避けられない道 一度も言えなかった、言わせて貰えなかった。 「毛利、毛利…」 元親が背後から何度も呼ぶ。その声がやたらと優しくて耳に突き刺さる。 「貴様、一度言えば解るであろうに」 「いや、こうやって何度も唱えていると、俺にお前の名前が刻まれるみたいでさ」 馬の手綱を引いて元親がこちらに向き合う。同じように彼の傍に馬を動かした。 「ふざけた事を」 「ふざけているのは、今のこの状況だ」 「――――…」 安芸の地で共に語らうには、いささか物騒すぎる世だった。移動しながら、木の葉のさえずりを耳にしながら、隣の男にも僅かでも警戒心を抱く。 彼は長曾我部元親――四国の、西海の鬼。 その鬼が、遠くに見える海の海面を、うろこのようにキラキラと光る海面を見つめながら、しっとりとした物言いをする。 「戦なんてなくてさ、太平の世で、俺とお前も敵なんかじゃなくて…ガキの頃のままで居られたら」 「――――…」 「そしたら、俺とお前、たぶんもっと傍に居られたと思う」 ――女々しい。 その言葉を聴いたとき、そう感じた。これが四国を治めた男の言葉かと。 この世に武将として、戦人として、戦って死ぬことに疑問を抱く言葉だった。それを感じないことも無いが、あえて口には出さない、考えない。 瞼を伏せて、馬をとめた。 「――…起こりえない事を」 先を行っていた元親が、手綱を引くと、ぶる、と馬が嘶いた。そして元親は左の口の端を吊り上げて笑った。 「ああ。だから…戦うまでよ」 「挑まれたとならば、受けて立とう」 開戦を告げる鬨、それをこの耳に。 振り返った彼の顔は、眩しいものでも見るかのようだった。 ――スキだ、好きだ、好きだ…好きだよ、元就。 繰り返す彼の言葉。 彼の首元に輪刀を構える。その先に進めてはいけない――疲弊した身体からは、それでも力を制御しようとして、ぶるぶると腕が震えた。 「離せ、長曾我部」 「――離せねぇよ、お前の手じゃねぇか」 「離せと言っている!」 ぐぐ、と元親の手が自分の手に重なり、強く押し進めようとしている。 「好きだよ、元就」 「ふざけるなッ!」 「大好きだ。お前の手で、俺を終わらせてくれよ」 「貴様…――ッ」 輪刀にかける手を離そうとする。それを上から強く握りこまれて離れない。それなのに元親はどんどんその身体を押し進めてくる。 「誰に討たれても厭なんだよ。お前なら…」 「やめろ、やめてくれッ」 首をすくめて、俯きながら拒否した。それなのに、元親のはっきりした声が耳に響いた。 「背を張れ、智将・毛利元就」 「――――…」 顔を上げて彼を見る。 「好きだ」 碧色の瞳が元就を射抜く。 ――ふ。 瞳を離せなかった。その瞬間、身体から力が抜けた。そして、元親が覆いかぶさってくる。 ばしゃばしゃと浴びるように降って来るのは、彼の血飛沫だった。 「――馬鹿者、が」 触れた唇には、鉄錆の味がしていた。 戦場に崩れ落ちる瞬間、彼の身体をはじめて強く掻き抱いた。 20090906/091101up |