Way to walk with you



 それは今から五年前の事だった。
 石田三成は家族の元を離れて、学生寮に入った。寮と言ってもワンルームの個室だ。共同で使う場所は食堂くらいなもので、ホテルの一室と変わらない設備だった。単純に賃貸契約を結ぶよりも、そちらの方が格安だったし何より大学にも近い。

 ――学ぶこと以外は必要ないもの。

 そう思っていた三成には、物件を探すことさえも煩わしく、簡単に決めたことだった。そして春まだ浅い三月に、まだ雪の残る地元を出て、その大学の学生寮に入った。
 入寮日には人が寮の園庭に溢れている。
 それもその筈で、園庭には布団や机など、生活に必要なものを売りに来ている業者が品をそろえて待ち構えていたからだった。
 三成はその横をすり抜けて自室に行く。
 二階に位置する部屋は四階建ての丁度境目で、窓に面して机があり、その横にベッドが置かれているくらいだった。
 ――フゥ…
 静かに嘆息すると、三成は窓を開け放った。南に面している窓は風を多く部屋に取り入れてくれる。そして窓の外には低木があり、さわさわと風に揺られていた。
 ――此処で四年間学ぶ。
 そう思うと胸が躍る。どんな学問が自分を待っていてくれるのだろうか――それを思うだけで早く大学が始まらないかと思う程だった。
「――いかん、早々に荷解きせねば」
 何もない部屋で佇んでいるわけにはいかない。三成はハッとすると、既に送ってきていた物品を解き始めた。
 まだ春浅い三月のことだった。
 窓の外から吹きこんでくる風に、ひらひらと桜の花びらが混じって、ほんの少し、門出を祝ってくれているようだった。



 この学生寮は玄関を抜けると直ぐに並木道になっている。それからぐるりと庭を回ってから門の前を通過し、やっと外に出る。その距離が長いといえば長い。しかし周りにある木々は全て同じものらしく、一定の形を保っている。何の木かと聞かれたら、首をかしげるしか出来ない。
 ――草木に造詣は深くない。
 自分でも自覚している。だが草木を愛でるだけの眼は持っている。三成は手に弓を持つと、朝早いというのに玄関から外に出た。
 実は園庭の反対側では弓道場があり、サークル、というより部活でも使っている。しかし三成は其処に入部した訳ではないが、ずっと続けていたこともあり、許可を貰って使わせて貰っていた。
 ――集中するには良い。
 早朝に弓を張るのは背筋も伸びるというものだ。日課を怠らず行うのは、自分の歩む道を崩さないためには必要だと思っていた。
「Hey、それって視野が狭いって言わねェ?」
 大学の講義で一緒になった伊達政宗という人物は、ノンアルコールカクテルを手にして斜に構えて言った。
 新歓コンパというのがいまだにあるのかと驚いたが、その一環だと連れて行かれた居酒屋だった。できれば三成は寮に戻ってゆっくりと読書をしたかった――しかし、時には人付き合いも必要だと、要は強引につれてこられたのだ。
 政宗は一つ上だが気安く話しかけてきていた。そしてその隣には背筋を伸ばして熱燗をちびちびと呑んでいる毛利元就という人物が頷いていた。
「そうさな…お主、まだ若いからの」
 ――よう学べ。
 簡単な言葉に頷く。
 たった一年年上というだけなのに、どこかこの二人からは周りの学生と違った空気が見て取れた。それは経験値の違いだろうか。
 それからも彼らとの付き合いは続いていくことになった。



 学生生活が順調に進み、時期に夏休みを迎える頃、三成は門から玄関までの道を、滴る汗を拭きながら歩いた。鞄の中にはタオルも入っている。だが取り出すのも面倒で手の甲で汗を拭った。
 ――暑い。
 ただそれしか言葉が出てこない。地元もそれなりに熱かったが、照りつけるアスファルトの熱が大きい。故郷を離れたことを痛感するのは、季節の変わり目だ。
 ――さわ、さわさわさわ…
 ふと並木道が風に吹かれて音を立てた。三成もまた風をうけようと足を止める。
「――…暑い」
 言葉にしてみるが、やはり熱風が肌に触れるだけだ。そしてわずかな日陰を作る並木に視線を向けて、はた、と気付いた。
「これだけ、他と違う」
 草木には疎い。それなのに、その時には気付いてしまった。見上げる花木の、一本だけが他の花木と色合いが微妙に違う。ほかよりも色が少しだけ濃い。
 ――ひた。
 三成は近づいて、その花木の幹に触れた。ひやりと手に吸い付く感触に、ほっとしてしまう。灼熱の地上にあって、水を湛える花木――それに触れて、ほ、と息をつくと、ふわ、と風が吹いた。
「――?」
 だが他の木々は揺れていない。不思議に思っていると、ぽと、と目の前に小さな枝が落ちてきた。
「なんだ?」
 小さな、葉っぱを付けた枝だった。
 身を屈めてそれと手に取り、三成は再び見上げた。そしてその花木が、ちょうど自分の部屋の前の花木だと気付いた。
 ――さわさわさわさわ…。
 風によってあたりの花木が葉を揺らす。風と日陰の涼しさに瞳を眇めてから、三成は手にその枝をもったまま寮の中に入って行った。



 一日の汗を流しきって、バスルームから出る。ほわほわとした湯気に、じっとりと吸い付く夏の宵の焦げた匂いが鼻に付く。三成は腰にバスタオルを巻いたままの姿でバスルームから出ると、がしがしと頭を拭いた。
 最近前髪が伸びて邪魔だ。
 拭いても零れてくる滴に、そんな風に思っていると、窓からふわふわと風か吹いてきていた。夜と言えども暑い――連続の熱帯夜ともニュースで言っていた。窓を閉めてエアコンをいれるべきか、しかしエアコンはあまり好きではない。
 そんな風に考えながらも、机の傍に行き、風を受けようとした。
 ――うん?
 そして気付く。机の上にはいつものように積み上げたままの本と資料、そしてペットボトルの水がある。だがその傍に見慣れないものが【居た】
「――…???」
 なんだこれは。
 腹を上にして横になっている小人がいる。人形か何かのようにも思えるが、しっかりとその腹が上下に揺れているではないか。
 それに、人形を持つような趣味は無い。
「――な、んだ?」
 思わず咽喉が鳴った。ごくり、とよく解らないものを眼にして、三成の動きが止まる。しかしそれと対照的に、机の上で腹を上にして寝ころんでいた小人は、ううう、と唸ってから大きな瞳をぱちりとあけた。
「――――…ッ!」
 咽喉が、ヒッ、と揺れる。黄色の服を着た小人は、むくり、と起き上がった。体長約10p、三等身の身体が【起き上がった】のだ。そして小さな手で目元を擦ると、見下ろして絶句している三成を見上げて立ち上がった。
「おおお!やっと出てこられたか」
「――…?」
「儂は家康っ!まずは感謝をッ」
 さ、と差し出された小さな手に、ぶるぶると震えながらも恐る恐る指先を向けると、きゅ、と握り返された。ぷにぷにとした感触に、ひく、と口の端が吊り上る。
「ずっとお主を観ておった。こうして傍に来れて儂は嬉しいぞっ!」
 元気はつらつに答える三等身の、家康、が両手を上げて万歳をする。それを見つめながら、三成は背後にぐらりと傾いた。
 ――これは一体…?
 もはや理解不能だ。
「――…っ」
「儂は、この部屋の前の…――て、みつなりぃぃぃぃぃぃぃぃっっっ!!」
 ふうう、と傾げていく身体は背後に倒れ込む。薄れゆく意識の中で、三成の名前を呼び続ける小人の声が響いて行った。