カレイドスコープ・ライフ そのカフェは古民家を改装したというだけあって、入り口は白壁にしか見えない。 だがひと度、その白壁のような引き戸を開けて、中に入ると目の前には見事なまでに自然に彩られた風景が広がる。店内には至る所に植物が置かれており、伸びるに任せていた。 吹き抜けの天井に、のびのびと育っていく植物を見上げて、客は一瞬だけ意識をそちらに奪われる。はあ、と感嘆の溜息を付く者も少なくない。 「いらっしゃいませーッ」 そして元気な青年の声で我に返る。 「何名様でしょうか?」 ひらりと長く伸ばした後ろ髪を揺らして、青年が入り口に駆け寄ってくる。作務衣に、エプロン――エプロンは腰にさらりと巻いていた。笑顔を彼に向けられながら、客は人数を告げる。そして彼に誘われて客は中へと進んでいった。 21時を過ぎた辺りで、カウンターの奥から右眼に眼帯をした青年が顔を出した。 がらら、と白壁の戸を閉める音を確認してから、戸に向って深々と頭を下げている青年に声をかける。 「もうラストだろ?あ〜、今日も疲れた…」 「お疲れ様でござったッ!」 先程まで頭を下げていた青年が、くるりと振り返ってカウンターに走り寄る。するとカウンターの中の青年は右肘を乗せて斜に構えた。 「幸村、お前何食う?まかない、何でもいいぜ」 「某、本日のお勧めの、海老味噌炒飯が良いでござるッ!あと田楽と…」 「味噌ばっかり食うんじゃねぇよッ!野菜食え、野菜ッ」 幸村と呼ばれたのは、ホール内を駆け回っていた青年だ。指折りメニューを数え出していく。それに突っ込みを入れていると、静かになった店内から、ひたひたと歩いてくる音が聞こえた。 「喧しい」 「Hey!元就…お前は何食う?」 カウンターの中の青年が声を掛けると、彼はひたりと足を止める――足元には草履が履かれており、それがひたひたと音を立てているのだ。彼もまた作務衣を着こんで――エプロンはしていないものの、たすき掛けをしている風体だ。切れ長の瞳を、さらりと動かして彼は盆の上に、ことん、ことん、と空になった湯飲みをのせていった。 「我か?我は…そうさな、余り物で構わぬ」 「何だよ、俺の飯、食いたくねぇの?」 「そういう訳ではない。だが今日は…茶を静かに淹れたい気分でな」 元就はそう言うと、いつも皆で食事を摂る定位置に、かたかた、と茶の準備を始めていった。今日はほうじ茶にするつもりらしく、茶をりょう炉に掛けると、さらさら、と茶を焙じはじめる。吹き抜けの高い天井にまで、ふわり、と茶の良い香りが走りぬける。その香りに鼻をくんくんと動かしながら、幸村はことりと椅子を手繰り寄せて座った。そうするとカウンターに肘をついている政宗の正面に来る。 ――かさ。 不意に政宗の懐から、一枚のメモ用紙が落ちた。すると、何処から現れたのか、体長約10cmほどの三頭身の小人が、ささ、と駆け寄ってメモを取り上げる。そして政宗の前にそれを――メモのほうが小人よりも大きいというのに――さっと掲げて見せた。 「落ちましたぞ、政宗様ッ」 「Thank you,小十郎」 声を張り上げる彼に向って政宗はにこりと微笑むと、メモを受け取りながら指先で彼の頭を撫でる。そうすると彼はぐっと何かを耐えるように目元を閉じていく。指先をふわりと彼から離しながら、政宗はメモをじっと見つめた。 そうしている政宗を――件の小人は見上げ、その場に静かに腰を下ろした。居住まいを正すように、ばさり、と茶色の上着を払う――その裏に、白い刺繍が微かに見える。 正座をした彼は、小首を傾げながら政宗に問うた。 「政宗様、それは一体…」 「此れか?新作の案だ。もう直ぐ春になるからな…メニューも一新よ」 「おお…それはッ!此処最近の夜更かしの原因はそれでございましたか」 「何だと思ってたんだよ?」 じとりと政宗が睨みつけると、彼はこほんと口元に小さな手を寄せて咳払いをした。 幸村は自分の目の前で繰り広げられる彼らを見つめて、ふふ、と口の中でくぐもった笑いを零した。 すると政宗に向ける眼差しとは打って変わって、小人は険しい雰囲気を身に纏いながら、幸村をぎろりと睨み上げた。 「真田、手前ぇ、今笑いやがったか?」 「いえ、何でもござらんよ」 「若僧が…ッ」 けっ、と吐き捨てる彼に、幸村は頬杖をついて笑いを堪えていた。どんなにすごんでも、10cmの三頭身では迫力はない。 「旦那―ッ、旦那―ッ、いい加減、俺様を此処から出してよッ」 「は…ッ!済まぬ、佐助ッ」 そうこうしている内に、どこからともなく自分を呼ぶ声が聞こえ始め、幸村は座ったばかりだというのに、がたり、と椅子から立ち上がった。 ばたばたと駆け込んだのは、隅のテーブルの近くの土間だ。幸村は履いていた草履を脱ぐと畳の上に駆け上る。畳の部屋の隅にはストーブがある――その付近に飾られている鳥籠が飾られていた――其処に幸村は駆け込むと、かたり、と鳥籠の蓋を開けた。 ――ころろろん。 蓋をあけると同時に、中からくるくるとタオルに巻かれた10pくらいの塊が転げ落ちてきた。だがそれは畳の上に転げると、じたじた、と動き出した。幸村が慌ててそのタオルを振り解くと、中から先程と同じような体長10pほどの三頭身の小人が現れた。 迷彩の服を着て、顔に緑色のペイントまであるのが、何だか緑に紛れてしまいそうだ。 「ぷっはぁ〜、やっと出れたッ」 「佐助…」 「全くもう…いくら俺様が寒さに弱いっていっても、流石に此れだと暑いっての」 はふう、と彼はタオルから解放されて、腕と足をばきばきと鳴らしてみせる。そしてポンチョのようになっている首元に指先を引っ掛けると、風を送り込もうとして、ぱたぱた、と動かした。 幸村はそんな彼を前にして、少しだけ立ち膝になりながら――腿に手を当てて――正座をして見下ろす。 「だが…佐助にもしもの事があれば、某は…」 「あー、はいはいッ!解ったからッ」 ハッと気付いて小人が、両腕をぶんぶんと振って見せた。 ――ふわり。 腕を振る小人の動きが止まる。そして瞼をぽとんと閉じると、鼻をくんくんと動かした。幸村もまた彼を見習って同じようにしてみる。 部屋の中には茶の香ばしい香りが充満していた。此処で働くようになってから馴染みになった香りだ。 「幸村、佐助。早う、来ぬか。今、茶を淹れたばかりぞ」 ――淡雪寒もあるぞ。 元就の声に二人は顔を見合わせる。そして幸村が嬉しそうに口元を半月にゆがめると、元気な声を張り上げた。 「今行きまするッ!」 「俺様もッ!」 ぴょんと佐助が幸村の肩に飛び乗る。二人はカウンターに向ってばたばたと駆け込んでいった。 この古民家を改装したカフェは、朝の10時からの開店だ――それから22時まで、途中で休憩を入れてはいるものの、実質、伊達政宗が一人で料理を賄っている。そして毛利元就はひたすら茶と、デザートしか提供しない。 そんな二人の店員の周りをちょこまかと動いているのは、真田幸村――まだ大学生なので、バイトとして働いている。 元々この店は、聞くところによると元就の家の管轄との事だ。詳しいことは聞いても面白くも無い、と元就は話す。オーナーは一応、彼の兄にあたる人だという事は解っている。だが正直、此処を取り仕切っているのは、元就と政宗――この二人が共同経営者というようにしか見えない。 今でもバイトの面接の際に聞かれた言葉を幸村は忘れられない。 ――君、植物は好き? 肩に佐助を乗せたままで面接を受けていた幸村は、即座に頷いた。そして顔を上げた時に、彼らの視線がなぜか幸村の肩に注がれていることに気付いた。 ――決まりだな。 ――確かにな。アレは、たぶん…見えている。 そんな囁きが耳に届いたのと、採用が決まったのが同時だった。今にして思えば、その言葉の意味することろが解るというものだ。 「某、少しだけ興味があるのですが」 もふもふと海老味噌炒飯を口に頬張りながら幸村が目の前の二人に匙を投げる。幸村の手元では佐助が「旦那、旦那、おべんと付いているよッ」と小声で彼の頬を指差していた。 指摘に対して幸村が指先を頬に向けて、米粒をとっていると、同じように炒飯を食べていた政宗が小首を傾げる。 「AH〜?何にだ?」 相槌を打つ政宗とは裏腹に、元就は静かに自分の淹れた茶を啜ったり、政宗の料理――今日の残りの春菊と桜海老のお浸しだ――に箸をつけていた。 テーブルの上では小鉢に入ったお浸しを見つめる小十郎と、その横でうとうとしている銀色の髪の小人がいる。銀灰色の瞳を半目にしながらも、春菊を摘んで口にもごもごと入れているが――さもすると、こてん、とひっくり返るので、その度に小十郎が彼を支えてやっていた。だが、小十郎の努力も功を無さずに彼は丸くなっていく。 「政宗殿と、元就殿の出会いとか、小十郎殿と元親殿との」 「話しても面白くもなかろう」 つ、と口元を指先で押さえて、ナプキンを取り出しながら元就が却下する。だが幸村も諦めなかった。既に此処に勤め始めて二年は経っているというのに、未だに聞いたことのない話だ――知らないことを問うというのは好奇心が沸くものだ。 「そうでもござらん。現にこうして花の精が見えるものが三人も集まっていて…此れはもう奇跡のようでござる故」 それは言えている。 元就と政宗は視線をぶつけると、それぞれに「うーん」と唸り出す。幸村にしてみても、佐助の存在は自分にしか見えないものと思っていたくらいだった。 良くある「幽霊が見える」というのと同じだから、他の人に言っても信じてもらえないとも感じていた。 ――花の精が見えるなんて、言えるはず無い。 どこのメルヘンだ、と一笑に伏されてしまうだろう。しかもこれが婦女子が云えば愛嬌にも取れるかもしれないが、所詮自分は男だ――頭大丈夫か、と窺われるのが積の山というものだ。 だが此処には幸村の他に、二人も花の精が見える人間がいる。しかも夫々に彼らにもお気に入りの花たちが着いているくらいだ。 ――長く一緒に居るという事は、それだけ情も深かろう。 幸村は一緒につけてもらっていた若芽のスープを啜ると、佐助に視線を動かした。すると気配に気付いて直ぐに佐助は首を、くるん、と上に向けた。 正座している姿で、顔だけ上に向けられると、大きな緑色の瞳にぶつかる。その瞳が暖色の電灯の光を受けて、時折金色に光って見えた。 幸村が思わず指先を伸ばして、佐助の額をなでると、彼は両手で幸村の指先を挟み込むと「どうしたのさー?」と嬉しそうに瞳を細めた。 ――ことん。 政宗が箸を置いて、すすす、と静かにほうじ茶を飲み込む。更に指先を伸ばして元就の前の調味料ボックスを指差していく。 「馴れ初めって奴か。あ、元就、其処の醤油とってくれ」 「な、馴れ初め…――ッ?は…破廉恥でござるッ」 「どこがだよ?良いぜ〜、それじゃ。俺から教えてやろうじゃねぇか」 元就から醤油を受け取った政宗が、とと、とキャベツのお浸しにそれをかける。春菊とは違ってキャベツには味をつけていなかったらしい。 「政宗も酔狂な」 はあ、と溜息を付きながらも元就が口元に笑みを浮べる。さらり、と動いた瞬間に彼の髪が、揺れたのを横目で見ていると、政宗は手元にあったビールの缶をくいっと煽った。 「たまには良いじゃねぇか。酒も入ってることだし」 にやりと笑う政宗の指先は、元就の手元に向っている。勿論、元就の手元にもビールが握られていた。 「あまり深酔いなさいますな」 「解ってるって、小十郎」 ぴしゃ、と釘を刺してくる小十郎に政宗が眉を下げる。唇を尖らせていると、小十郎は「やれやれ」と小さな手を額に当てて唸る。その背後では、ぐら〜、と銀色の髪の小人が背後に倒れこんでいった――もはや眠気のピークらしい。 「おい、元親。眠るのなら、本体に戻るか、我の元に来ぬか」 「――…そんな余裕ねぇよ」 元就が手を伸ばすと、仰向けになったままで、銀色の髪の小人――元親が呟いた。もう眠くて如何しようもないのだろう。 やれやれ、と元就は手を伸ばして元親をむんずと掴み込む。そしてばっさばっさとティッシュを取り出すと、その上にぽとんと落としてしまった。 ――ちょっとその扱い、酷くない? 呆れて――というより元親が憐れになったのだろう――政宗が元就を諌めるが、彼は何処吹く風だ。すかさず佐助が――先程自分が包まれていたタオルを抱え込んで、元親の元に駆け寄っていった。 「馴れ初めだけど、それを話すにはまず、俺の初恋から話さないと駄目かな」 ごくん、と政宗が海老を飲み込んでから、左の口角だけを吊り上げる。 「初恋…でござるか?」 「YES, 俺の初恋だ」 ――なぁ、そうだろう?小十郎。 にやにやと笑いながら政宗が小十郎を見下ろすと、彼は口元に拳を作って、こほん、と咳払いをした。だがその頬が微かに染まっているように見える。 「甘酸っぱいぜ?覚悟しな」 政宗が楽しげに身を寄せてくる。釣られるように幸村も身を屈めて寄せると、再び急須を傾けながら、元就が眉根を寄せていく。 「我は耳を塞いで居ても良いか」 「NO!耳ダコだろうが、聞いてもらうぜ?」 「やれやれ…」 眉間の皺を一層深めながら、元就が足を組みなおす。それと同時に、政宗は頬杖をついて楽しげに話し始めていく。 室内の植物達が、さわさわ、と揺れていく。それを感じながら、三人と三匹は静かに夜の内緒話を始めていった。 →1(小政) 100121 up /逆転花の精・イントロ |