近づけて触れた。

 ――ふ。

 音も立てずに口付けて、そのまま滑り落ちるように離れる。再び小十郎の首元に顔を埋めて政宗が熱く吐息を吐き出す。

「好きだ、小十郎…どうしよう。本当に、お前が少し離れただけで、どうにかなっちまいそうだ」
「――…」
「お前の香りって、本当に俺を酔わせる」

 掠れた声で囁く政宗に、どきん、と胸が鳴った。小十郎は手を伸ばして彼の頬に触れると、そのまま唇を重ねる――そして、直ぐに離れてから向きを変えて深く口付けた。

「ん…――ッ」

 甘えたな吐息を吐いて政宗が瞳を伏せる。間近に見つめた政宗の睫毛がやたらと長く、影を落としていく。

 ――やべぇ…可愛らしいじゃねぇか。

 少し顔を離してから、ぐっと彼の頭を自分の方へと引き寄せた。この先まで続けたいが、此処は職場だ――小十郎はぐっと込み上げる思いを押し込めて、腕の中の彼に告げていく。

「政宗様…あのですね…――ッ」

 言いかけて小十郎の動きが止まった。小十郎が言いかけた瞬間、顔を起した先――視線を少しだけ上に向けた場所で、小十郎は固まってしまった。

「小十郎?」

 不意に動きを止めて閉口してしまった小十郎に、政宗が不思議そうに顔を起す。そして小十郎を見ると――彼は少々青くなっていたように見えた――彼の視線の先を追って行った。

「――――…ッ」

 政宗が振り返った其処には、カウンターの中を覗きこむ小さな4つの目がある。じい、と頬を紅潮させたままで見つめてくる瞳の主は、佐助と元親だ。

「お前らッ、見世物じゃねぇぞッ!」

 ぐあ、と政宗が怒りに声を震わせると、二人は顔を見合わせて、にやり、と笑った。

「やだなぁ、竜の旦那ぁ…こんな昼間っから」
「そうだぜ?元就に言っちまおうかなぁ?」

 くふくふ、と笑いあう小さな花の精に、ぴし、と背中が凍る。政宗が眉根を寄せていると、佐助と元親はぴょんとカウンターから飛び込んできた。

「ねぇ、旦那。ものは相談なんだけど」
「元就には言わないでいてやるからさぁ」
「何だよ、なんかしろって言うのか?」

 にやにやしながら近づいてくる小人二匹――その姿に政宗は溜息を付きながら、背後の小十郎を振り返ると、彼はがくりを頭を項垂れさせて「面目ねぇ…政宗様」と呟いていった。










 カウンターに肘をついて政宗が元親の話を聞く。店内は未だにざわついているが、ピークを過ぎている。今現在、忙しいのは元就と幸村だ。あちこちとフロアを縦横無尽に歩き回っている。

「でよ、こーんな風に中からチョコレートが溶けてくんだ」
「ははぁ…そりゃ、フォンダンショコラだな」
「ふぉんだん?」

 ぴょこん、と元親が紫紺の瞳を見開く。そしてこれでもかという程に首を上に向けて、政宗を見上げていた。政宗は側に置いてあった水を――ペットボトルに口をつけて――ごくん、と飲み込んだ。

「ああ、それ…作るの面倒だな。買ってくるのも…面白くねぇか」
「出来る範囲でいい」

 しゅん、と肩を落として元親が俯く。その横で佐助が元親と政宗を交互に見上げていた。話し合いの結果、ただ買ってきたものではなくて、自分たちで何かを作りたい、と元親も佐助も願い出た。だからその手伝いをしてくれと――だが、彼らは小さい。出来ることは限られている。
 しょんぼりと肩を落とした元親が、下唇を噛み締めている。上から見ると、ふっくらした頬が余計に膨らんでいるかのように見えてしまう。そして更に元親の肩に手を置いて、佐助が励ましている。上から見ると二人とも、頬がふっくらしているように見えてしまう。

 ――ぷっくりしてんなぁ。

 上から見下ろしながら素朴な感想を胸内で述べる。それから政宗は斜め後ろに立つ小十郎に視線を向けた。

「何ですか、政宗様」
「――いや…お前より、元親の方が可愛いと思ってな」
「な…――っ」

 ぐあ、と小十郎が眉を吊り上げる。同時に元親がびくんと身体を揺らして見上げてきた。佐助はというと、あんぐりと口をあけている。

「Hey,ちょ…誤解すんなよ?可愛いのは元親と佐助だけどッ」
「――…」

 慌てて政宗が振り返ると、小十郎はじっとりと瞳を眇めていた。嫉妬していることは目に見えているが「可愛い」の言葉に反応する辺り、どうかとも思う。それでも誤解は解いておかない訳にはいかない。

「でも小十郎、お前は…」
「私は…――何なんですか?」

 ずい、と詰め寄る小十郎の頭には手ぬぐいが巻きつけられている。その為に強い視線が余計に突き刺さってくる。

「かっこいいんだよ…」

 ぷい、と政宗が小声になりながら吐き捨てると、小十郎は思い切り溜息をついた。

「それなら、良うございました。政宗様のお心が離れたのではないのなら」
「離れるわけないだろ」

 ふん、と政宗がカウンターに肘をつく。すると、その腕に佐助が、ぺちぺち、と手を打ち付けてきた。

「あのさぁ、ラブラブなとこ悪いんだけど…」
「um…わぁってるって。そうだなぁ…」

 指先で政宗が佐助を、ぴん、と弾く――だがその手は佐助に届かず、空をきった。佐助が咄嗟にフットワークを効かせて避けたのだ。

 ――ほよん。

 その瞬間に佐助の頬が、ぷく、と膨れた。

「あ」

 政宗の脳裏にひとつのお菓子が浮かんだ。口元に手を宛がってから、ふんふん、と考え込んでいく。そして徐に小十郎を振り返った。

「小十郎、家に薄力粉・バター・砂糖・卵、あったよな?」
「ありましたな」
「あとはバニラビーンズは…」
「確かございました。一昨日、政宗様、バニラクリームを作ってらっしゃったではございませぬか」
「そうだよな…おしッ!あれ、作るかッ」

 ぐ、と政宗が拳を握りこむ。それを見上げて元親と佐助は小首を傾げた。不思議そうな顔をしている二人に政宗は顔を近づけると「お前らも手伝え」と告げていく。すると元親と佐助は、こっくり、と頷いていた。

「政宗殿――ッ!オーダーでござるッ」
「Okey…ッ!」

 タイミングよく幸村の声が響く。それに応えながら、政宗は「明日のお楽しみだ」と彼らに告げていくと、ふふふ、と口の中で意味深に笑ってみせた。





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