rapunzel そうしている間にも変化は着実に起きていた。 数日と空けずに彼の元に行けていた時期とは違い、戦況が変わった。安芸の領土を侵そうとする輩が闊歩する。それに対峙して戦に明け暮れる日々が続いた。 そしてそれは元親のいる四国でも変わらず、平定されきっていない領土をめぐって内乱が起きていた。 そして決定的な出来事が起きた。 ――阿波衆が土佐を奪い取ろうとしている。 情報が耳に届くとすぐに、元就は一筋の光明と、そしてこれから起きるであろう内乱を喚起した。 ――早く、早く、彼に知らせなければ。 その知らせを聞いた瞬間、元就は一目散に元親の元へと向かった。必死で波間を漕ぎ、そして見知った灯台へと向かう。小さな小窓から銀色の光が見えたとき、そこにまだ彼がいることが判った。 小窓から中に向かうと直に彼に手を伸ばした。 中にいた元親は振り向きざまに元就を見止めると、うれしそうに微笑んだ。だが元就は彼に挨拶すらする暇もなく声を張り上げた。 「元親、来いッ」 「何があった?」 いぶかしんで元親が眉根を寄せる。明るいうちに元就が訪れるのが珍しかったこともあるのだろう――いや、元就も元親もまた武装していることから、今がどういう戦況かを互いで分かっていた。 「奇襲だ。この四国は未だ平定されておらぬ。阿波衆の暴徒よ」 「なに…――」 「この機会に乗じて、逃げよ」 「元就…――」 「悩む時はない。早く…――」 ――そうすれば、お前は外に出られる。 そう告げるが、元親は首を縦には振らなかった。煮え切らない元親の前で、元就は何度も声を荒げて説得した。 「元就様ッ!」 突然、家臣の声が響いた。何事かと思い、小窓に身体を預けていた元就が振り向こうとした際に、体勢を崩す。 ――落ちる…っ。 傾がる身体にそう気づいた。手を伸ばす隙も無く、ただ中空に身を放り投げようとした時、元就の視界には幾筋もの矢が飛び交っているのが映った。 「元就ッ!」 ――がしっ。 勢いよく元親の腕が動き、元就の身体を支えた。その甲斐あって窓から落ちることはなかったが、元就の視界に一面に広がる戦艦が見えた。 ――海からも攻めてくるのか。 それを目の当たりにして、一気に背筋が凍った。此処はぐずぐずしている場合ではない。 直にでも此処から離れなくては、巻き添えを食ってしまう。元就はそう判断し元親のほうへと首を巡らせた。 「元親…もはや戦況は動いたぞ。――元親…?」 ――ぽた、ぽた… 話しながら振り向く瞬間、元就の視界に赤い色が移りこんだ。 ひゅ、と息が咽喉の奥に詰まって止まってしまいそうなほどの衝撃だった。 目の前には銀色の髪を、紅く、紅く染めた彼がいた。 「元親ッ」 「大丈夫…だ」 「しかし…何故…――」 見れば元親の左顔半分が血に染まっている。そして其処には矢が刺さっていた。先ほどの家臣の声は、この矢が飛んできたことを伝えるものだった。 そう気づくとかたかたと手が震えてくる。だが掴み掛かった元親は、汗を滲ませながらも元就に向かって叫んだ。 「もと…ちか…――」 「いいから、元就。お前は安芸に戻れ」 「しかし…」 目の前で紅く血にまみれている彼をこのままになどしておけるはずも無い。元就が震える手を掴みこんで、ぎゅっと握ると彼の叱咤が飛んできた。 「お前一人の身体じゃねぇだろッ!」 「――――……ッ」 びくり、と元就の肩が揺れる。そうだ――自分ひとりの身体ではない。家のための自身だ。それを告げられ、冷水を浴びせられた気がした。 「皆が待っているんだろ…?」 「元親…――」 「俺だってな、皆を捨てられないんだよ」 「元親…貴様…――」 「この地は俺のものだ。俺が平定する。だから…――」 ――お前と敵となろうとも、二度と逢えなくなろうとも。 「俺は逃げない」 両肩を元親が掴んでくる。そして彼は、一度だけ元就に顔を近づけ、触れるだけのキスをすると強く元就の肩を押した。 ――どん。 「元親…――ッ」 後ろに向かって付き落とされ、身体が空中に踊る。元就の視界にはまるでスローモーションのようにすべてが見えていた。 「元就、俺は行くぜ」 ――ざく、ざく…。 言うや否や、元親は自身の髪を刀で断ち切った。 戦に赴くのに長い髪はいらない。すべてをここで捨てていく。その意思の表れのように、彼は銀色の――元就が幼いころに見止めた綺麗な銀色の髪を断ち切っていった。 「いずれ、また…――」 笑う元親が自らの長い髪を切り刻む。その銀色の光が、ちらちら、と当たりに舞い、空中が光って見えた。 「元親、元親――――ッ!」 「早く行けぇ――ッ」 手を伸ばすが届くことはない。その中で元親の声だけが耳に届いていた。船に引き上げえられ、家臣たちに舞い戻ろうとする身体を抱きとめられながらも、元就は手を伸ばしていた。 そんな風な自分はしらない。 今までそんな風に取り乱したこともなかった。それなのに、この時ばかりは形振りかまってなどいられなかった。 「元親…――元親、元親……ッ」 叫び続ける声の中で、不意に涼しげに、彼の声が響いた。 その声に導かれるかのように振り仰ぎ、窓を見上げると其処には元親が立っていた。 「お前は俺の…――」 ――愛しい、愛しい人。 最後の告白は、切って落とされた鬨の声にかき消されていった。 あれからどれくらいの日々が過ぎたか分からない。 噂で四国が長曽我部の手によって平定されたと聞いた。そうなれば今度はこの安芸という大国と対峙することは必至だ。 知らせを受けて元就は何度もため息をついた。そしてその噂の中に彼の名を聞くたびに胸を締め付けられるかのような思いに駆られていった。 そして初夏の頃――穏やかな日々の中に喧騒が沸き起こる。 安芸の浜に、長曾我部の船が来たとの知らせを聞いた時、元就は迷わずに城から飛び出していった。 馬を駆って、息を切らせていくと、其処には見知った姿があった。いや、記憶の中の彼よりも余計に大きくなったかのようにさえ見えた。馬上から降りずに、彼を見下ろす。 すると元親は歩み寄ってきて、手綱に絡まる元就のてをとった。 「遅くなってすまねぇな」 「元親…――」 元親は手の甲に、するり、と口付けを落とす。ふ、と吐息が熱くかかり、彼がここに――自分のもとに戻ってきたのだと気づいた。 「なぁ、元就。俺によく顔をみせてくれよ」 「馬鹿者が…ッ!」 久々に見た彼の顔には、眼帯があった。それはあの時に受けた矢傷のせいだろう。元親は毒づいた元就に苦笑すると、馬上からひょいと元就の身体を抱き下ろし、そして壊れ物を扱うかのように、やさしく――そっと抱きしめた。 「遅くなってすまない。元就…」 「離れるな、これからは」 そして海を渡ってきた彼に抱きしめられた時、その身体から潮の香りを知った。 「元親…――我は一度も貴様に言ったことは無かったが」 「うん?」 ――ずっと言おうと思っていた言葉がある。 それを伝える為に、元就は深く意気を吸い込むと、背伸びをして元親の耳元に唇を近づけた。 「聞いてくれ……」 耳を傾ける元親に、元就は小声で告げていった。 小さく呟いた告白の言葉は彼に届いたかは分からない。 了 090719 621発行コピー本より。あえて加筆修正せずにup。 そのうち元就版と合わせて出します… |