葡萄の実がなる頃





 世間のワインブームが一通り落ち着いて、葡萄月へと移行した。
 ほんの少し前までは、その日を待ち望んで予約まで取る有様だったのに、最近ときたらそうでもない。普通に量販店でも売られているのを見ると、そんなに特別なものでもないと気付く。

 ――俺はワインよりも、ポン酒とか焼酎が好きだしなぁ。

 元親は駅前の百貨店に出ている売り子達を眺めて、はふ、と溜息をつくと、本日最後の仕事だと動き出した。
 エプロンの紐を、きゅ、と結び直し、首をこきこきと動かしてから、残っている花を選別する。そして明日の市場への準備として、店員に購入指示をしてから取り掛かった。
 元親はバケツに押し込んでいた花を手にとって、閉店間際の安売りの為に小さなブーケを作っていく。くるくるとリボンを操って、出切るたびにひょいひょいとディスプレイに入れていくと、その端から仕事帰りの女性客が購入していった。

「ワインのお供にどうですか、お花でもッ」

 そんな風に便乗して述べると、そうねぇ、と考え込んでから客は手にしていく。どうせなら雰囲気も味わいたいのだろう。

 ――まぁ、確かにワインって言ったら、チーズに真っ白なテーブルクロス?

 何処のインテリア雑誌だ、と自分の脳内に告げたくなるが、そんな事を思い描いてから、元親は自分用に花を寄せて行った。










 がさがさ、とビニール袋を手にして玄関に行き着く。そして鍵を取り出すでなく、呼び鈴を鳴らした。

 ――いつもながら、この瞬間に幸せ感じる俺って、安っぽいよな。

 そう感じても、幸せと思ってしまうのだから仕方ない。中に人の気配はしっかりとある。自分の家に帰るのに、鍵を要していた日々が懐かしい。

 ――がちゃ。

「遅かったな、元親」
「おう、只今。もう飯食った?」

 程なくして出てきたのは、毛利元就だ――言わずと知れた元親の恋人、そして同居人だ。元親にしてみれば、同棲と言いたい所だが、彼にはそれなりの誇りがあるらしく「同居」と言い張る。

 ――どっちでも構うもんか。

 一緒に生活できるのなら、それで構わない。元親は中に入ると履いていたスニーカーを脱ぎ、玄関に並べた。どうしてもそうした作法は外せない。意外と云われても、身に付いたものを取りやめるのは難しいものだ。
 その一連の仕種を、腕を組みながら彼はじっと見つめていた。

「何だ?元就……」
「それは何ぞ?」
「ああ、これ…――?」

 がさ、と手にしたビニール袋を上げて見せると、元就は冷ややかささえ湛える瞳を眇めた。別に睨んでいる訳ではない――何なのかと問うているだけだ。

「ボジョレー・ヌーボーだってよ」
「――ワインか。して、何故そんなに…」
「だってよ、俺、どれが美味いかなんて知らねぇからよ」

 ――ひと通り買ってみたッ!

 中に突き進みながら言うと、元就が呆れた顔をした。リビングのソファーに腰掛けて――ソファーの背凭れに肘を突きながら、元親の購入してきたワインを一つずつ見ていく。
 その間に元親は手洗いを済ませて戻ってくると、くく、元就が咽喉を震わせていた。

「貴様、本当にボジョレー・ヌーボーをただのワインと思っているのだな」
「ああ?」
「ボジョレーは基本的に、赤のみとされている」
「そうなの?じゃあ、この白は?」
「知るか」

 ふん、と鼻を鳴らして元就が踏ん反り返る。だがただ責めるだけでもない。見れば何時の間に用意したのか、テーブルの上にはグラスが二個と、チーズが置かれている。

 ――此れだけで絆される俺って…

 そんな用意に、じんわりと胸を熱くしながら、自分の定位置に座ると、元就が器用な手つきでコルクを抜く。そして、こぽぽ、とグラスにワインを注いでいった。

「慣れてるな…お前」
「何、斯様なバイトをした事があるだけよ」
「なにそれッ!初耳ッ!」
「言っておらぬからな。友人の勧めで、半年ほどだったか…バーテンのようなことをした事があってな」

 ――その時に覚えたのだ。

 さらりと言ってのける元就の、意外な一面に触れて元親の胸がきゅんと鳴る。彼とは幼な馴染みだが、離れていた時期が長くて、知らないことも多い。
 こうした瞬間にほんのりと離れていた時の事を話してくれるのは、喜ばしい限りだった。

 ――俺の知らない月日が埋められていくもんな。

 かちん、とグラスを傾けて乾杯すると、まず元親は鼻先をグラスに近づけて香りを嗅いだ。そして少しだけ舐めるように飲み込む。

「――なんか若い味、だな」
「それがボジョレーよ。寝かせておらぬ、まだ若いワインのことだ」
「本当に詳しいな」

 元親が感心していると、もしゃもしゃ、とチーズを空けて行く。それを眺めながら、横から乾きもののチーズ鱈を摘みこんで、齧った。

「元親よ、そのワイン…どうする気だ?」
「ああ?呑むぜ。空ける気、満々だ」
「――明日は、休みと云うのにか」
「まあなぁ…飲み明かすのもいいか…――って」

 少しだけ寂しげに俯く元就に、はたり、と我に返る。今、元就はなんと言ったか――明日は休みだと、そう告げてきた。これはもしかして好機なのかと、ずい、と元親が身を寄せる。

「いやッ、直ぐに飲むって訳でもなくだなッ!」
「使い物にならない程度に呑め」
「――ッ!」

 くい、とグラスを傾けて元就が呟く。彼の物言いはストレートで解りやすい。こんな風に求められるもの悪くはない。
 元親は座っていた場所から少しだけ元就の方へとにじり寄り、肩を寄せた。

「なあ、明日は俺が料理してやるからさ」
「――肉が食いたいな」
「ワイン煮込みなんてどうだ?」
「悪くはない」

 ふふ、と口元を綻ばせる元就は既に二本目のワインを開け始めた。それに付き合いながら、元親はぐいぐいと杯を重ねていった。












 こと、と白いテーブルクロスの上に、昨日の売れ残りのブーケを飾る。ブーケを外し、花瓶に生けてから腰に手を当てて、ふう、と溜息をついた。

「――――…」

 じっと見つめる視線に気付いて首を廻らせると、まだ夜着を着たままの元就がドアに凭れてみていた。

「おはよう、元就」
「ああ…元親。貴様、花を生ける時は美しいな」
「は?」

 淡々と述べられた言葉に、どきん、と鼓動が跳ねた。普段人を褒めるような男でもない。元親が「ありがとよ」と言うと、元就は首にタオルを掛けたままで椅子に座った。

「よく寝てたらからよ、起さなかったんだ」
「――誰かが、好き勝手にやりまくるせいだろうが」
「あ〜…よく耳が聞こえねぇや」

 既に時間は昼に差し掛かっている。元親は腰に巻いたエプロンを外しながら、用意していた牛肉のワイン煮と、チーズトースト、それに蕪のサラダを差し出した。そして元就の前には暖かい茶を差し出し、自分の前には白ワインを注ぐ。

「ほら、冷めないうちに食えよ」
「貴様、朝から酒か?」
「俺にとってはもう昼。それに昼間に呑む酒って美味いんだぜ〜」

 ははは、と笑いながら口を告げると、元就が悔しそうに歯噛みした。だが綺麗に手を合わせると、頂きます、と述べて食事に口をつけていく。

「元親よ」
「うん〜?」
「来年はボジョレーよりも、生の葡萄を買って来い」
「解ったよ」

 ふふふ、と笑いながら元親はこの週末でも、まだ葡萄狩できるのではないかと提案していった。そんな近しい未来から、来年の話もしていく。
 何処までも続く話に、テーブルの上で白い花がふわりと揺れていった。










091123up ボジョレーに踊らされています。花屋アニキベース。