あんなにも


 ――忘れて良いなんて、言わないで



「あまりに辛かったら、忘れてもいいんだよね」

 最近の大学は中にカフェが隣接されていたりと、昔からは考えられない設備が整っている。
 ティーラウンジでミルフィーユを崩しながら――ぼろぼろ、と零れるパイ生地を器用にクリームで掬いながら、元親がじっと動きを止めた。

「今、何っつった?」
「だからさぁ、あまりにも辛かったら、忘れてもいいんだよね?」

 目の前の佐助はいけしゃあしゃあと応えてみせる。そしてコーヒーの中に、ぽとん、ぽとん、と角砂糖を落としていく。

「だってさ、旦那…何処にも居ないんだぜ?」
「――…」
「この世だけじゃない。俺、ずっと…どの世でも探してきたのに」

 ――輪廻は繰り返されているのに。

「もう…気が狂いそう」

 肩を上げ気味にして、ぽとん、と角砂糖を落とすと、その手首を元親が掴みこんできた。

「もう止めておけ」
「――…ッ」
「… 砂糖、だよ。お前、糖尿になりてぇの?」
「あ…」

 ふにゃ、と元親が笑ってみせる。緊張で震え始めていた手が、手持ち無沙汰に何度も砂糖を手繰っていたのだ。それに気付かせられて、佐助は自分の手首をぎゅっと握った。

 ――さら。

「見てみろよ」
「うん?」

 不意に元親が左の髪を押し上げて見せた。いつもは髪で隠れているところに、抉ったような傷跡がある。

「これ、相当深い傷だろ?」
「うん… 何時、つけたのさ?」
「これ、あいつの愛の証」
「は?」

 くすくす、と元親は笑ってみせる。そして、ぱさり、と髪を下ろしてから、さく、とミルフィーユを崩した。

「俺に、この傷をつけたのは毛利元就以外いねぇ。俺も輪廻を繰り返して…その度にこの傷を見た」

  ――まるで、忘れるなと言いたげだ。

 指先で左目の上に触れながら元親は愛しそうに微笑んだ。此処には居ない相手に向っての、微笑みだ――それを眺めて、佐助は首を竦めた。

「そう…だよね」
「忘れるな。忘れちゃ、なんねぇんだ」

 元親は佐助に手を伸ばして、ぺちん、と頬を打った。するとじわじわと佐助の瞳が潤みだした。

「だって、あんなにも愛した…」
「ああ…愛していたさ。憎むくらいに」

 脳裏に描かれるのは、夫々に共に居た相手――成長を見守るくらいに側に居た相手、そして敵として出逢った相手だ。

 ――もう一度会いたい。

 その一念だけだった。長い長い時間の河の中で、見失いかけることも何度もあった。
 この世にいないのだろうと、何度も探して、果てた歴史もある。それを凌駕するまでに、こんなにも胸は相手を求めている。

「馬鹿なこと、言った」
「うん。だろうさ」
「俺様、諦めないよ。どんな枯れた山だって、下りるつもりはない」
「はは…その意気だ」

 泣き出しそうに心寒い時も、こうして自分の居場所を確認する。そしてあの人への思いで自分を奮い立たせる。
 佐助は、ふう、と溜息をつくと、甘くなりすぎたコーヒーに口をつけていった。





 そして出会ったのは、花降る季節。

 ――あんなにも焦がれた相手。

 はらはらと降る花びらに霞む、戦国の世の彼。

 ――さあ、これからどんな時を刻もうか。











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