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 昼日中から大砲がやかましかった。
 最近は富に煩い――そのせいもあって、さして気にもしなかった。元就は読んでいた書物のページを静かに捲った。

「元就様、浜の方に船が…」
「捨て置け」

 障子越しに家臣の声が掛かるが、いちいち取り合っていく気もしなかった。静かな午後のひと時に、こうして書物を読む――自らのリズムを踏み荒らされることは酷く腹立たしい。
 ましてや他所事で自らが動く事になることも腹立たしい。
 元就は静かにページを捲った。

 ――どかどかどか

「――……?」

 ふいに邸の表側から人の声が激しくなる。邸全体が揺れているかのような振動が響く。何かの異変かと身を硬くした。それと同時に、手元の書物に栞を挟みこみ、そっと傍らに置いた。

 ――バシンッ

 勢い良く目の前の襖が開いた。上座に座したままその先を見ると――見上げると、そこには見知った姿の男が一人居た。後ろから彼の侵入を止めようと家臣たちが追い縋ってくる。

「よぉ、元就」
「貴様か、元親。静かに赴くことは出来ないのか」
「急を要していてよ」

 へへ、と鼻で笑う元親は手に獲物を持ったままだ。だがそれに気付いて、後ろに放り投げる。がしゃん、と硬質な音を立てて彼の武器が庭へと落ちた。

「完全武装して何用ぞ」
「――元就…」

 近づく元親を見据えるようにして睨みつける。しかし元就は微動だにしなかった。ぎりぎりと睨め付けていると元親は口元の笑みを消さずに、その場に膝をつくと腕を伸ばしてきた。そして元就に手を伸ばす。
 頬に元親の手が伸び、触れてくる。その手を払うことは出来ず――動くことも出来なかった。

 ――ぬる…

 だが頬に滑る感触はいつもの彼の手の感触とは違った。それに気付き、顔を上げると間近に元親の白い顔が迫ってきていた。

「元就……――」
「――――……ッ」
「お前、やっぱり赤が似合う」
「な…に…――?」

 ――俺の、赤が。

 鼻先が触れそうなほど近く、吐息すら溶けそうなほど近く、彼が近づく。だがそのまま元親は元就に身体を預けるように肩越しに額を付けた。

 ――ぐら。

 傾く身体を見下ろす。
 元就の膝に頭を乗せるように、ずるずると身体を沈ませる元親の背には無数の矢が突き刺さっていた。そして彼の歩んできた後には、紅い路が出来ていた。
 家臣たちが騒ぎ近づいてくる。そして元親に手を伸ばす。

「触れるなッ」

 ぴしゃりと家臣に言い聞かせ、膝にある元親の身体に手を伸ばし、胸に抱え込む。

「誰も、触れるな」

 彼の身体は燃えるように熱い。熱い身体とは裏腹に元就の手はどんどん冷たくなっていった。

「直ぐに医師を呼べ。床の支度を…」

 告げる声が、震えそうになる。視界が歪みそうになる。すると再び、元親の手が伸びてきた。見下ろすと、ぽた、と元親の頬に雫が落ちた。

「何を、笑っている…長曾我部」
「嬉しくてよ…」
「痴れ者が」
「泣くな、元就」

 優しい声が元就の耳に迫る。泣くな、大丈夫だから、と元親が繰り返す。
元親の頭を抱え込み、身体をぐうと折り曲げると鼻先に鉄錆の強い匂いがしていた。








 ――走り出せ、前向いて。
 一分、一秒でも彼の傍に。あの姿を見ていたい。小競り合いだとしても、他の誰かに彼の地を荒らされるのは癪だった。この地は自分が死力をもって彼から奪い取る。

 ――戦う相手は、お前だけでいいさ。

 海戦の最中に浮かんだのは元就の戦う姿だけだった。






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