Way to walk with you



 絶対に夢だと思った。それなのに目を覚ましてみればやはり三等身の小人が部屋にいるではないか。
「貴様、一体何ものなのだ?」
「儂か?儂は花の精だ」
「花…――?いかん、私は疲れているのか…」
 気を取り直して聞いてみるも、還ってきたのはファンシーな返答だ。今時、妖精がいると言ったって、戯言にしかならない。軽く乾いた笑いが浮かぶ。しかしその小人は少し思案してから、見ててくれ、と腕を上げた。
 ――ばさーッ!
「――ッ?」
 びく、とすると家康は窓の外を指さして、あれが儂じゃ、と腰に手を当てて胸を張る。
「周りの木々は、忠勝だ。儂はひとりだが、忠勝は強いぞ。どんな強風からもこの建物を守って、そして学生を見守ってきた」
「――ほう?」
「でも儂は…――お前が来てくれたこと、嬉しく思う!」
「――何故だ?」
 首を傾げて机の上の小人に問う。流石にいつまでも裸のままで居る訳にもいかず、三成はシャツと近くに脱ぎ捨てておいた部屋着に着替えながら問うた。すると机の上に胡坐を掻いた家康が腕を組んだ。それから手を解いて足に添えて身を伸ばした。
「儂は、そこの木だ。いつも机に向かうお前を観ていたから…いつも真剣で、何をしているのだろうかと興味があってな」
「――…」
「だからどうしても話してみたかった」
 ――今まではそんな風に思いもしなかったのに、不思議なものだな。
 頬をぷっくりと膨らませて笑う家康は、ころころと左右に揺れる。三成は窓の外の木を観てから、目の前の黄色い服を着た家康に視線を移して、深くため息をついた。そして机の横のベッドに腰掛けると、卓上にあったペットボトルの水を飲み込んだ。
「正直なところ、いまだに信じられぬ。私がおかしくなったとしか」
「――そんなことはないぞ」
「だが見えているし、こうすると…」
 手を伸ばして家康のぷっくりとした頬に触れる。指の腹にふれるのは、ふに、としたマシュマロのような感触だった。触れて押しただけで弾む頬が、大きな瞳と相まって愛らしい姿ではある。
「触れる」
「そのまま受け止めるのは無理かもしれん。だが、慣れてくれればと思う」
 家康はそういうと、にか、と歯を見せて笑った。そしてそれから、この三等身の花の精との生活が始まった。




 早朝に弓を手にして弓道場に向かう。支度をしてから、手に矢を持つと神経を集中させた。
 ――タンッ。
 軽い音をたてて矢が的に当たる。まだ部活の朝練にも早いのか、シンと静まっている。夏休みも地元に帰らずにこの寮で過ごした。夏休みの間、ずっと傍には家康が居た。いつも気付けば机の端っこに座っている。三成が本を読んでいる間、じっと見つめていることもあるが、時々、退屈を持て余してちょっかいをかけてくる。
 本の上に上って、ごろりと横になる。それを取り外してもまた同じようにする――まるで猫だ。嫌気がさして、ぽい、と外に放り投げたこともあるが、そういう時は憤慨しながら窓から入ってくる。
 だがその家康も最近は元気がない。
 ――何が足りないものでもあるのだろうか。
 す、と矢を構えながら考えた。夏が終わりに近づいて、どうにも寝ていることが多くなった。休眠期というのとはまた違う、と家康は言っていたが気にはなる。
 ――タン。
 少し的から矢が外れた。そのことに、集中しなくては、と思うのにどうにも上手くいかない。三成は静かに礼をすると弓道場を後にした。
 部屋に戻ると案の定、家康がベッドの上で眠っていた。
 ぷっくりしたお腹が、ぷうぷう、と寝息を立てるのに合わせて上下に動く。傍に座ってみても家康は起きなかった。
「家康…私は朝食を食べに行ってくるが、どうする?」
「――んん?」
 声をかけてみると、目を擦って家康がごろりと横になった。確か今日の朝食は和食だった筈だ。元気を出すには、と考えて人間の場合しか思いつかない。それも単純なことだけしか思いつかないあたり、自分には人生経験が少ないとも思った。だが三成にしては珍しく、心配している――その心配のままに声をかけた。
「お前も、朝食を食べたらどうだ?――花が食事をするのはおかしいかもしれぬが、少しは元気になろう」
「――めし?」
「そうだ」
 ぴく、と耳を動かして家康が身体を起こす。そして大欠伸をしてから、三成の肩によじ登った。三成は肩に家康を乗せたまま、食道に向かった。
 夏休みの食堂はがらがらで、隅っこの定位置に座りながら、三成は珍しくご飯を大盛りにして席についた。配膳のおばさんが目を丸くしていたが、そのくらい食べなきゃ、と少しだけ嬉しそうに笑った。
 周りには気付かれないように、三成は漬物の皿をばっと御飯の上にひっくり返して空けると、其処に卵焼き、鮭、御飯、と少しずつ取り分けていった。
「ほら、お前の分だ」
「おおおおおこれが御飯か!」
 瞳をきらきらと輝かせた家康が、身を乗り出す。流石に箸がないので、爪楊枝を添えてやると、三成は手を合わせた。
「いただきます」
 ことん、と大きな頭を横に傾げてから、三成の真似をして家康が小さな手を合わせる。そして「イタダキマス」と言うと、爪楊枝を手にして鮭を口に入れた。
「〜〜〜〜んまい!」
「そうか、もっと食べろ」
 ひょい、と隠元の肉巻きをのせてやると、家康はそれをはふはふと頬張った。今日の朝食は三成にしてはボリューム多く取ってきている。元々、セルフタイプではあるが、いつもならメインを二つも取らない。だがこうして誰かと向かい合って食べるというのは久々だった。
 ――食事が終われば直ぐに部屋に引き上げる。
 それが三成の日常だったからだ。他に遣ることがたくさんあって、ゆっくりと食事をとるというのにも、周りの学生と一緒に会話するということも、億劫でしかなかった。
 それが目の前で、物珍しげに食事をとる家康がいるだけで一変する。
「――…美味いな」
「三成はいいなぁ、こんな美味い物を食べられて」
 ふと口にしてみると、家康は頬に米粒をつけたままで告げてきた。うらやましがられて、なぜか胸が熱くなる。たぶんそれは自分が、こうした僥倖に気付いたからだろう。
 三成は、カ、と熱くなる頬を誤魔化すように、御飯を口に掻き込んでいった。




 晩夏といえばそうだが、鬱陶しいほどだった暑さが和らいで、ひんやりとした風が肌を誘うようになった頃、家康の調子も戻った。
 弓道場に向かう三成についてくることも増えた。粗方練習を終えてから、弓道場を出て歩きだす。ぐるりと園庭を回って寮に戻り、支度をしたら大学に向かうのだ。
「お、忠勝か…」
 くんくんと鼻先を動かして肩に乗っていた家康が呟く。
「忠勝?」
 言われてみると朝の空気に交じって、甘い香りがしている。甘く、ただ甘いだけではなく、甘酸っぱい香りだ。果実にも似ているが、どこかで嗅いだことのある懐かしい香りがした。
「忠勝が先陣を切ったか…ならばそろそろ儂も咲くときだな」
「家康も咲くのか」
「馬鹿にするなよ?儂はそれは見事に黄金に咲く花木なんだぞ」
「そうか」
 ふい、と顔を背けて歩き出すと、家康は「こら、真面目にとらぬか」とぺちぺちと頬を叩いてくる。そうしてじゃれているのに慣れてしまった自分に気付くけれど、家康には気付かれないように三成はそっと口元に笑みを浮かべて歩いて行った。
 それから数日して、家康が「忠勝」と言っていた花木が一斉に咲いた。ただ三成の部屋の前の一本だけはまだ咲かない。
 だがそのむせ返る香りに、時々くらりと眩暈を覚える程だった。
 学生寮の並木道を彩る、白い、銀色にも似た小さな花は、それはそれは匂い立つ。其処を通る学生たちも心なしか、少しだけ花に酔っているようだった。
 三成は大学から戻ると、気まぐれに門のところで忠勝に声をかけた。ただ「ただいま」と告げただけなのに、花木が一斉にざわめいた。
 ――ふわ。
 鼻先に甘ったるい香りが迫る。まるで誘われるようにして歩き出していくと、部屋の前の家康の木に近づいた。
「おかえり、三成」
「ああ、ただいま」
 姿は見せないが家康が上の方から呼びかけてきた。そのまま自分の影を踏むようにして歩いていくと家康は「部屋に行くからな」とだけ声をかけてきた。
 影は薄く伸びて、夏は終わったのだと知らしめてくれる。
 そして季節が動いている――今日は大学で政宗が作ったという栗おこわを貰った。彼はどうやら料理が得意らしい。三成は鞄の中にある栗おこわに、家康にあげたらどんな顔をするだろうか、と想像を膨らませたまま部屋のドアをあけた。
 そして窓を開ける。
「家康…――」
 小さく呼びかけて、それから上着を脱ぐ。ベッドの上に鞄を置いたままでいると、ふわ、と風が舞い込んできた。
 ぎゅ。
「――?」
 クローゼットに向かっていた身体を背後から抱きしめられる。なんだろうかと見下ろすと、自分と同じような青年の腕が腰に回っている。
 背中越しに、ぶわ、と風が起きて鼻先に一際強い、甘酸っぱい香りがした。そして三成が振り返る中で目にしたのは、精悍な青年の顔だった。
「――…あ」
 窓から入り込んできているままの彼の姿は、己と変わりない程の大きさで、その顔には見覚えがあった。
「三成」
 甘く囁く声が、耳朶に触れる。鼻先にふれる甘い香りに、そして目にしたのは黄金色の小さな花々だった。
「――――…ッ!」
 抱きつかれたまま、三成は衝撃と共に床に倒れて行った。