カレイドスコープ・ライフ まどろみの中で撫でる手が、やたらと気持ちよく、何時までも感じていたいと思っていた。春の柔らかな風の中――それも初夏を思わせる香りを含んだ風が、優しく頬を撫ぜていく。その風に溶け込むかのように、彼の手が伸びてきて撫でていく。 ――さら 大きな指先が伸びてきて、風に遊ばれた髪を払う。その手を逃すまいと、手を伸ばして掴み取り、瞳を上げる。見上げる先には、紫紺の瞳が待ちかまえていた。 ――元就。 掠れた声。その声に呼ばれるのがなんとも心地よかった。紫紺の瞳に銀の髪。やけに整った面に逞しい体躯。手を伸ばして触れる全てが、元就に不思議と馴染んでいく。 ――元就。 名を呼びながら、彼が近づく。覗き込まれるままに全て預けてしまおうと、そっと瞼を閉じていく。 ――ピピピピピピピピ 「――……」 ぱん、と目覚まし時計のアラームを平手で止めて、元就は一度上げかけた頭を枕に再び落とし込んだ。 「朝か…」 ふう、と吐息を吐く。冬のこの時期にはどうしても体が動かない。眠くてならないのは仕方ないのだが――外も暗い――いつもならば、こんな目覚まし時計の無粋な音で目覚めることもなかった。 そう、いつもは起こしてくれる相手がいる。 元就は半分寝ぼけたままの眼で、くるりと辺りを見回した。すると元就の枕元にころりと転がる物体がある。 すやすやと寝息をたてながら、仰向けになって寝ているのは、元親に相違なかった。 体長約10cmの小さな身体が、ふくふくしたお腹を呼吸と共に上下に動かしている。冬でなければ目覚まし時計がなる前に「朝だ」とか「水を寄越せ」とか言いながら起こしてくれるのだが、この時期は寝てばかり居る。 「惰眠を貪りおって」 元就が毒づきながら転がる元親の腹をつつく。すると、ころんと向きを変えて、ぼりぼり、とむき出しの腹を掻いた。 ――これがあの元親と同一とは思えんな。 ため息をつきながら元就は起き上がり、顔を洗いに洗面所に向っていった。 古民家を改装しただけあって、がたがた、と吹き付ける風に家屋が軋んでいる。だが窓から覗いた空は青く、天気が良いことを伺わせてきた。 ――ジジジジ、ジジ 窓から外を見ながら――窓の外には緑色の鳥が来ていた――顔を洗い終え、ふう、と溜息を付きながら呟いた。 「今日は…うぐいす餅でも作るか」 笹鳴きが、ジジ、と聞こえる。ウグイスが冬場に出す音は、春の訪れの澄んだ音ではないが、それはそれで風情のあるものだ。その音を聞いていると、どうしてもウグイス餅が脳裏に浮かんだ。 ――だが鶯餅では時期が早すぎるだろうか。いや、軒並み和菓子店では桜餅が出回るくらいだからな…良いか。 ぶつぶつと呟きながら部屋に戻り、から、と障子を開け放つ。すると、枕元にいた小人――元親が身体を起こして、こしこし、と目元を擦っていた。 「おはようさーん…元就ぃ」 「おはよう、元親。さっさと顔を洗ってこい」 すたすたと元就はベッドに近づき、ばふん、と掛け布団を振り払った。起きたままにしておくのは好きではない――だから即座にベッドメイクに入るが、元親はそれでも寝汚く、枕の下に逃げ込もうとしている。 「うぅ……まだ眠ぃ」 「いい加減起きぬか。時期に伊達も小十郎も来よう」 「それは解ってるんだけどよ、俺にとっては今の時期は眠くて仕方ねぇの」 「使えぬな」 ふん、と鼻息も荒く言い放つと、元親は「けっ」と吐き捨てた。そしてぴょんぴょん動いて部屋から出て行ってしまう。 ――あやつ、いつもながら…あの大きさで何故に斯様に移動できるのか。 半ば不思議に思っていると、顔を拭きながら元親が戻ってくる。しっかりと顔は濡れており、それを長いタオルで拭きながら来るものだから、タオルを引き摺っている状態だ。 「のう、元親」 「あん?」 炬燵の中に身体を埋めていると、タオルを引き摺って元親が近づいてくる。そして炬燵布団をよじ登って元就の目の前に座り込んだ。 「今日のデザートをな、鶯餅にしようと思うのだ」 「良いんじゃねぇの?緑色のきな粉だろ?綺麗じゃねぇか」 「そうか…鶯餅ならば、何の茶が合うだろうな」 「俺は玄米がいいなぁ」 元親が出された昆布茶を手にして応える。器用にテレビのリモコンを弄ってチャンネルを合わせる姿は、何処のオヤジさんだろうかと思ってしまうが、元就にとってこのやり取りは楽しいものだった。 「なれば早々に支度に掛かるか。伊達には既にきな粉を用意するようにメールしておいたからな」 「抜かりねぇなぁ」 かかか、と元親が咽喉の奥で笑う。元親は笑いの締めくくりに、かくん、と小首を捻った。そして瞳を白黒させると、ふっくらとした腹を小さな手で上下に擦ってみせる。 「なんか…腹減ったな。おい、元就、俺の鉢をみてくれ」 「うん?どれどれ…」 炬燵から身体をのばして、部屋の隅に置いてある鉢に視線を向ける。それだけでは不十分だと元親が騒ぐので、暖まったばかりの身体を炬燵から引きずり出し、鉢の側にいく。鉢の土の部分に手を差し込んでみてから、元就は気付いたように呟いた。 「おや…からからだな」 「やっぱり。そろそろ水くれよ」 「あい解った」 ぴょん、と元就の肩に乗り上げた元親が水をせがむ。この冬の時期にはあまり水もやらないのが常だが、やらなすぎるのも良くない。 元就は側に置いてあった湯呑みを手にすると、水を汲み台所へと足を向けていった。 元親はそれを見送りながら、ふあ、と欠伸を一つしてから、テレビの前に陣取って、朝のワイドショーをチェックしていった。 朝の静けさが嘘のように、開店してからは目まぐるしく時間が過ぎていく。入り口に向って長い髪を――尻尾のように揺らして――ぴょこんと動かして幸村が深々と頭を下げている。それを横目に見ながら、元就もまた静かに盆を運んでいく。 「ありがとうございましたーっ!」 「おい、幸村っ!菜の花のペペロンチーノ、出来たぞ」 「解り申したっ!」 カウンターの奥から政宗が声を張り上げる。それと同時に、ぐるん、と頭を廻らせて幸村が駆け込んでいく。幸村が盆を手にしていくと、政宗の背後から小十郎が政宗に声をかけた。 「政宗様、こちらの蕗の薹の天ぷらは…」 「エビ塩と抹茶塩つけとけっ!」 ――流石に殺気だっておるの。 ふふ、と意地悪く口の中で笑ってしまう。いつもは何処か甘さを含んだ雰囲気を持っている――それも今回の花期からは余計にそうだ――政宗と小十郎でさえも、この忙しさの中では余裕をなくすらしい。 ――だが此処は一応、茶の場。もっとゆるりとして欲しいものよ。 一見見ただけでは小料理屋に見えるかもしれないが、れっきとした和カフェである――その為、居酒屋で呑んできた客が、小腹を満たすために訪れる時間――だいたい20時前後はいつも戦争のような忙しさだ。 「本日の菓子は、うぐいす餅でございます。こちらの抹茶と共にお召し上がりください」 わいわいと賑わう店内の中にあっても、元就の説明はぶれることがない。そこだけ空気感が変わってしまったかのように、ゆったりと時間が流れる。 「では、ごゆるりと」 今朝方に作った鶯餅を目の前において、緑色の春の気配を眺める。敷く懐紙には梅模様を選んだ。 ――ことん。 小さな音を立てて皿をテーブルに置く。さら、と耳から滑り落ちた髪を指先ですくい上げ、元就は一礼した頭を上げる。そして作務衣の袷を軽く正すと、カウンターの側へと足を向けた。そして覗き込みながら声をかけた。 「政宗よ…」 「Ah〜?何だよ、今忙しい…むぐ」 顔を上げかけた政宗の口元に、問答無用で手を突っ込む。手――その先には元就の作った鶯餅がある。それを口に押し付けられて、もくもく、と政宗は口を動かしていった。 「美味であろ?」 「ん…うん。甘くて旨い」 小首を傾げて元就が聞くと、口元についたきな粉を、ぺろん、と舐めとりながら政宗が頷く。甘い菓子に毒気を抜かれたらしく、先程までの殺気だった雰囲気は消えていた。頃合を見計らって元就が忠告する。 「忙しいのは仕方ないが、休憩くらい取れ」 「でも、後少しだし、大丈夫だ」 ふう、と首を動かしながら政宗が笑う。軽く彼が背後に反ると、とん、と小十郎の背に触れた。同時に小十郎が肩越しに振り返ったが、直ぐにまた手元の作業に戻っていく。二人の立ち位置を眺めてから、ふむ、と元就は口元に手を宛がった。 「今日のまかないは我が作ってやろう」 「雨、降るんじゃねぇ?」 「失礼なことを申すな」 眉根を寄せて睨みつけてから、元就はカウンターに背を向けて、自分の定位置に向う。それを見送りながら――小十郎の鉢の陰から、ひょこん、と元親が姿を現し、ととと、と政宗の前に歩み寄ってくる。紫紺の瞳が眠そうにしばしばと瞬いていた。そして欠伸をひとつ落す。 「元就の奴、あれでもお前のこと心配してんだぜ?」 「元親…解ってるって」 「あんまり根詰めるなよ?」 大きな右目がきらりと輝く。それと見下ろしながら、政宗は手を伸ばして元親の銀色の頭をぐりぐりと撫でて行った。 箸を置いて、ぺこん、と幸村が礼儀正しくお辞儀をする。 「馳走になり申した」 顔を上げかけた時、幸村の腕の辺りで佐助が「旦那、旦那、おべんと付いてるッ」と手を伸ばして教えていく。知らせられるままに幸村は頬についたクリームを舐め取った。 約束通りに本日のまかないは元就が作った。春キャベツとアボカドのフラン――言ってみればグラタンのようなものだ。こってりした風味の食事は、あまり政宗は作らない。だから余計に珍しく、花の精たちも手を伸ばしてつまみ食いしていた。 「今日はまだあるぞ?」 元就がカウンターの奥から、キッチンペーパーの上に乗せた揚げ物を差し出す。見ればそれは紅葉の形をしており、元が何なのかを知らせてくれるものだった。皿の上を覗き込んで、幸村が瞳を好奇心に輝かせる。 「これ…紅葉饅頭でござるか?」 「さよう、それを揚げたものよ。元親がよう食うてなぁ」 ――見てみよ。 顎で元就がしゃくってみせる先には、座り込んで――小さな両手で紅葉饅頭を抱えている元親がいた。てんぷらにされているので、かりかり、と衣の部分を齧ってはにんまりと微笑んでいく。 元親の食べっぷりに、幸村と佐助が視線を合わせると、幸村が紅葉饅頭に手を伸ばした。そして半分をちぎってから、佐助に渡す。 「佐助も喰うてみよ、な?」 「うん…旦那、でも俺様これの半分でいいよ?」 「遠慮するな」 半分をさらに半分にして、幸村に差し出そうとしていた佐助は、先に幸村にそれを阻まれてしまう。だが押し切る様子もなく、佐助も手に半分の紅葉饅頭を抱えて、もく、とかぶりついていった。 「そういえば元親殿と元就殿は、いつからの付き合いなのでござるか?」 「旦那、あんこ!あんこ、口についてるって!」 二個目の紅葉饅頭に手を伸ばしていると、佐助が一生懸命に背伸びをしては、幸村の口元のあんこを取る。 少しだけ顔を――佐助が触りやすいように屈めて、幸村が問う。空かさず小十郎が突っ込みを入れてきた。 「また出歯亀か、真田」 「そうではござらん。純粋な興味でござるよ、小十郎殿」 小十郎は隣に寄り掛かってくる政宗をそのままにしながら、元就の入れた煎茶を咽喉に流し込んでいく。政宗はお構い無しに鼻歌でも歌いそうなほど、上機嫌でいた。 「先日は政宗殿と小十郎殿のお話を聞き及びましたが、まだ元就殿と元親殿の話は聞いておりませぬ」 「そこの二人のような甘さは無いぞ」 「うん?何だよ、悪いか?」 幸村が頬杖をつくと、指を政宗と小十郎に向けて元就が湯飲みを傾ける。流石に政宗も口を挟みこんだが、直ぐに元就は溜息をついた。 「いちゃつくなら、よそでやれ」 「良いじゃねぇか、俺、ずっと欲しかったんだからよ」 「政宗様…」 売り言葉に買い言葉ではないが、政宗は二人と二匹の前で、恥ずかしげも無く小十郎の首に腕を回した。 「花期くらいなんだからよ、こうして触れるのは。だから一年分、味わってんだ。いつもの倍以上の幸福ってやつだ。いいもんだぜ?」 ――なぁ? まるで懐いた猫のように小十郎に擦り寄る。それを見て、ぽぽ、と頬を赤らめて幸村が口篭る。 「政宗殿と小十郎殿は…」 「あんまり詮索してくれんなよ、幸村」 ――ぴん。 手を伸ばして政宗が幸村の額を指で弾く。張られてしまった額を擦りながら幸村が口をへの字に曲げると、ふむ、と元就が腕を組んで椅子の背凭れに、ぐう、と凭れてみた。 「どうする、元親。語ってみるか」 「お前が話したいなら良いけどよ」 テーブルの上で、あと一口に減った紅葉饅頭を抱えて、元親がぱちぱちと大きな瞳を瞬かせる。紅葉饅頭を抱える元親の横では、幸村の元にもうひとつの紅葉饅頭を持っていく佐助がいる。 こうして花の精が見えるものが三人――彼らになら、自分たちの話をしてもいいかもしれない。元親とはもう数年来の付き合いになる。だがそれは今のこの小さな姿での、元親とだ。大元の出会いはずっと昔――まだ元就が幼い時分だった。 ――元就…。見てみろ、此処から見える細波を。 脳裏には、さらり、とあの日の元親の姿が浮かぶ。きらきらと光る波間を指差して、いつか行ってみたいと言っていたあの日の元親。 連れて行って見せると、泣きながら約束したのは、あの日だ。 紫紺の瞳が眇められ、温かい季節に触れた、彼の手、息吹――それを今でも十分に、昨日のことのように思い出せる。 元就は口元に湯飲みを寄せ、茶を静かに咽喉に流し込むと、ゆるりとした声で話し始めた。 「ならば、少々、茶を濁すだけの話かもしれぬが」 元就は皆の顔をぐるりと一巡してから、こほ、と咳払いをひとつした。 「聞くか、我と、元親との馴れ初めを」 元就の言葉に、皆がこくりと固唾を呑んだ。ただ元親だけは、半分眠そうに目を擦っていくだけだった。 →4(親就) 100210 up /逆転花の精・親就 開始。 |