Oasis



 東屋の中に入ると、直ぐに元就は元親と共に膝を折った。流石に彼の身体を抱えてくるのは無理があったらしい。はっ、はっ、と細かい息を吐きながら、それでも元就はひきずるようにして元親を再び中に押し込めていった。
 ずるずる、と彼を引き摺りながら中に進む――東屋といっても、民百姓の生活の場と云うには品が良い家屋だ。

 ――此処は、一体…

 人の気配はまるでない。通りかかった竈には見事に蜘蛛の巣が張っているところからすると、人が使わなくなって久しいことが窺える。
 疑念を抱きながらも元就は彼を連れて中に入っていった。そしてぐるりと回廊を渡ったところに、茶色に褪せた畳を見つけ、其処に彼を寝かせつけると滴ってきていた汗を手の甲で拭う。

「水…どこぞに、水はありはせぬか」

 きょろ、と回りを見回す。だが荒れた庭先には、水の入っていただろう水甕からも雑草が茂っている始末だった。

「う……――」
「長曾我部?気付いたのか…?」

 ぐ、と首を動かした元親を覗き込むように身を伸ばす。だが呻いただけで元親は規則正しい吐息を吐き出すだけだ。

 ――このままじっとしている訳には行かぬな。

 元就はぎゅと拳を握りこむと、薄暗くなってくる外を見上げた。灯りになるようなものは何も持って来ては居ない。判断つかぬ場所での所作は命取りになることもある。
 だが此処で負傷した元親をそのまま置いていくのも気が引けた。
 元就は外と元親を交互に――何度も繰り返し見て、そして静かに立ち上がった。決断は早いに越したことは無い。

「しばし待っておれ、長曾我部」

 元就は脂汗を浮かべている元親の顔を見下ろすと、淡々と言ってのけ、そして部屋の隅に見えた廊下へと足を向けていった。








 廊下に足を向けると、ぎしり、と音を立てる。部屋のそこかしこを見てみれば、ほんの僅かにある畳は変色し、陽に焼けて茶色になっていた。人の住んでいる気配は全く持ってない。
 元就は無言で廊下をぐるりと回りこむ――戦でもそうだが、地の利を知っておくのは手だ。せめてこの家の中の様子くらい把握しておかなくてはならないだろう。

 ――キラッ。

「――…ッ」

 ふと視界を掠める光があった。この夕焼けの時間だ――だがその夕陽も当に姿をなくし、名残だけの赤を空に刷いている。その中で光るものというのは警戒しても可笑しくは無い。

 ――ぎし…

 ゆるりと足元を動かすと床が音を立てた。身体を隠すように柱に沿え、そして光の下に対面する。

「なんと…」

 身を躍らせると、この家の背後に小さな祠が出来ていた。其処には金色に輝く大日如来が鎮座している。ぎしぎし、と足元をその前に向けながら元就はひとつの考えに行き着いた。

「此処は、庵、か……」

 主をなくした庵であろう。荒れるままにされている様相から、そう判断した。如来の側には半分ほど残った蝋燭と、火打石が置いてあった。

「お借りする」

 徐に元就はそう呟くと、それに手を伸ばしていった。だが元就の言葉に答えるようなものはいない。元就は手に蝋燭と火打石を持ちながら、首を巡らせた。

 ――ぴちゃん…

 小さく滴の垂れるような音がする。この祠が家の裏に位置しているのはわかっていた。だが廊下は此処までで途切れている。

 ――庭か…。

 荒れるに任せて雑草に覆われた庭――そこに足を下ろし、元就は大きく息を吸い込んだ。そうすると鼻先に火薬の匂いが触れてくる。
 この安芸をいいようにされてなるものか、と胸の裡からふつふつと怒りが込み上げてくる。だが今の自分には何も出来ない。

 ――期を見なくては。

 空に赤い線が掃かれて行く――それを見上げてから、瞑目すると元就は祠の奥に足を向けた。
 井戸は枯れていて使うことは出来ない。水瓶の中もまた雑草に占領されている始末だった。だが何処かで水を調達できればと思っていた。

「これはあり難い…」

 祠の奥、ひとつ茂みを越えた辺りに小さな小川が出来ていた。その先は山の頂だ――流れていく清流に手を浸し、元就は膝を折ると手で水を掬って口元に向ける。
 冷たい、山の水の味が咽喉に流れ込む。
 口の中まで埃で満たされていたかのようだったのに、やっと咽喉がすっとした。こくこくと水を飲み続け、ある程度来ると元就は口元を拭い、辺りを見回した。
 勿論、今此処にこの水を汲めるようなものはない。
 何か代用になるものをと、見回してから、大きな葉っぱをちぎり取り、元就はそれを舟にすると、其処に水を汲みこんで踵を返していった。



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