rin-rin-Ring



 ムードなんて微塵もないの。



 それは高校二年生の冬だった。
 最後まで出さなかった進路希望調査を、机に噛り付いて書いていた時だった。
 さっさと出してしまえば良かったのに、どうしても踏み切れなかったのは、回りの人間の言葉に踊らされていたからだ。

 ――同じ四年制の大学に行くのなら、何もその学科でなくても。

 そんな風に助言される事が増えて、そうなのかもしれないと考えて――でも、なりたいものはそんなのじゃない、と反発してきた。
 そうして気付けば、時間ばかりたっていて、結局最後に提出羽目になってしまっただけだ。
 かりかり、とシャーペンで薄い紙に記入事項を書きこむ。それを、椅子の背もたれに腕を乗せて、逆に座っている――女の子なのだから足をそんなに開かないでほしい――幸村が、ロリポップを舐めながら待っていた。

 ――さら。

 上から覗き込む影に、彼女が覗き込んでいるのがわかる。

「何だ、佐助は子どもが好きなのか」
「うん、だからさ…保育士になりたいなぁって」

 ――笑わないでね。

 顔を向けると、幸村は首をふるふると振った。そして、がたん、と椅子を動かすと少しだけ上向きになりながら、飴をぱくんと口の中に入れてしまった。

「佐助ぇ」
「なぁに?」

 再び佐助も紙面に向き合う。志望動機なんていちいち書かないといけないの、と思いながらも、文字を連ねていく。

「自分の子どもならさぞかし可愛いだろうな」
「そう言うよね」

 間近で幸村の声が響く。視線を少しだけ上向けると、机の向こうに、ぐんと伸ばした幸村の細い脚が見えた。

 ――綺麗になったよねぇ。

 その足がまだ小さくて、よく膝小僧に擦り傷を作っていた時が懐かしい。
 幸村とは家が隣同士の、遠い親戚だ――女の子なのに男の子みたいな名前で、でもそれを彼女自身は気に入っていたりする。ふざけて呼び始めた「旦那」呼びは未だに直せないで居る。

「なぁ、佐助」
「うん〜?」

 あと少しで全部書き終わると、ペンを滑らせていく。たった一枚の進路志望書なのに、どうしてこんなに書くのに時間がかかるのだろう。

「子どもが好きなら、お前の子、某が産んでやろうか」
「――――…えッ?」

 耳を疑った。だが佐助はぐんと首を起す――すると正面に幸村の真面目な顔があった。睫毛がくるんと巻いていて可愛らしい。その睫毛が、ぱちり、と動いた。

「それって…」

 聞き間違いではないよね、と自分に何度も確認する。凄くストレートな物言いだけれど、その過程にはいくつかの工程があって、その一番最初にくるのは。

「だから某と付き合ってくれ」
「ももも勿論ッ!」

 ――がたーんッ

 勢いに任せて立ち上がると、椅子がひっくり返った。慌ててそれを起していくと、幸村は机に両腕を乗せて、にっこりと笑った。
 その時に持っていた佐助の所持金なんてたかが知れていて――ちょっとした雑貨屋で見つけた指輪を、二人でお揃いで買ったのが最初だった。












 月日は流れて五回一緒の年を越して、毎年贈ってきた指輪は今度で六個目になる。
 佐助はいつも使っているエプロンを綺麗に畳み終えると、ふう、と息を付いて、それからショルダーバックの中に押し込めた。がたがたとロッカーで身支度を整えて、飛び出す勢いで出口へと向かう。

「お疲れ様でした〜ッ」
「あ、佐助君」

 不意に中にいた同僚に呼び止められる。彼女の奥には、まだお迎えの来ていない子ども達がおもちゃで遊んだりしていて、ととと、と駆け寄ってきた。
 佐助は駆け込んできた黒髪の男の子を抱き上げると、ひょいと立ち上がる。

「何ですか?」
「この後暇かな?皆で飲み会に行こうと思っているんだけれど」
「あ〜…すみません。俺、用事があるので」
「そう…?じゃあ、また今度ね」

 すみません、と言いながら、抱き上げた子を同僚に渡す。すると男の子はぶんぶんと大きく手を振っていた。その子に向かって佐助は自転車に跨ると「また来週な」と手を振っていた。

「佐助君って、全然飲み会とか来ないね」

 ふと佐助の出て行った先を見送りながら呟く。すると背後から別の保育士が出てきて苦笑する。

「駄目ですよ、彼、可愛い子が待ってるから」
「え…?まさか子どもいるの?」
「違う、違う。可愛い彼女、これから迎えに行くんですよ」

 二人の会話を抱き上げられた男の子はじっと聞きながら、佐助が出て行った先を見送っていた。











 自転車を滑らせて、急げ急げ、とスピードを上げていく。

 ――受け取り、今日までだし。

 佐助はいつもなら真っ直ぐに向かう場所がある。だが今日は其処に向かう前に、どうしても寄らなければならない場所があった。
 ぴゅう、と木枯らしが吹き付けてきて、寒さを訴えてくるが、構ってはいられなかった。
 この季節になるといつも思い出すのは、高校二年生の時の事だ。
 今の自分がこうして保育士として働けるようになったのは、あの時の決断があったからだし、夢が一つ叶ったことに他ならない。働いているとそれなりの愚痴も出てくるが、それもまた凌駕するくらいの、目標を持った。

 ――働き出したら、一番に言うって決めてたんだ。

 夢が叶ったら、とずっと先延ばしにしてきたことがあった。それを今日、将に決戦とでもいうべき気負いで実行する。
 きこきこ、と自転車を漕ぎながら、ううう、と声を絞りだす。寒さもあるが、それよりも気負いで身体がぶるぶると震えてきそうだった。

 ――頑張れ、俺様…ッ!

 木枯らしが吹き付ける中で佐助は自転車を一層強く漕ぎ始めていった。鼻先は風で冷え冷えとしているのに、身体は徐々に温まっていくようだった。












 通りを抜けきって、キキッ、とブレーキが軋んだ音を立てた。社員通用門の前に自転車を付けると、がたがた、と佐助はサドルから降りた。そして目の前の金網に寄りかかっている幸村に声をかけた。

「旦那ぁ、遅れてすまねぇ…」
「…遅いぞ佐助」

 ――冷えてしまったわ。

 くるりと振り返る幸村の鼻先が、赤く染まっていた。いつもの時間よりも三十分はゆうに越えている。佐助は背中を丸めてから、手袋を片方口でずらすと、ひょい、と全て取ってしまった。

 ――ぺた。

 素手で幸村の頬両手を添える。すると彼女の頬は既に冷えて、佐助の掌の熱が強くかんじられるほどだった。

「あ、ほんとだ。旦那、ほっぺ冷たい」
「お前の手は暖かいな」
「手袋してたからね」

 頬に当てた手に幸村の手が重なる。佐助は直ぐに手首を返して、幸村の手を包み込むと、自転車の処へと促がした。

「ちょっと手、繋いで行こうか」

 こくり、と頷く幸村の口元が、長いストールで隠れてしまう。繋いでいる手とは逆の手で、くいくいとストールの先を丸めて彼女の首元を全て覆う。そして佐助は自転車のハンドルの真ん中を支えた。
 片手は繋いだまま――幸村が一度手を離そうとしたが、それを握りこんで離さずにいると、彼女は瞳だけを上に向けてきた。

「片手で危なくないか?」
「大丈夫、此れくらいはね」

 ――慣れてるから。

 片手で器用に自転車を操り、ゆっくりと歩いていく。今日あった事等を、ぽつぽつと話しながら歩いていく。外は既に暗くなっている――日が沈むのが早くなってから、どれくらい経っただろうか。冬の訪れを指し示すように、冷えた空気が肌に突き刺さる。辺りが暗くなっていると、余計に心細いような気がしてしまうが、こうして二人で歩いているとそんな心細さも消えていくようなものだ。
 ほんわり、と通りかかった店の明るさが目に霞んでくる。佐助は手を繋いだままで歩いている幸村に向かって声をかけた。

「何か食べて帰ろうよ、今日は」

 ――食べたいものある?

 何がいいかな、とこの近辺の店を思い出して聞くと、幸村はぎゅっと手を握る力を強めた。そしてストールから鼻先を出してくぐもった声を出した。

「うーん…外で食べるよりも佐助の作ったご飯が食べたい」
「――…ッ!もうッ、何でそんな事いうのさ」

 ぴた、と佐助が立ち止まる。背中にぶわあと汗が湧いてきそうだった。ストレートに言われた言葉に、そのまま踊らされてしまう。

「駄目か?」
「駄目、じゃない…むしろ、そんな事いう旦那が可愛い」

 ぐい、と繋いでいた手を引き寄せて片腕で肩を抱く。細い華奢な肩が、腕の中に納まると、佐助は顔を寄せた。

 ――しゃらん

 彼女の首元から金属の音が響く。其処にあるネックレスに連なったリングが音を立てて鳴る。この音が大きくなる度に、カウントダウンを掛けていくような気がしていた。

 ――何作ろうかなぁ。

 一番美味しいといってくれる物を作ろう、と脳裏にレシピを広げていく。待たせた分、温まって欲しいから、余計に何が良いのかと吟味して笑うと、幸村は「鍋もいいなぁ」と告げてきた。

「でも今日はケーキくらい買って行こうよ」

 ――記念日なんだし。

 小声で呟くと、ぴたり、と今度は幸村が立ち止まった。

「ケーキ…――あっ」
「…今、忘れてたでしょ」
「すまぬ……」

 しゅん、と項垂れる幸村に、ふふ、と笑いながら囁く。数えてしまう方もどうだろうと常々思っていても、幸村との日々を数えないわけには行かない。

「付き合いだしてから、今日で丸々六年目だよ」
「そう…だな。うん…」
「早いよねぇ」

 再び歩き出すと幸村の首元から金属音が響いた。

 ――しゃらん

 その音を聞きながら、角を曲がると目の前にイルミネーションが広がる。冬場の帰り道はきらきらと光っているので、よく二人でこの道を業と歩調を緩めてあるいたものだ。そしてそれは今も変わらない。
 きらきら、と目の前に白と赤と光がちらちらと動き出していた。それを二人で見ながら歩きつつ、高校二年の冬を思い出しながら話す。

「あの時はさ、旦那に先に言われちゃったけど」
「佐助は何を考えているのか、解らぬもの」

 ふく、と頬を膨らませて幸村が突き放す。今でもそう思われているのかと、勘違いはしないが、一応不安になるから問いかけた。

「そうでもないでしょ?前よりは…」
「今はな。でも…ずっと側に居たのに、その…全く女子として見られていないんじゃないかとか」

 たた、と佐助の自転車を追い越して幸村は振り返った。追いつこうと佐助が歩調を速める。

「それは俺様の方よ〜。旦那ってば、何時までも気付いてくれなかったし」

 ――これでも悶々としてたのよ。

 視界はきらきらと瞬いて、その中に幸村もまた瞬いているように見える。ただ想い焦がれていた日々は、将にそんな繰り返しだった。

 ――光みたいに。

 いつも幸村が輝いて見えていた。大切にしてきた女の子だ――可愛いと、守りたいと、そんな風に何度も思ってきた相手だ。その彼女がこうして隣を歩くようになってくれただけでも、満足しなければと思うくらいだ。

「ねぇ、旦那」
「うん?」

 段差の上を、平均台の変わりにして幸村が歩く。彼女を見上げながら、佐助は揺れる彼女の後ろ髪を見つめた。

「これからも、ずっと、ずっと…側に居て欲しいんだけど」
「無論、言うまでもなかろう?」

 ふふ、と幸村が嬉しそうに話す。しゃらり、と先程から彼女の胸元のネックレスが音を立てていった。
 毎年増やしたリングは、全て彼女の胸元にある。

 ――佐助からの贈り物を、置いておくことなど出来ぬ。

 そういっていつも持ち歩いていたから、チェーンで繋いだ。そして今年は付き合いだして六年目だ。佐助はごそりと上着のポケットに手を差し入れた。
 そして、旦那、と呼び止める。

「これ」

 幸村が足を止めて佐助を見下ろす。ずい、と突き出した拳の中には小さなケースが入っている。それを握り締めて、佐助はごくりと咽喉を鳴らした。

「あのね、旦那…」
「――――…」

 じっと幸村が見つめてくるのが解った。片手だけを幸村に向けて、佐助は思い切り頭を下げた。

「俺と、結婚してくにゃにゃいッ!」
「――っぷ」

 ――あははははははははッ

 しまった、と佐助は半泣きの状態で顔を、がばりと起した。あまりの寒さと緊張で呂律が回らない。だがそれがこんな時じゃなくてもいいではないか。

「旦那ぁ〜、もう一回、もう一回言わせてッ!」
「駄目だ、あはははは」
「そんなぁ。言わせてぇ」

 幸村は段差の上でお腹を抱えて、かたかた、と震えながら笑っている。ひぐひぐと彼女が笑いを納めながら――その眼には涙さえあったが、佐助の方が泣きたいくらいだった。

「駄目だ。佐助……」
「うん?」

 真っ赤になりながら――暗い道だから気付かれることもないだろうが、佐助が泣きべそをかきながら振り仰ぐ。すると幸村は、背後にイルミネーションの光を背負って微笑んだ。

「私を、嫁に貰ってくれ」
「――――ッ!」

 ぐ、と咽喉が詰まった。応えずにいると、む、と幸村の眉間が寄る。そして強い調子で彼女は再び問いかけてきた。

「いらぬか?」
「いるッ!いりますッッ!!」

 佐助が応えると、幸村は段差から佐助の胸に飛び込んできた。彼女の身体を受け止めた拍子に、しゃらん、と軽やかな指輪の重なる音が聞こえた。










 家路を急いで自転車を漕ぎながら、佐助が背後に座っている幸村に話しかける。

「あ、ところでお許しが出たとこで、ものは相談なんだけど」
「何だ?」
「旦那を抱いてもいい?」
「――――ッ!」

 がす、と佐助の背中に幸村の額がぶつかる。衝撃を受けている彼女を他所にして、佐助は前を向いて話した。

「今更初めてってのも、その…ね?」

 ――六年間お預けってのも辛かったんだわぁ。

 すると、ぼすぼす、と幸村の拳が背中にぶつかってきた。

「いちいち聞かずとも良いわッ」
「はぁい」

 ぎゅう、と脇腹に幸村の腕が絡まる。夢をかなえる決意をしたときに、彼女は側に居てくれた。そして、こうして年数を重ねて、ありきたりの毎日に誓いを立てていく。
 佐助はペダルを漕ぐスピードを速めながら、背中にある温もりに胸を締め付けられていった。










 ※おまけ(R18)




AMK様、夕月様のリクエスト
佐女幸で甘甘なお話。現代かパロの甘い生活
※噛んじゃう佐助、AMK様にお許しを頂きまして、ネタを拝借いたしました。