君恋しと 京へと上った帰り、足を伸ばして真田幸村を訪ねた。小さな庵の、縁側で並んで座っている。人払いをして二人で語り合った。部屋の――襖の奥で小十郎が控えているだろうことは窺えたが、政宗は静かに現状を話し合っていった。 目の前にはかつて戦場で共に刃を合わせた相手がいる。だが今はこうして穏やかに茶を飲んでいる始末だ。梅が芳しい香りを伝えてきて――雪の上に、はらりと小さな花を落としていた。 「政宗殿、もしもの話でござるが」 「――――」 「もしも、某に何かあった時には、ひとつ頼まれては下さいませぬか」 「Ah〜?」 何を突然言い出すのかと、首を巡らせると、真剣な幸村の瞳にぶつかった。軽く受け流せるような雰囲気ではなく、政宗は組んでいた足を直してから、先を続けるようにと顎をしゃくってみせた。 「ひとつ、預けおきたい者がおりまして」 「女か?」 ――お前も男だったんだな。 ぴりりと張り詰めた空気を崩しながら、茶化すと幸村は困ったように眉を下げて見せた。政宗は携帯用の煙管を取り出すと、呑んでいいか、と幸村に窺う。彼は小さく頷いてから、先程の政宗の言葉を否定してきた。 「そんな色艶のある話ではござらん」 「らしくねぇな」 「そうでござろうか」 「前ならよ、破廉恥だって叫んでたお前だぜ?」 ――何かあっただろ? ふう、と紫煙を吐き出す。だが幸村は静かに瞼を落とすだけで、はぐらかしていく。頬におちた睫毛の影が、淡くその影を映すだけだ。 すい、と指さきを動かして幸村は自分の首にかかっている紐にひっかけた。ちゃら、と金属音をたててそれが政宗の眼に映る。 「この六文銭を託します故」 「納得いかねぇな。何故も其処まで固執する?」 手を伸ばして幸村の首もとの六文銭に触れる。すると首を差し出すかのように、幸村は首を仰け反らせ、ほんの少しだけ顎先を上にむけた。 興味を失ったとばかりに六文銭から手を離すと、ちゃりん、と音を立てて彼の胸元にそれは戻っていく。そして庭の梅を見上げながら幸村が微笑みながら――世間話をするような軽さで口を開く。 「某はあ奴がなくとも、何とかなりましょう。しかし、あ奴は…某無しでは死に逸るやもしれませぬ」 「――……」 「女房に先立たれた男ほど、惨めなものは無いでしょう?」 にこり、と穏やかな笑みを浮かべて小首を傾げてくる。こんな笑い方をする男ではなかった――戦場で喜怒哀楽激しく、怒声を、声が嗄れるまで叫ぶ彼しか知らない。 「お前よ、結構酷いことを軽く言うんだな」 「そうでござろうか?」 「ま、解ったのはお前にとっては、女房くらい信頼を寄せている相手だって事だな?」 ふう、と紫煙を燻らせながら政宗は足を組んだ。女ではないのなら、女房役だろうと――片腕に相当する相手だと窺える。すると幸村は子どものように、肩を竦めながら、淡々と答えていく。 「まぁ、閨では某が女房役でしょうが」 「――ヤッたのか?」 思わず身を乗り出すと、にやり、と幸村は意地の悪い笑みを口の端に乗せた。 「さぁ?」 意味深にはぐらかして、いくら問うても答えてはくれない。途端に大人びたり、子どもっぽくなったり――真田幸村という人間の別の面を見ていると、印象がどんどん変化していくように感じられる。政宗は率直な感想を漏らした。 「やっぱり変わったな、真田」 「――……」 「お前、変わったよ。何が其処までお前を変えた?」 ――どさ。 しん、と静まる庭に、樹から雪が落ちて音を立てる。奥州の雪ほどではないが、此処にも名残はあるものだ。吐き出す息も、ふわり、と白く見える。 「触れもせず、ただ眺めていられるなら…恋うるだけなら良かったのでしょうな」 幸村はちらりと政宗の背後に視線を動かした――いつも其処には小十郎が控えているのを彼も知っている。だが今は此処にはいない。その為か、胸の裡を彼は静かに語っていく。 「触れさせず、夢現のことのように、思いあっていられるのなら」 「お前を鬼に変えるのは…変えたのは」 ――恋か。 言葉は静かでも、裡に秘めたる想いは熱く強いものだった。だが、どこか歪な気がしてならない。 幸村は、腿の上に拳を握りこみ、ははは、と自嘲の笑みを口の端に乗せた。 「お笑いくだされ、政宗殿」 「――…」 「某、戦場に出るというのに、怖くて堪らないのです」 弱気な、臆病な、と罵る気にはなれなかった。 誰しも戦場には様々な思いをもって挑むものだ。だが、政宗は彼に厭な予感を感じた。 ――なんでこいつは笑っていられるんだ? 語る彼の顔は笑んでいた。隣の政宗を通り越して、梅に視線を向けて、すう、と甘い香りを吸い込んでいく。幸村の瞳が眩しさで眇められ、きら、と目じりが光って来ていた。 「失ってしまうのが、怖い。あ奴の死に行く姿は看取りとうはない。故に…」 「言うな」 「某は…」 「言うなってッ!」 どくん、どくん、と心臓が高鳴り、まるで警鐘のように響いていく。声を荒げて静止したところで、幸村が止まることはなかった。一呼吸置いてから、幸村は――ちゃら、と自分の胸元の六文銭に手をかけて――瞑目しながら口にその言葉を上らせた。 「某は、必ず先にこの命を遂しましょう」 ぎり、と歯噛みするしかなかった。 この男は、戦で命を遂すつもりだろう事は解っていた。だがその理由がいまや、恋情まで絡めて――恋故に死すると告げてくる。 幸村の二槍が唸りを上げる瞬間を瞼に描きながら、政宗は拳を縁側に叩き付けた。 「俺との勝負もつけずに、お前は…ッ」 「お許しくだされ」 「You kiddingッ!」 「どうか、某にもしものことがあった時には」 しず、と幸村は頭を垂れて来る。ふうふう、と呼吸を荒くしながら政宗は目の前の男を睨み付けた。 「こんな事を頼めるのは、政宗殿以外には居りませぬ故」 「…酷い男だな、お前」 切なる幸村の気持ちは変わらないようだった。何時の間に彼にこんな冷静な面が出来てしまったのだろうかと、不思議でならなかった。 「某、これでも【紅蓮の鬼】でござる故」 ゆっくりと顔を起した幸村は、今にも泣きそうな――雪に霞むような笑顔で――だが、どこか満足気な顔で、政宗に微笑みかけて来ていた。 それから幾日が過ぎたか、数えることもなく、忘れかけていた頃に、それはやってきた。 ――真田幸村が討たれた。 風の噂に「遂に討たれたか」と落胆したのは事実だった。そして程なくして、約束通りに一人の男が政宗の前に現れた――手に、六文銭を携えて。 静かに低頭する姿にこべりついた血腥さが鼻に突き刺さった。 「我が主、真田源次郎幸村が遺言、お伝えに参りました」 「――お前だったのか…」 目の前に低頭するのは、夕陽を写し取ったような髪を持つ男だった。細い体躯と、忍装束――猿飛佐助は、静かに視線を上げた。 「久しいね、竜の旦那」 「待ってたぜ…真田の、狗」 嘲るように告げると、彼は一瞬だけ瞳を曇らせた。そして、幸村からの言付けだと、手を差し出してきた。 ――ちゃら…。 佐助の手にしていた六文銭は、所々に赤黒い染みが付いていた。それを見下ろしながら、政宗はあの日の――梅の下で微笑んだ幸村を思い出していった。 了 091223 up/「深淵」と繋がる戦国の話 |