「はつはな」


花は梅。特に雪の白に映える紅梅がよい。
幽かな香りに誘われて、幸村はふ、と梅の大木を見上げた。手近な枝をひとつ引き寄せ、手折る。
まだ固いそのつぼみを見つめ、彼は一つの決意を固めた。
そして、新年が始まる。


一年、二年、あるいはもう少し前からであっただろうか。
幸村は気付いていた。腹心たる猿飛佐助の微細な変化に。
己が他人の機微に疎いということは、その佐助からの忠告で、重々承知していた。よって、初めは勘違いかと思ったのだ。
しかし、常に共にある彼を観察しているうちに、武将としての勘が叫ぶ。「猿飛佐助は変わった」
なにか証拠があるわけでもない。それでも、「変わった」と思う。
戦乱の世、ささいなすれ違いが大きな痛手となることは多々ある。
特に佐助は腹心中の腹心、武将たる真田幸村のすべてを識る男。戦の最中は背中を預けなければならない。そのためには、確固たる信頼関係が不可欠である。
信頼は、している。そのはずだ。
しかし、ふと視線があったときの佐助の態度、衣に触れたときのささやかな驚き、気付かせない程度に遅れる返答。すべてが幸村の本能をいらだたせる。「猿飛佐助は変わった」
新年の賀も一段落したある日、幸村は意を決して、佐助を自室へと呼び出した。
「佐助」
名を呼ぶ声が、やや震える。
「なあに旦那、改まって」
軽く問う声はあまりに『普段通り』で、裏切りの香は欠片もしない。
しかし、幸村は自身の勘を頼りとすることにした。
「……佐助、なんぞ某に隠してはいないか?」
「……はい?」
「だから、なんぞ隠してはいないかと問うている」
瞬間、佐助の視線が歪んだのを、幸村は見逃さなかった。
「さ……」
「なあに言っちゃってんの?旦那。俺様がなにを隠してるっていうの。心から旦那にお仕えしてますって」
幸村は激昂した。
「されば、なぜ今、目をあわせぬ!」
「旦那、落ち着いて。目、あわせてるでしょ?」
佐助は慌てたように幸村ににじり寄ってきた。肩に触れようとする手を、幸村は邪険に振り払う。
「言い訳は聞かぬ!」
「旦那……どうしちゃったの」
怒りを隠さぬまま、幸村はひた、と佐助の目を見据えた。
「よいか、再度問う。某に隠していることはないか?」
認めて欲しかった。とぎすまされた武将の勘が外れているとも思えない。今まで通りの関係に戻るには、佐助が考えを洗いざらい吐き出すほかに道はないのである。
「旦那、そんなのないってば」
その答えに、佐助への信頼が音をたてて崩れていくような気がした。水を浴びせられたように、心がひんやりしてくる。
「佐助、この真田源二郎幸村がこれだけ申しても、答えは変わらないのだな?」
「旦那?」
幸村は冷静さを保ったまま告げた。
「佐助が裏切っているとは思わぬ。むしろ、よくこの幸村に仕えてくれていると思っている」
「じゃあ、給料あげ」
「それでも、今は側にいて欲しくない」
佐助の軽口を封じるように、幸村は断じた。
佐助が息をのむ音がする。
「才蔵」
ぽつりと、幸村は忍びの名を呼んだ。一番の腹心である、猿飛佐助以外の名を。
「はっ。ここに」
すぐに闇から声が上がる。
「しばらく佐助には東国への偵察に行ってもらう。才蔵は佐助の代わりに身の回りの事を頼む」
「旦那っ!」
「……承知致しました」
悲鳴にも似た佐助の声は、主たる幸村には届かず、才蔵の静かな声が部屋に響き渡った。





静かな森に女の哄笑が聞こえる。
「あはは!主に棄てられた忍びほどみっともないものはないわね」
「棄てられてねえよ。ちょっと遠ざけられたって言うか……」
佐助は、杉の大樹にもたれながら、やけに露出度の高いその女を睨みつけた。雪の白にもその美貌は映える。
「ちょっとご機嫌斜めだっただけだっつーの」
「あら、私と謙信様は、いついかなる時も信頼関係で結ばれているわよ」
その女、上杉の忍びであるかすがは、同じ樹の上で誇らしげに胸をはった。
「そんな信頼関係くずれちまえ」
佐助は唇を尖らせる。
あの日、主である幸村に遠ざけられた日から、佐助の日常は一変した。
『才蔵、遠駆けにいく。ついてこい』
『才蔵、手合わせをしよう』
『才蔵』『才蔵』『才蔵』
その名を呼ばれるのは、今まで佐助の役割のはずだった。まだ半月しか経っていないが、やはり慣れない。
一方で、佐助は伊達の領内を偵察する時間が多くなった。
こうして旧来の仲であるかすがと会話するのは楽しい時間であるといえるが、やはり、真田忍隊としての矜持が主の側にいたい、と叫ぶ。
(隠し事、ねえ)
『隠し事はないか』そう問われたとき、頭をよぎった事があるのは確かだった。
(まさか気付いてるとは)
猿飛佐助は主である幸村に、常ならざる思いを抱いていた。
衆道盛んな世とはいえど、臣下が主人に劣情を抱くなど、あってはならないことだ。まして、冷徹さを商売道具とする忍びがもつべき感情ではない。
しかし、その声、その覇気、衣擦れの音さえ愛おしい。
隠さなければならない。気付いて欲しい。
二律背反の気持ちの中で、佐助は揺れていた。
まっすぐに主を「好き」と言えるかすがが、ほんの少し羨ましく、妬ましい。
「まあ、あなたみたいな落ちこぼれに用はないの。早く帰って謙信様に報告しなければ」
「あー、はいはい。俺様もそろそろ報告に帰るとするわ」
二つの影は、それぞれの主の元へと飛び立った。





「……伊達の動きは、以上です。特に問題があるとも思えませんねぇ。むしろ北条の動きの方が気にかかります」
「うむ、北条の動きは才蔵に探らせている。近いうちに戦となるかもしれぬな」
苦労であった、と幸村は労う。しかし、佐助と目を合わせることはあからさまに避けていた。
脇息にもたれながら、目をつむる。いつもの稚気にも等しい覇気が感じられなかった。
「旦那」
「ん?下がってよいぞ」
佐助に突きつけられる言葉はあくまで冷酷で、とりつく島もない。
「いや、具合でも悪い?」
幸村は不思議そうに、しかしようやく佐助の目を見た。
その目は、どこか不安そうに揺れて、今にも泣き出しそうに潤んでみえる。
(……ん?泣き出しそう?)
そんなわけはない。相手は真田幸村なのだ。長年仕えてきた勘が、おかしい、と訴える。この主が迫る戦に不安を覚えるわけもなく、まして泣きそうになるなどとは考えられない。
「旦那、やっぱり……」
その時、幸村の身体がぐらりと揺れた。考えるまもなく、佐助の身体は動く。主が頭を打ち付ける前に、手は届いた。
「旦那!旦那!」
抱え上げた幸村の顔は、赤らんでいた。熱があるのだ。鍛え上げた武将が意識を手放すほどの。
「旦那!……幸村様!」
佐助の声に、侍女達が集まってくる。
「幸村様!」
雪の白の世界に、悲痛な叫びがこだました。





「佐助様のいない間、大分無理をなさっておられたようです」
主の額に冷たい手巾をのせながら、幸村付きの侍女はつぶやいた。
「才蔵がいたはずだろ?」
「才蔵様も何度かお諫めしたようですが、なにかに取り憑かれたように動き回られて……」
「ふーん」
(そんなに俺様が裏切ってないか不安だったってか)
自意識過剰でもなんでもなく、真実なのだろう。幸村の枕元であぐらをかいた佐助は思った。
(隠し事……適当にでっち上げて話ちまった方がいいのかねえ)
真実を話すことは出来なくても、幸村の不安を取り除くことはできる。
しかし、この石頭な主が、ちゃんと納得するかどうかは謎だ。
「それでは佐助様、わたくしはこれで」
幸村と佐助との間の諍いを知らぬらしい侍女は、一礼して寝間を出て行く。
「おう」
(そういえば、寝るときに側にいるのもずっと俺様の役割だったっけ)
わずか半月前のことなのに、とても懐かしいような気がする。
(それだけ今までべったりだったって事か)
主の寝顔を見下ろしながら、佐助は思う。
(んじゃあ、俺様が好いているってのもばれててしょうがないのか。態度、出ないようにはしてたんだけどなあ)
ほんのり赤く色づいた幸村の寝顔は、いつもより大人びて色っぽく見えて、佐助の煩悩を刺激する。
(ほんの少し)
ほんの少し、近づけたなら。
主従の関係のままで良い。ほんの少しだけ、近づけたなら。
気付けば佐助は、横たわる幸村に口付けていた。
ぱちり、と開いた目と目が合う。
(え?)
「はふへ?」
唇を封じられたままの幸村が、犯人の名を呼ぶ。佐助は慌てて顔を離した。
「いや、これは、なんというか、その、違う!違うってば!」
動揺のあまり、思考が機能しない。必死に手を振って否定の言葉を口走る。
顔が真っ赤になっているのが分かった。もしかしたら耳も、首も。
恥ずかしさで消え入りたくなる。
「俺はどのくらい寝ていたのだ?」
身体を起こしながら、幸村は問う。
「佐助?」
横を向いたまま答えようとしない――答えられない佐助を、いぶかしげに見つめる。
額に張り付いた手巾をはがしながら、幸村は異なる疑問をぶつけた。
「佐助は何をしていたのだ?」
佐助の中のなにかが切れた。
「口を吸ってたんだよ、旦那の!」
「口……?」
熱のせいでまだ上手く頭が回らないのだろう、幸村は小首を傾げる。
「だから!俺様が、旦那に、破廉恥なことを、しかけていたわけよ!」
「破廉恥……?」
しばし、考え込んだ幸村だったが、すぐにはっ、と佐助を見直す。
「さ、佐助、今……男と女がするようなことを……」
「し、て、ま、し、た」
「……!」
佐助が存分に肯定してやると、幸村はみるみる赤くなった。濡れた手巾を握りしめながら、殴りかかってくる。もちろん、熱に浮かされた身体では、力の入った拳を繰り出せるわけもなく、佐助は悠々とそれを避けてみせた。
「破廉恥な!」
かわりに、罵声が飛んでくる。
「そんだけ元気な声だせんなら、俺様も安心、安心」
冗談半分本気半分で、からかいの言葉を口にすると、幸村はむう、とむくれた。
「なにゆえ」
上目遣いに佐助をみながら、幸村は少し語調柔らかく問う。
「なにゆえ、斯様なことをした?遠ざけたこと、怒っているのか?」
「あーあ、これだから頭の固いお坊ちゃんはダメだねえ。いいかい?こういう事は」
佐助は再び主に顔を近づけ、その唇に己の唇を付けた。そのまま口腔に舌を差し入れる。幸村の舌は甘く、とろけるような暖かみがあった。存分に堪能し、唇を離す。
「好きな相手にやるもんなの」
「しかし佐助は!」
いいつのる幸村の言を封じるように、佐助は幸村を抱き寄せた。
「……佐助は?」
「……佐助は、某に隠し事をしている」
「うん。隠さなきゃならなかったくらい、旦那のこと好いてるよ。普通じゃないからなあ。一介の忍びが主に惚れるなんて」
「そんなこと……」
幸村は佐助の顔を見んと身体をよじった。しかし、抱きしめる力の方が強い。
強く強く、抱きしめていたのだ。想いが伝わるように。拒絶されないように。
「忍びはいつも冷静じゃなきゃだめなの。だから隠さなきゃならなかった。当たり前だろ?主人を抱きたいと思う従者なんていやしないさ」
心に一人を決め、そして怯むことなく「好きだ」と言える、昔なじみの忍びの顔を思い出しながら、佐助は思いの丈を吐き出し続ける。
「好いてる。あんたに仕えられて良かったと思ってる。でもそれだけじゃ足りねえんだ、これが」
佐助はさらに腕の力を強めた。
今しかない、と思った。恋い慕う気持ちを全て知って欲しかった。それ以上に彼が欲しかった。そのためには強硬手段もやむなし、と思った。
「旦那、一回だけで良いから、俺様に抱かれてみない?」




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立花さんから強奪。お初話と等価交換の代物。
未完なのですが「出来ているところまで頂戴」と強請りました。