春待ち蕾





 長曾我部元親の花屋は駅前にある。故に外に花々を出している訳で、殊冬には寒さとの戦いでもあった。
 勿論、防寒は念入りに行っている。背に懐炉、腹に懐炉、上着を着込んで、更にズボンの下には爺臭いと言われようが股引だ。

 ――でも寒いんだよなぁ。もう三月だってのにさ。

 直ぐ近くには駅があり、回りには駅へと続く階段がある。その為に日陰になりやすい。日陰になり易いという事は、その分体感温度が下がるということだ。
 ぶる、と首を竦めて元親は鼻を啜ってみた。風邪を引いている訳ではないが、すん、と鼻が鳴る。鼻腔の奥に冷たい空気が、きん、と響いてくる。
 首元の冷えに元親は顎先を引いた。すると、もふ、とふかふかしたマフラーに鼻先まで埋まって温まっていく。

 ――暖ったけぇ〜。これ、嬉しいよなぁ。

 ばふ、とぐるぐるに巻き込んだマフラーに手を添えると、ふふふん、と笑い声を立ててしまう。濃い緑色のマフラーは先月のバレンタインに貰ったものだった。全く予想もしていなかった相手から貰ったものだが、かなり重宝している。

 ――寒かろう、これをやる。

 バレンタインも仕事に勤しんでいると、元就がやってきて、自分の首に絡まっていたマフラーを解いて掛けてくれた。朝にはそのマフラーは無かったし、今まで観たこともなかったものだ――要するに元就は照れ隠しに、自分の首に先に包装を解いてマフラーをかけ、さり気なさを示しながら渡してきた、という訳だ。しかも礼を言おうにも彼は元親の首にマフラーをかけると直ぐに背を向けて行ってしまった。その耳が赤く染まっていたことに気付いて、元親もまた顔に火を灯したかのように照れてしまった。
 家で渡せばいいのに、と後から二人で苦笑したのも良い思い出だ。

 ――可愛いことするよなぁ。

 その時の事を思い出して、思わず口元が綻んでしまう。あと少しで勤務時間も終わるという頃合なので、誰かにそんな緩んだ顔を見られても平気だ。元親は手元に寄せていたチューリップを五本ずつ纏めながら、ほいほい、とバケツに入れていく。桃の節句が終わったと言っても、まだ旬だ――濃いピンク色の桃を視界に収めていると、ひょい、と見慣れた顔が覗きこんできていた。

「元親〜、桃、ちょうだい」
「慶次か…良いぜ。好きなの選びな」

 にこにこしながら慶次がバケツを覗き込む。彼の訪れに気付いて、店の中にいた店員が顔を覗かせた。慶次は慣れたもので、軽く挨拶をすると、桃の枝をひょいひょいと三本取り上げた。

「これがいいなぁ…明日さぁ、ボランティアで小学校にお茶立てに行くんだよね」
「へぇ〜…ちゃんと働くお前ってのも良いんじゃないか?」
「良くないよぅ。明日、ホワイトデーだってのに仕事だなんて」

 ――つまんないよね。

 眉を下げながら言う慶次が、取り出した桃を元親に渡す。桃を受け取りながら元親はハッと瞳を見開いた。手に桃を受け取ったまま、くる、と顔を起して慶次をじっと見つめながら詰め寄る。

「明日?」
「うん?どうしたの、元親ちゃん」
「明日、ホワイトデー?」
「そうだけど…え、どうかしたの?」
「やっべぇぇぇッ!!」

 ばっと元親は自分の頬を両手で押さえた。その拍子に、ぱん、と小気味良い音が響いた。元親の手にあった桃は、ばさばさと作業台から落ち、慶次が慌ててそれらを拾い上げた。

「ちょっと元親、どうしたってのさ」
「明日、元就の誕生日だ…」
「え?」
「今もう店開いてないよな…?」
「あ〜…うん、そうだね。もう夜だもん」

 とっぷりと暮れた空を見上げて慶次が応える。元親はその場にしゃがみ込んで、はあああ、と大きな溜息を漏らした。気遣うように、桃を手に持った慶次が覗き込んでくる。

「プレゼントなら、明日買いに行けばいいんじゃない?」
「そ…そうだよなッ!ってか、うわ〜、俺色々考えてたのにッ」

 きぃと歯をむき出しにして――しゃがんだままで元親は頭を掻き毟った。首だけを上に仰のかせてみると、真っ暗な空が目に映る。

「前日から仕込みをしようと思っててよ…色々考えてたのに。すっかり忘れてしまってた」
「そういう事もあるよ。ま、兎に角明日頑張りなよぉ」

 ――マメだねぇ。

 作業台に肘をついて慶次が笑う。にまにまと口元を吊り上げる笑い方は、揶揄してるかのようだが、元親は気にすることはない。よいしょ、と声をかけながら長い足を伸ばして背伸びをすると、閉店準備するか、と呟いていった。










 リビングのソファーの前で文庫本を読んでいる元就の隣に、どさ、と座る。それに合わせてスプリングが跳ねると、軽く隣の元就の身体も跳ねたようだった。
 元親は構わずに手に持っていたトレーナーを着込む。風呂上りのおかげで身体がほかほかと温まっており、日中の冷えが嘘のように遠のいていく。トレーナーから首を出すと、元親はクッションを抱え込んだ。そして横に座る元就へと視線を動かす。

 ――かーわいい。

 ぱら、と静かにページを捲る横顔に見惚れてしまう。それだけなのに、ふにゃ、と表情が緩んでしまう。元親はうずうずとしてくる思い付きを、思い切って口にした。

「元就ぃ、今日、一緒に寝ねぇか?」
「――良かろう」
「えッ」

 ぱたん、と本を閉じる音がする。素直な彼に驚いてしまうと、元就は顔を元親のほうに向けて、淡々と述べた。

「寒いしな。一人で寝るより暖かろう」
「あ…そう。俺、湯たんぽ代わりかよ」

 元親が抱えたクッションに顎を乗せると、元就は素早く立ちあがった。

「ふん…ならば一人で寝るか?」

 見下ろされながら言われると、少しだが癪に障る。元親はクッションをソファーに置くと、彼の後に続いて立ち上がった。自室が一番ここから近い。

「いや、理由はどうでもいいや」

 よろしい、と元就は頷く。頷いた元就の手を引いて自分の部屋に引っ張っていくと、先に布団の中に身体をもぐりこませる。そして脇に寄って元就のスペースを作ると、そこを叩いて見せた。元就は一瞬だけ眉根を寄せてから、与えられた隙間にすっぽりと収まる。
 彼が其処に収まったのを確認してから、元親は布団をかけつつ彼の身体を自分の方へと引き寄せ、ぎゅ、と抱き締めた。

 ――ふわ。

 鼻先に元就の髪が触れる。不意にそれを口に含んでしまいたい気持ちになるが、流石にやめておいた。無理を強いて引っかかれるのは嫌だ。

「明日さ…その、何か用事あるか?」
「珍しいな、我の予定を聞くとは」
「珍しくもないだろう〜?」

 ごそ、と元就が身体を元親の方へと寄せる。たどたどしく腕を伸ばして、元親の背に宛がわれると、急に体温が上がった。元就から抱きついてくるなど珍しい。

 ――ありがとう、俺の体温。

 ぬくぬくとしている元就を見てしまえば、暖かくてしている仕種だと知れる。それでも嬉しいと感じてしまうあたり、損な性分かもしれない。

「明日はな、行きたくもないが竹中に誘われてな。買い物だ。その後は決戦だと、竹中が叫んでおった」

 ――何が決戦なんだか。

 眠そうに元就が瞼を落とし始める。元就の言葉から明日が何の日なのか、彼はまだ気付いていないという事が窺えた。

 ――これはサプライズ、間に合うか?

 ふとそんな風に考えていると、返答が無いことに気付いた元就が顔を上げて見上げてくる。だが寄り添いあっているせいで、たぶん元就からは元親の頤しか見えないだろう。

「何か予定でもあったのか?」
「そ…そっか。そか…遅いのか?」
「そうでもないぞ」

 慌てて元親が聞くと、安心したのか元就は再び顔を元の位置に戻してから瞼を落とした。見下ろしていると目尻に向って伸びる長い睫毛が見える。切れ長の瞳を、より一層際立たせるそれを見下ろしながら、元親は胸の中でガッツポーズをしていた。

「いや、気にするな。楽しんで来いよ」
「うむ…そうする」

 ふあ、と欠伸を噛み殺す音がする。それを聞きながら元親もまた瞼を落としていった。










 出かける元就を見送ってから出勤すると既に準備は整っていた。遅番の日は全てお膳立てされている中で仕事を開始するようなもので、なんとなく楽でいい。だが元親は朝礼宜しく、従業員の前に立つと腕を組んで声を張り上げた。

「野郎共っ!今日も気合い入れてけよッ」
「兄貴――ッ!」

 わあ、と従業員が声を上げる。といってもそんなに多いわけではないのだが、彼らもまた声が大きいので数十人いるかのようだ。そんな中で今の勢いを削ぐように、元親は白い歯を見せながら鼻の前で手を立てた。

「あ、でも俺、午前で上がるから」
「え…どうかしたんで?」
「いや私用。すまねぇな。明日も市場頼むぜ」
「わかりやした!」

 がば、と礼をする彼らに「それじゃあ、五大用語行くぞッ」と再び声を張り上げる。接客に欠かせない用語を復唱しながら、元親は今日のタイムテーブルを綿密に捏ねていった。
 一方、元親に送られて待ち合わせ場所に赴いた元就は、カフェでのんびりと竹中半兵衛を待っていた。彼は程なく現れると、先にずんずんと突き進んでいく。その半歩後ろについて行きながら、目の前に広がった売り場を見て元就は僅かに視界を瞬かせた。

「買い物というから、服か何かと思っていたのだが」
「残念だったね」
「まさか菓子売場とはな」

 眼前に広がるのは洋菓子、和菓子の食品売り場だ。きらきらと光るライトを受けながら、共にウィンドウを眺めていると手が伸びそうになってくる。チョコレート、焼き菓子、ケーキ、とこれでもかと存在を煌かせているウィンドウは将に宝石箱だ。元就が瞳を輝かせて覗き込んでいる間に、半兵衛は肩を叩いてくる。

「だって今日はホワイトデーだよ?クッキーとか買わなきゃ」

 彼が示すのは店舗の上に飾られた「WHITE DAY」の旗だ。元就も「ああ、なるほど」と口の中で呟いてから、そっと半兵衛に聞いてみた。

「その前にお前は貰ったのか?」
「――」

 ぴた、と半兵衛の動きがとまる。楽しそうにくるくる廻っていたかと思えば、その一言で固まってしまったようだ。

「貰ったのか?」
「嫌みな事言うねぇ」

 むにむにと口元を戦慄かせて半兵衛が振り返る。元就は膝を伸ばして立ち上がると、ふん、と確信に胸を張った。

「貰っていないのだな」
「貰ってなくてもいいの。他ならぬ僕が買って、贈りたいと思ったんだから」
「イベントにかこつけて、接点を作ろうというだけだろう」

 ぷうと頬を膨らませる半兵衛に、どこの女子高生だ、と呟きそうになる。だが半兵衛はそれで凹むわけでもなく、逆ににこりと笑みをその面に湛えはじめた。

「そうかもね。でも彼は疎そうだからさ。僕と過ごして、こう言うことをする日だって、覚えてもらえればいいよ」
「ほう…殊勝な」
「そういう元就君は?」
「うん?」
「あげないの?」

 つい、と身を寄せて半兵衛が見上げてくる。肩に、肩をとんとんとぶつけてきている。くるくるとした癖毛が肩をぶつける度に跳ねていた。

「あげるも何も…我は」
「居るんでしょ、好きな人」
「――…ッ」
「こういう勘は外れないんだけどなぁ」

 半兵衛は矛先を向けてくる。元就は仕方なく横のウィンドウを眺め「自分用に買うか」と呟いた。その直後に彼のブーイングが起こったが、それには耳に栓をすることにした。










 土産という名目の、ぶら下げた紙袋がやけに重いような気がした。

 ――何だか期待し捲っている輩のようぞ。

 バレンタインにはチョコレートを渡すのが恥ずかしくて、それにいつも彼の首元が寒そうだったから、マフラーを贈った。さり気なさを装ったつもりだったが、元親にはばれているだろう。
 そして今は手に紙袋を提げている。この一連の所業から、毎月彼に愛の告白でもしているかのような気持ちになってしまい、額を押さえたくなってしまう。
 元就は自宅の玄関前で突っ立ったまま、鍵を出そうと、ポケットの中を探った。

 ――ふあん。

 鼻先に甘い香りが過ぎる。元就は顔を起して香りの出所を探った。そうすると玄関前のドアの中から漂ってくることに気付いた。そっと音を立てないように鍵を開け、中に入り込む。そうっと靴を脱いでから、抜き足差し足、そろそろと動いていくとキッチンの方から、どたどたと元親がリビングを往復していく。

「よっしゃ、準備できあがりッ!」

 ばさ、と元親がエプロンを取り外す。そして時計を見上げながら「もうこんな時間かよ」と携帯を取り出していった。

「もう買い物終わったかなぁ…迎えに行くか」

 独り言を言いながら携帯を手繰る元親が、数回のコール音の後に元就の名前を呼んだ。元就はマナーモードにしていた携帯を取り出して、キッチンの外で受ける。すすす、と元就はその場でしゃがみ込んで、キッチンの外の廊下に座り込んでいた。

「はい」
「あ、元就?今何処?俺、迎えに行こうか?」
「――迎えは、いらぬ」
「え、どうしたんだよ?って、まだ外…」

 其処まで言った元親の声が止まる。出かけようとしていた元親が、キッチンの外に顔を出したまま、其処に座り込んでいる元就に気付いたのだ。

「あ…あれ?元就、いつ帰ってきたの」
「今、だ…」

 膝を抱えて携帯を閉じると、元就は元親を振り仰いだ。見上げる元親の顔が、ほわわ、と朱に染まっていく。

「――ッ、元就ッ」
「え…」

 ぐい、と引き上げられて、気付くと彼の腕に抱き締められていた。甘い香りが元親の身体から漂ってくる。

「わああ、もうッ!元就ってば、なんでそんな可愛い顔してんだよ?」
「かわ…?お前、今すぐに眼科に行けッ」
「ヤダね。そんな…可愛い顔されるとたまんなくなる」

 ぐりぐりと元親が元就の頬に頬を摺り寄せてくる。こんな風に甘く触れてくるのは珍しい。一体どんな顔をしていたのかと自分で謎になってくるが、たぶん照れてどうしようもなく弱弱しかったのではないかと推測した。

 ――あんな元親に…まめまめしい元親が愛しいと、思ってしまったのだし。

 元親は元就を抱き締めたまま、リビングの中に引き摺ってくる。そして「ほら」とテーブルの上を示した。
 テーブルの上には真っ白なレアチーズケーキの上には、ブルーベリーソースがあしらってある、それに白いティーセット、そして沢山のクッキー、更には真っ白な――今の季節に白い花を探すのは難しかっただろう――沈丁花が飾られていた。

「これは…」
「誕生日、おめでとう。それから、ホワイトデーのお返し」

 ――ちゅ。

 言うや否や、元親の唇が鼻先に触れてくる。そしてそのまま額に滑らせるように口付けられて、ぼぼぼ、と背中から熱いものが込み上げてきた。

「喜んでもらえるかな?」
「う…うれしくなんか…ッ」
「良かった、喜んでもらえて。元就、好きだぜ〜」
「あ…――う、その…」

 覚えていて貰えたと言うことに、嬉しさがこみ上げてくる。思わず呟いた言葉を掬い取って元親がほんわりと表情を和らげる。そんな彼に胸のうちから込み上げる感情をどう表現しようかと悩みながら、何も思いつけない。

「元就、白いものが好きだから。だから、全部白で統一してみたんだ」
「――ッ、元親」

 ――ぎゅう。

 勢い余って両腕を回して抱きついた。すると一瞬だけ驚いた元親が、へへ、と鼻をならしながら擦り寄ってきた。元就は彼の厚い胸板に頬を押し付けながら、ありがとう、と告げていった。










「今更なんだけどよ…」
「うん?」

 素肌の背に手を滑らせて、元親が囁く。しっとりとした肌の上に、つつつ、と触れられると、再び腰に熱が篭りそうになって、元就は身体を起こした。
 後ろから抱き締められるままに、抱き合って、呼吸も荒くなっていたのが嘘のようだ。

 ――まだ熱い。

 じんじんと後孔が熟れるかのような感覚が残っている。誕生日を祝ってもらって、お返しを貰って、更に気付いたらこうして身体を絡ませあっていた。
 元就には珍しくこの行為に没頭してしまっていたのだが、彼の熱が離れると瞬時に頭が冷えていくように感じられて、そっと後方に座っている元親に背を預ける。
 すると後ろから逞しい腕が回ってきて、ぎゅう、と強く抱き締めてきた。肩口に元親の顎先が乗り上げてくる。

「今更なんだけど、あれ…なんの袋?」
「ああ…あれか。あれは土産だ」
「土産?」
「竹中に付き合って行ったのは菓子売り場だった。桜餅が美味そうでな。明日…もう今日か。前田にでも茶を立ててもらって、皆で食べようと…」

 紙袋の中身は和菓子だ。洋菓子売り場を廻っていたら、なんとなく腹が立ってきたという。記念日に乗じてしまう自分に腹が立った、というのが真相だが、それは言わないことにした。天邪鬼に和菓子を買って、土産にもってきたのだ。

「桜餅が出ておってな、もう冬も終わりだと気付かされた。もうすぐ春なのだと…」
「――元就ぃ」
「なんだ?おい、気持ち悪いな」

 春がくれば硬い蕾も開く。そして暖かい空の下で、花々が開く季節がくる。冷える季節は耐えることが多いが、春を迎えるには大切な時期だ。

「次はお花見に行こうな」
「…勿論だ」

 ――春は直ぐ其処だからな。

 肩に元親の顎先が乗る。甘く、ふふふ、と笑う彼に絆されるのを感じながら、元就は首を廻らせて自分から元親に口付けていった。


 花咲く季節は直ぐそこだ――そしてまた彼と出あった時の、白い花の咲く季節がくる。何度でも一緒にその季節を迎えたいと願いつつ、甘く夜に溶け込んでいった。













100316up / 0314は元就様の誕生日。
まなかさんと魚子さんに捧げる花屋アニキ〜。