カレイドスコープ・ライフ そこまで話し終えると、政宗はゆっくりと茶を飲み込んだ。こくりと咽喉の音が響く程、ゆっくりと飲み込んでいく。 政宗の話を聞きながら、彼の傍では小十郎がちんまりと正座をして、小さな猪口――彼にしてみれば丼と変わらないが――それに手を添えて、こくりこくり、と頷く。時折、気遣わしげに政宗を見上げたりもしていた。 「まあ、此処までが前半ってとこだ」 「はぁ…しかし、そのお話と今のお二人、どう繋がるのでござろうか」 「黙って聞いてろや、真田」 小首を傾げる幸村に、すかさず小十郎が睨みをきかせる。そうすると間に佐助が割り込んで「どうどう」と馬を宥めるかのように腕を上下に動かしていた。勿論、その背後でぷうぷうと鼻提灯でも浮べそうな勢いで元親が眠っている――元親はごろりと寝返りを打つと、ぼりぼり、と腹の辺りを掻いていく。それを目の当たりにして元就が眉を潜めていた。 「しかしながら、そのお話だと、小十郎殿はかなり年数を経た花…既に木になっておられたのでしょう?」 ――それが何故今はこのような小さな姿に? 「wait!焦るんじゃねぇよ。それはだな…」 幸村は政宗に向けていた視線を落とし、テーブルの上の小十郎に向ける。幸村に見下ろされて、すっくと立ち上がった小十郎が面倒くさそうに眉間に皺を寄せていく。 政宗はちらりとそんな小十郎を見下ろしてから、ふむ、と一呼吸置いた。 「小十郎殿?」 「何だ?用が無いなら気安く呼ぶんじゃねぇ」 睨みを利かせてくる小十郎に幸村は指先を向けて、ぐりぐり、と撫でてみた。すると小十郎は簡単に後ろにひっくり返る。 「うおっ、な…何しやがるッ!」 「いえ、何となく?」 自然と手が伸びてしまった訳だが、小十郎は口惜しそうに唸り出した。向ってくる姿が楽しくて幸村が更に手を伸ばすと、その手にひっしと佐助の小さな手が伸びてくる。 「旦那っ!俺様には…?ねぇ、俺様にはッ?」 「佐助…――?」 「旦那ぁっ!」 うるうると瞳を潤ませる佐助に幸村が溜息をついた。まるで自分以外は見るなとでも言いそうな風体に、幸村は口元が綻ぶのを感じた。どうやら佐助には、幸村が小十郎に優しく触れているように――愛撫しているかのように見えたらしい。 指先に両手を付けて、一生懸命に背伸びをしてくる佐助を包み込んで、幸村は自分の頬に摺り寄せる。すると「おぶっ」と頬に顔を埋めて佐助が呻いた。 「どうでもいいが、今日、二人はどうする?」 「What?」 そんな彼らの攻防を見守っていた元就が、ぱくん、と淡雪寒を口に運んでから、熱い茶を手にして訊いてきた。 「泊まっていくのか、いかないのか?」 「出来れば泊めてほしいね」 元就のつくった淡雪寒を口に入れながら、政宗が当たり前のように応える。元就が静かに頷いてから、今度は幸村にも訊ねた。 「真田は?」 「某も!明日は朝一の講義はござらん故」 元気良く幸村が応えると、テーブルの上で佐助が溜息をつく。 「いいの〜?旦那ぁ…レポートは?」 「終えておるわっ」 ――本当にぃ? 疑わしげに佐助は幸村を見上げて言う。見上げる緑の瞳が、じっとりと細められていく。幸村はそんな佐助に顔を近づけて、にっ、と笑みを見せた。 「天地神明に誓って嘘偽りはござらんっ!」 拳を握り込みなが幸村がほえる。佐助は小さな指を耳に突っ込んで大音声に耐えていった。幸村と佐助に遣り取りを笑ってみながら、政宗は小皿に淡雪寒を乗せて小十郎に差し出した。 「まったく喧しい奴らだぜ、なぁ、小十郎…」 こくこく、と小十郎は頷く。そして小皿を受け取りながら「ありがたく」と頭を垂れる。三頭身の体つきをみていると、頭が重くてころりと転がってしまいそうだった。 「小十郎、お前さ…」 「はい?」 呼びかけられて顔を上げる小十郎の口元に、ほんの一欠けら、淡雪寒がついていた。それを指で拭うと小十郎はぎゅっと瞼を閉じる。政宗の指先が離れると、ごしごし、と側にあったティッシュで口元を拭っていく。 「お前さぁ、もう直ぐ咲くだろ?」 「…気づいておられましたか」 ふわ、と表情を明るくさせて政宗を振り仰ぐ。政宗は頬杖をついて、にんまりと笑んだ。 「当たり前だ。お前のことなんだぜ?」 ――気付かない筈がないじゃねぇか。 小十郎は気付いていて貰えた悦びからだろう――嬉しそうに表情を和らげた。眉間にいつも刻まれている皺がなくなり、眉が少しだけ下がる。 だが二人の会話に元就が身を乗り出して割り込んできた。 「咲くのか?ならば咲いた暁には店を…」 「それは勿論手伝わせて貰うぜ。世話になっている礼だ」 ぴし、と背筋を伸ばして小十郎は元就を振り仰ぐ。すると元就は満足気に頷いた。 「律儀者よの」 にやりと笑う――いや微笑む元就が、すい、と淡雪寒天を口に運んでいく。そして「明日は黒糖かんにするか」と呟いていく。どうやら今の元就のブームは寒天らしい。 元就を見上げてから、首をくるんと動かして小十郎が政宗に視線を移す。そして小首を傾げて見せた。 「しかし政宗様、いつ、お気づきになられたので?」 「Um?だってお前…」 「――――…?」 最後の一口を口に放り込んでから応えようとする素振りを見せたが、そのまま無言で咀嚼を繰り返し飲み込む。その間、小十郎はじっと彼を見つめていた。 「いや、いい…俺だけの秘密にしておく」 ――秘密だ、秘密。 指先で小十郎の額を、ぴん、と跳ねると「おう」と小十郎は後ろに仰け反った。それを見ながら笑いあい、夕食の片付けに入っていく。 花期が近づくと小十郎は仄かに香りだす気がするのだが、政宗以外に気付いている者はいない。 ――俺だけがあいつの香りに反応しているみたいだ。 だがそれを思うと気恥ずかしくて言えるはずが無い。それに花期が近づくと、小十郎はやたらと政宗に寄り添いたがる。普段は一線を引いているかのように見える彼が、甘えてくるのだ。だが其れを教えたら、腹を切って詫びるか言い出しかねない。 ――教えて堪るかよ。 政宗は口の中でくぐもった笑いを零しながら、洗い物をしていく。フロアでは幸村が佐助と和やかに掃除をし、元就は満腹なのか座敷のスペースで元親と寛いでいた。 進学が決まって家を出ることになった。まだ雪が深く降り積もる時期で、早々に新居も決まった政宗は、自宅でのんびりと荷造りをしていた。それをじっと小十郎は部屋の隅に座って見つめていた。 「――――…」 小十郎の視線が痛かった。決して非難めいているという訳ではないが、どこか置き去りにされている犬のようで――自分が棄てていってしまうようで切なかった。 ――でもこいつは…此処から動けないし。 長距離の移動などもっての外だ。例えば駅までついてくることがあっても、彼が長い時間本体から離れたらどうなるか――本体にも害が及ばないとは限らない。 「小十郎、これが今生の別れじゃないんだからよ」 「判っております」 「判ってるなら、そんな風に未練たらしく見てんなよな」 「ですが…私には、似たようなものです故…どうか、ご容赦を」 振り返ると小十郎は即座にはにかむ――だがそれは如何見ても苦笑にしかとれない。そんな小十郎の顔をこれから見られなくなると思うと、どこか不思議な気もしてしまう。 ずっと幼い時から――物心ついた時には既に彼は当たり前のように存在していた。 当たり前のように其処に存在して、そして語らって、その時間の中で彼に親しみをこめた感情を抱くのは自然な流れだった。だがその感情に変化があったのも確かだ。 「あのさ、小十郎…」 「何でございましょうか?」 「お前、俺のことどう思ってる?」 政宗が身体の向きを変えて、正座している小十郎に向き合う。猫背になってしまう自分とは間逆に、小十郎の背筋はぴんと伸びていた。少しの動揺も見せずに彼は政宗に視線を向けてくる。 政宗は腰を上げると、小十郎の真正面に――間近に行くと、再び同じように座り込んで、手を伸ばして彼の頬に向けた。それでも小十郎は身動きひとつとらなかった。 ――暖かい。 触れてみれば感触も、温度もある。そう感じるのは見えている自分だけだと知っている。確かに此処にいるのに、他の人間には見えない。 「小十郎、俺、お前に触れたい」 「触れておりますでしょう?」 何を今更、とでも言いたげな風に小十郎が応える。切り替えされて、カッとなった。 「もっとだ…もっと!お前が足りねぇ…ッ」 叫ぶと胸が張り裂けそうになる。視界が歪んでくる。政宗は腕を伸ばして小十郎の首に回すと、ぎゅっと抱き締めた。だが自分の背に彼の腕が回ってくることも無い。手に入れたいと、この腕に抱かれてみたいと、そんな風に思うようになったのは何時からだったろうか。胸に小さな刺を感じた時からではなかっただろうか。 「お前が、まだ父さんを想っていても…俺は」 ――お前に触れたい。 鼻先に、仄かに彼の香りが擽ってくる。腕に確かに触れてくる暖かさと、柔らかさ――それを感じながら政宗は只管涙を堪えるだけだった。 そして政宗は小十郎を残して、家を出た。 大学に通い始めて、バイトを始めて、新しい環境に慣れるのに必死だった。さもすれば小十郎への恋慕を思い出してしまう自分に、未練たらしい、と感じながらも、押し隠せない気持ちに苛立つこともあった。 ――今、どうしてる? 離れてみれば、知りたくて堪らない。だが彼は花の精だ――連絡手段も何も持ち合わせては居なかった。それなのにどんどん忘れられなくて、気持ちだけが膨れていった。 そうして気付けば年末が迫っていた。一年なんていうのは早いものだ、と吐き出した息の白さに感じていた。実家までの道を歩きながら、しんしんと降り積もる雪を見上げて感慨にふけっていく。 「政宗様ッ!」 家まであと少しという処で、聞きなれた声が響いた。空から視線を移して、声の主のほうへと向けると、白い着物に渋皮色の羽織を着た小十郎が立っていた。 「…ばっかッ!お前、こんな処まで」 「お待ちしておりましたぞ、政宗様ッ」 政宗が焦るのに構わず、小十郎は駆け込んでくる。相変わらず実体になる気はないらしく、彼の駆け込んだ後に足跡がつくことはなかった。小十郎には珍しくも頬を紅潮させて、悦びを顕にしていた。政宗の側にくると膝立ちになって腕に手をかけてくる。まるで親が子どもの顔を覗き込むかのようだ。 「ああ、よう…戻って来られましたな。お待ちしておりましたぞ」 ――もっと良くお顔を見せてくださいませ。 僅かに潤んでいるかのような瞳に、はらり、と雪が降り落ちる。じわり、とその雪が融けたのを指先で拭っていくと、以前は無かったものに気付いた。 「お前、その傷…」 右手をずらして小十郎の頬に添える。小十郎の左頬に深い傷が出来ていた。小十郎は困ったように眉根を寄せた。 「お恥ずかしい」 「なんで…?」 傷をなぞりながら政宗が小首を傾げる。だが彼は誤魔化すだけで、立ち上がると政宗を胸に抱き寄せた。ほんわり、と僅かな香りが鼻に触れる。その香りを深く吸い込んで、政宗は閉口した。 「小十郎は、離れるのは――置いていかれるのはもう嫌でございますれば」 「寂しんぼ」 「ええ、私の祖の中には主の元に飛んだものさえ、おります程ですから」 ――私も例に漏れず、寂しがり屋なのでございます。 ぎゅっと雪の中で抱き締められる。一人で歩いていた時よりも暖かさが増した気がして、政宗は彼の手に手を絡めて道を歩き出していった。 自宅に戻って部屋に行くと、大体の家具は残っており、一年前と然程変わらない気がしていた。ベッドの上に仰向けになりながら――母と弟は近所の親戚のところに行くと言っていた――深く溜息を付く。そうすると、此処を離れてどれだけ気を張っていたのかが判る気がした。 「政宗様、今、宜しいでしょうか?」 ドアを少しだけ開けて小十郎が顔を覗かせている。政宗が手招きをすると、彼は音もなく中に入り込んできて、ベッドの上の政宗を覗きこんできた。 ――ぎし。 小十郎は珍しくベッドサイドに腰掛けてきた。それと同時に政宗が上体を起すと、彼は両手に包むようにして持っていたものを差し出してきた。 「政宗様、今度、あちらへ戻られる時にはこれをお持ちください」 「え…――」 差し出されるままに見下ろすと、其処には小さな苗が出来ていた。だが苗といっても昨今流行のミニ盆栽くらいのもので、明らかにそれは小十郎の――木の花が付いていた。 「お前…これ、もしかして…これを作る為に傷を?」 はい、と恥じ入るように小十郎は頷いた。入れ物が無かったと、小十郎は土を落とさないように自分の羽織で包んで持ってきていた。 「自分の身を削って、新しく接木を致しました。この大きさなら連れて行って貰えるかと」 ――貴方様の返事を待たずに、浅はかでございますれば。 お笑いくだされ、と小十郎は恥じ入りながらも、その小さな苗を膝に置く。 自分が日々に追われている間、彼は此処で何を想っていたのだろう。こんな風に姿を変えてもいいと思わせるほど、自分は彼に慕われていただろうか。 ――でもそれは俺の一方的な気持ちで… 今まで小十郎からのアクションは無かった。いつも好きだという気持ちを曝け出しては、切ない気持ちになるのは自分だった。だから、離れたくないという我侭を――そんな気持ちを払拭してしまおうと、どうせ小十郎の慕っているのは自分ではないのだと、そう言い聞かせて諦めようとしてきた。 ――でも俺、一度もこいつの気持ち、聞いてない。 政宗が手を伸ばそうとすると、土で汚れます、と小十郎はその手を阻んだ。 「これ…お前はどうなる?」 「私は再び生まれ直すようなものです」 小十郎は何事もないかのように応えた。だがそれは政宗の胸に一抹の不安を過ぎらせるには十分な言葉だった。じっと小十郎の説明を聞く為に耳をすませた。 「庭にあります本体はこれより捨て、此方に移ります。そうしますと、いろいろと弊害も出てきますれば」 「弊害?」 はい、と頷いて小十郎が膝に乗せた小さな木を撫でた。 「花期以外、こんな頼りない小さな姿になることも」 彼は政宗の目の前に、大体の大きさを測るためだろう――人差し指と親指で10cmくらいの長さを示した。また実体になるにも――今はやろうと思えばいつでもなれるが――力の湧いている時期である花期以外はなれないことなども説明していく。聞けば聞くほど、制限が出来てきて、彼自身が不便になるのには変わらなかった。 「――お前はそれで良いのか?」 「はい。今のこの姿は輝宗様との思い出で出来ています。ですが私は…政宗様、あなた様と共に居たい」 「――――…ッ」 びく、と政宗の肩が震えた。そんな言葉を彼が告げてくるのはこれが始めてだった。まさか小十郎から自分を望む言葉を聴けるとは想ってもいなかった。 「本音を申しますと、ずっと…政宗様がお生まれになった時から、お慕い、しておりました」 小十郎は膝の上の自分の苗を、そっと撫でながら、時折政宗を窺うように告げてくる。 「輝宗様が、貴方様を腕に抱いて私を見上げて仰りました。この子の成長を見守っていこうと」 「――――…」 じっと身動きが取れなくなっていく。彼の――小十郎の言葉、仕種、その一つ一つを零さぬように、瞳を皿のように、耳を澄ませて、ただじっと政宗は聞いてた。ただ胸の鼓動だけが早鐘を打っていく。 「ですが、いつの頃からか、私の胸には…ただ見守るだけの想いではない、別の想いが育ちました。お恥ずかしい限りです」 「そんなこと…ッ」 「私は所詮、花、なのでございますよ?それなのに人の貴方に、こんな思いを抱くなんて」 申し訳なさそうに小十郎が項垂れる。かくりと落ちた肩を見て、政宗は背後から強く彼の背にしがみ付いた。 「それで良いんだよッ」 広い小十郎の背は温かく、ぎゅっとしがみ付くと甘い香りが鼻先に触れてくる。どきどきと胸が高鳴って仕様も無いが、腕を彼の元に絡めると小十郎の手がそっと触れてきた。 「もどかしゅうございました。貴方の側に行きたいのに行けない、この身が。抱き締めたいのに、腕を回せぬ身の上が」 「いいんだ…」 「同じ、人ならばと…」 話し続ける小十郎の声が震えてくる。ぽつ、とまわした腕に、湿った感触が触れ、彼が涙を零しているのだと気付く。そして、ぐす、と毅然とした彼には珍しく、啜り上げる音がしていた。背後から抱き締めて、政宗は手を伸ばして小十郎の頬に触れた。 「そんなの、どうでもいい。お前だから俺は好きになったんだ」 「政宗様…」 「いい加減、観念して俺のものになるって言えよ」 振り返ってきた小十郎に、背後から顔を寄せていく。そうして触れた唇は、甘く、柔らかかった。 古民家を改造したこのカフェは半分は通常の居宅になっている。其処に住まっているのが元就だ。幸村はいつも使わせてもらっている一階の和室に布団を敷くと、ごそごそ、と中に入り込んだ。泊まるのは初めてではないので、勝手知ったるものだ。そして横になっていると、佐助も中に入り込んできた。 「縁とは」 「異なもの、なんて言わないでよ」 「どうして」 ぺち、と佐助が小さな手を幸村の頬にぶつける。10cmほどの小さな身体を幸村は包みこんで、自分の方へと引き寄せた。すると佐助は幸村の首元に身体を縮めながら潜り込んで来る。 「俺様からしたら、必然としてほしいもの」 「佐助」 「旦那とは出会うべくして出会ったって…」 ちゅ、と小さく首に佐助の唇が触れる。くすぐったくて、ふふ、と笑うと佐助は身体を起こして幸村の目の前に来た。布団を引っ張って幸村は佐助にもかけてやる。 「俺、片倉の旦那の気持ち、何だかわかるからさぁ」 「佐助…」 「俺様だってさ、あの時旦那が見つけてくれなかったら、誰に知られることもなく、ただ枯れるしかなかったんだよ?」 「あの時、か」 ごろ、と幸村は仰向けになった。すると今度は、ぴょん、と胸元に飛び乗ってくる。 「そう。もう何年も前の事だけど、俺は今でも覚えているよ。それも昨日のことみたいに」 「そう言われると何だか気恥ずかしいな」 脳裏に出会ったときのことが浮かぶ。入道雲、青空、蝉の声、そして木陰に佇んでいた佐助――その姿が、今でもこの瞼に焼き付いている。 「そうだね。あの時は、今と目線が違ったもの」 「そうだな…某が、お前を見上げていた」 「俺様はよく旦那を肩車したよね」 へへ、と佐助は――今の10cm程の姿からは想像できないが、胸を張って見せた。 「おう、そうであったな!」 「今は無理だけど」 しゅん、と少しばかり残念そうな佐助の首根っこを掴むと、今度は横になったままで幸村が自分の頭に乗せた。 「その代わり、某がお前を肩に乗せられるぞ」 「まぁ…うん、そうとも言うよね」 期待外れとばかりに佐助が肩を落とす。かくん、と下がる肩がやたらと可愛く見えてしまう。 ――あの時は、喰われるかと思ったなどと、言えぬな。 出逢った時、それはあまりにも夢のようで、幼い幸村には佐助は妖にしか見えなかった。そんな話を繰り返しながら、幸村と佐助は布団の中に納まって行った。 一方、二階の一室では政宗が布団を敷き終わって、着ていた作務衣を畳んでから中に入り込む。皺になるのも面倒だとシャツに下着という姿で布団に入り込むと、小十郎のお小言が響いた。 「風邪を引きますぞッ!しっかり着こんでくだされッ」 「いいじゃねぇか、風呂に入って温まってるんだし」 「しかしながらそのような破廉恥極まりない格好で…」 「AH?俺がどんな姿でも、気にする奴がいるか?」 「政宗様ッ」 きい、と小十郎が喚く。その顔が、ぼふ、と真っ赤になっているのが楽しい。政宗が構わずに横になると、ととと、と小十郎が歩いてきて枕元に座る。 「come on,もっとこっちに来いよ」 「いいえ、此処で結構ですッ」 「お前小さいなりしてても暖かいんだからよ」 ――湯たんぽ代わりだ。 ぷい、と背中を見せてしまう小十郎を、無理やり引っつかむと政宗は自分の元に引き寄せた。じたばたと小十郎は抵抗を見せたが、政宗が離さずにいると大人しくなった。 「まったく貴方様は昔から変わりませんな」 「お前の前ではいつでも俺は、俺でいたいだけだ」 「政宗さま」 両手を伸ばして小十郎が政宗の顎先に触れてくる。ぺた、と小さな手が触れてきて――思わずその手を口に入れたくなりながらも、政宗は小十郎の頭を、くん、と嗅いだ。 「お前、明日あたり咲くだろ」 「――はい」 「良い匂い、してきてる」 「では明日は、一度、家に戻ってくださいませ」 こくり、と小十郎は頷いた。今朝、確かに彼の枝には蕾があった。硬くなっていた蕾が、ほんわりと膨らんできていた。 「ok.起きたら速攻で戻る」 ――だからお前の腕で抱きしめてくれよ。 「はい、勿論でございます」 「お前に…包まれる、の…好き、なんだ」 言いながら暖かさに瞼が落ちてくる。脳裏には出掛けに見ていた鉢がある――蒼い陶器の鉢に入れた小十郎の枝。それはぐんぐんと伸びて、毎年、香るようになった。 「政宗、さま?…――眠ってしまわれたか…」 小十郎が呼びかけても、泥のような眠りが迫ってくる。政宗は次第にとろとろと眠りに落ち始めていた。すると耳に、溜息とともに小十郎の独白が聞こえてきた。 「こうなるとなかなか手が出せなくて困りますな」 小十郎を包んでいた手から力が抜ける。其処から這い出て、小十郎は政宗の顎先まで布団を一生懸命に持ち上げた。そして、じ、と見つめてから、辺りをきょろきょろと確認して、そっと手を伸ばす。 ――ちゅ。 小さな音と共に政宗の顎先に唇をつけて、其処に今度は額を押し付ける。姿を変えて、小さな鉢に本体を移して暫くは本体から出てくることも出来なかった。それが再びこうして姿を保てるようになって、政宗の側に居ることも出来ている。 庭にあった樹はもう既に枯れて、伐ったのだと聞いた。それでいいと、小十郎は想ったが、あの時のように常時保てる大きさが恋しい時もある。 ――もっと政宗様に触れたい。 「小十郎はもう、限界なんですがなぁ…」 「ほ、本当かっ!」 「――――っ!」 ぱち、と政宗の瞳が瞬時に開いた。吃驚して小十郎の口から心臓が飛び出そうなほど、どっきん、と胸が高鳴る。焦ってどもりながら、うろうろ、とその場を行ったり来たりしていると、政宗ががばりと身体を起こした。 「ま…政宗様?ね、眠っていらっしゃったのでは」 「うるせぇ、今の本当かっ?」 「うあああ、き、聞かなかった事にして下さいませっ」 ぴい、と耳を塞いでその場に蹲ると、政宗が肩に布団を掛けたままで――小十郎の頭上から焦った声を出してきた。 「そんなこと出来るかよっ!」 「うううぅぅ」 「お、俺だって、我慢の限界だってんだよ」 「えっ」 自棄になって吐き捨てる政宗の声が、塞いだ耳に届く。羞恥で視界が歪んでいるのに、小十郎はふと顔を上げた。 「お前が」 政宗の言葉が先を促がす。 ――ふわっ。 その瞬間、小十郎は自分の身体の変化に気付いた。10cm程の身体が一気に大きくなる。目をぎゅっと瞑って言葉を吐き出そうとしている政宗の唇に、指先を近づけて阻んだ。 「しぃ」 「小十郎…」 きょと、と間近に触れた感触に政宗が顔を上げる。そして確かめるように政宗が手で小十郎の手首を取った――確実に大きくなった身体は実体を持っており、布団の上に影を落としている。 「その先は、私に言わせてくださいませ」 囁くように告げると、政宗がほわりと眦から頬に朱を乗せていく。そして彼の鼻先が香りを吸い込むように、くん、と動いた。 「――咲いたのか」 「ええ…今の貴方様のお言葉で、急に開いてしまったようですぞ」 「小十郎…」 羞恥のせいか、政宗の左目が潤みだす。隻眼の色は青灰色――その瞳の表面が、ひらり、と光っていく。小十郎は片手で政宗の頬を引き寄せ、指先で耳朶を擽った。 ――ふ。 顔を寄せて触れるだけの口付けをする――離れるのを惜しんで、唇が動いた。そうして次の瞬間には飛び込むようにして政宗が首に腕を回してしがみ付いてきた。 「お慕いしております、政宗様」 「ああ…俺もだ、小十郎」 政宗の背に、腰に、腕を回して布団の上に引き倒しながら、何度も口付けを繰り返していく。小さく、ん、と甘えたな吐息を吐きながら政宗が仰向けに倒れこんでいく。 「おいこら、そこのバカ共」 不意に、口付けに夢中になっていたところに、第三者の声が響いた。ふたりは顔を見合わせてから、声のした襖のほうへと視線をむけると、其処には夜着を手に持った元就がいた。目が合うと元就は政宗に、ぽい、とそれを放り投げて寄越す。 「どうでもいいが此処で同衾などするな。もう一組布団を敷け」 夜着を受けとると、吐き捨てるように元就が言う。そして去り際に襖に手をかけて、元就は微かに口元に笑みを作っていった。 「いちゃつくなら余所でやれ」 いつものように厨房に入ると、政宗は伸びてきていた髪をきゅっと結んだ。そして準備を整えながら、横にずれる――こつ、と昨日まではなかった障害に背がぶつかって振り仰ぐと、其処には彼がいた。 「おはようござるっ」 「おはよーさぁんっ」 元気よく、幸村と佐助が飛び込んできた。調度店も此れから忙しくなる時間だ。政宗は振り返って、煮物の灰汁を取っていた彼を肘で小突いた。 「あ、小十郎殿…花期になり申したか!」 「おう、これから二ヶ月くらいだが、よろしくな」 着替えて準備をしてきた幸村が、手に佐助を持ち――嫌がる佐助を保温の為にぐるぐる巻きにしながら――小十郎の姿をみて嬉しそうな声を上げていった。 「気合入れてけよ、真田ぁッ!」 「判っております、政宗殿ッ!」 「五月蝿いわッ!」 ――ばしッ、ばしッ うおおおお、と客が居るにも関わらず吼える政宗と幸村に、空かさず元就の平手が振ってくる。頭を抑えながら政宗は背後で笑いを堪える小十郎を睨みつけた。すると元就がカウンターに寄って来た。手には薄グリーンの寒天が、蒼いガラスの器に入っている。 「今日からの新作に合わせて、我もデザートを変えてみたぞ」 「美味しゅうござるぅぅ」 既に頬張りながら幸村が幸せそうに叫んでいる。そんな幸村と政宗を交互に見ながら、元就がカウンターの上に置かれた鉢植えをちらりと見た。 「其処な奴の実だな。見た目、香り、味と…非がない奴よ」 ふふ、と元就が意味深に笑ってみせる。政宗は腕をさらりと、隣に立つ小十郎に引っ掛けて、ぎゅ、と勢いをつけて抱きついた。 「破廉恥でござるぅぁぁぁあああッ!」 「うるせぇよ、お前はさっさとフロアで客対応してろッ」 目撃してしまった幸村に政宗は毒づいてから、すん、と小十郎の首元に鼻先を埋める。訝しんで小十郎が抱きとめると、肩越しに政宗は元就を振り返った。 「政宗様…?」 「花も、実も、匂いも、こいつは俺だけの白梅だ」 ――誰にもやらねぇよ。 それを聞いてから元就は、ふ、と口元を少しだけ綻ばせた。そして彼は自分の持ち場へと向っていく。 「さてと、俺達もそろそろ離れないとな。仕事だ」 「当たり前です」 腕をするりと離して政宗は微笑んだ。そして背中合わせになる厨房で、とん、と小十郎の背中に自分の背中を付けていく。 鼻先には、甘酸っぱい香りが触れていく。 カウンターの横には、小十郎の――蒼い陶器の鉢に入った白梅が置かれ、小さな花を揺らしていった。 →3(親就) 100129 up /逆転花の精・小政、詰め込みすぎた…。小十郎は白梅でした。 |