残響、色濃く




 手にまだ彼の息吹が吹きかかる気がした。
 それでも、もうこの手には、耳には彼の温もりが触れることがない。

 ――元就。

 優しく名を呼ぶことなんてなかった。
 いつも叫ぶかのように名を呼んできた。それが、命ぎりぎりの鬩ぎ合いのようで、何度心が躍ったかしれない。
 戦を理由に、彼の姿を見ることに、厭うべくはなかった。
 それなのに、触れることもせず、交わすこともせず、彼はただ最期の時だけを求めてきた。

「好きだ」

 何の冗談かと思った。輪刀にかける己の手が力をなくす――それなのに、彼の手が強く押し付けてくる。

 ――やめろ、やめてくれ!

 何度も何度も口にしたというのに、彼はそれを許さずに、強く己を抱き締めていった。

 ――ばしゃ。

 飛び散った彼の血は、赤く、生臭く、そして暖かかった。
「馬鹿者が」
 呟いた言葉に――流れる血に混じって、涙が零れ落ちる。だがそれを拭うものは何処にもいなかった。










「なぁ〜、アンタさ、前世とか信じる人?」

 書店の棚チェックをしていたところ、背後からそんな風に声を掛けられた。
 無論、いつもならば営業の面構えで流すところだが、見上げた先の彼の姿にそれも出来なくなっていく。

「お客様、それは…」
「客じゃねぇよ、しらばっくれるな」
「――…何を仰っているのか解りかねるが…」
「元就」

 びく、と肩が揺れた。
 その名を、その声で、そんな柔らかさを持って告げる人間は一人しか浮かばない。

「な、あんた、元就だろ?」
「――――…」

 手から台帳が零れ落ちる。拾わなければと思うのに身体が動かない。

「見つけた、俺の…俺を殺した男」
「――ッ」

 ひゅう、と咽喉の奥が乾いた気がした。辛うじて彼に向けられたのは、笑顔でもなく、ただ憎悪からの表情でしかなかった。

「そうだろ、毛利元就。ずっと探していたんだ」
「――――…」
「俺は元親だ、長曾我部元親」

 伸ばされてくる腕が、この肩に触れようとした。それを直ぐに叩き落とし、身を屈めて台帳を拾い上げる。

「いてぇな、おい」
「――何のことか、私にはさっぱり」
「元就」
「失礼します」

 ささやかな復讐だった。彼に背を向けて、覚えてない振りをする――それで、全てが変わるとは思ってもいなかったけれど。
 バックスペースに身を滑り込ませると、其処には在庫が頭上まで積み上げられている。
 それに寄り掛かりながら、一呼吸おくと、顔を両手で覆った。

 ――元就。

 柔らかさのない声だった。懐かしい声だった。懐かしく愛しい響きだった。

「もう一度、呼んでくれ…」

 耳に残る彼の――あの戦国の彼の声。それと酷似した響きがこの耳に触れていった。





 今度は、どんな結末にしようか。
 触れ合わずに過ごした日々を砂塵に巻いて、行けたらいいと何度願ったかしれない。






20091025/091101 up