向日葵





 知らせを受けて浜に向った。下馬せずに様々な荷が降ろされていく様を見て歩く。その一行の中に、見知った船がある事に気付いたが無視した。元就はそのまま家臣に後を任せて邸へと向う。

 ――どうせ程なく訪れるだろう。

 そんな予感がする。しかも何かしらと土産を持ってくるに違いない。それを確信しつつ、土産があるのなら邸に招き入れてもいいかと考えておく。
 案の定、元就が邸へと着き、寛いでいると彼の来訪を告げる声が聴こえた。それを脇息に凭れながら、のんびりと煙管を手繰り待つ。既に陽は傾き、茜色の空になりつつあった。
邸の表が騒々しくなってから程なくして長曾我部元親が姿を現した。
 袴の上――片袖を脱いでいる姿が彼らしい。剥き出しの左腕は動かすたびに、筋肉の陰影がはっきりと浮かび上がる。元親がその腕を軽く上げて、にやり、と笑った。

「よぉう、元就。久しいな」
「何か土産でも持ってきたか」

 ふう、と紫煙を吐き出すと元親は片眉をへの字に曲げて苦笑した。そして元就の傍らに座り込みながら言う。

「先にそっちかよ。おおよ、初鰹だぜ。初夏は鰹が旨いからな」
「ご苦労」
「――おいおい、俺はお前の駒じゃねぇだろ」

 ――似た様なものだ。

 ふ、と業と紫煙を彼の鼻先に向けて吐き出すと、ごほ、と元親が咳き込む。憮然としている元就に対して怒ることもなく笑う。

「酷ぇな」
「駒、というよりは子飼いか?」
「ああもう、言ってろ」

 ――ぐい。

 元親は、はいはい、と元就の言葉を遮るように言うと、両手で元就の頬を包み込む。そして元親の方へと向けると、こつん、と額を寄せた。

「顔、見たかったぜ」
「今回は長かったな…」
「ああ、ちょっと遠くまで行って来たからな」

 間近の元親の目が、少年のようにキラキラと光る。それを見ながら突き合わせていた額を離し、元親が元就の前髪を掻きあげる。
 間近で見ると、ほんのりと元親の肌の色が違うことに気付いた。銀色の髪、碧色の瞳がいつも以上に際立ち、はっきりとした顔立ちの彼の容貌をいつも以上に強くしていた。

 ――端正な。

 造り物を見ている気がしてくる。とくとく、と小さく脈打つ胸を押さえていると、元親の大きな掌が、ふわりと元就の額を撫でていく。その掌の感触を感じながら、ふと元就が呟いた。

「――少し、日に焼けたか」
「あ、やっぱり解るか?」

 ぱっと手を離し、元親が自分の腰に手をあてて胸を張る。その合間に、ふわり、と紫煙を燻らせた。そして煙管の先を元親に向けた。

「それだけ脱いでいれば違いも解る。ただ、夕陽が…」
 ――赤くて。

 見極めるのが難しかったと告げると、元親はさして気にもしないように後ろ手に身体を傾ける。そうすると銀色の彼の髪もまた、夕陽に染まっていくように見えた。

「今の時期が一番焼けるんだよなぁ」
「ふん…」
「男っぷりが上がっただろ?」
「斯様なことは無い」

 にや、と自信有り気に言った元親を、すっぱりと切り捨てる。すると気に障ったのか、元就の腕を勢い良く掴んだ――掴んで、まじまじと元就の腕を見つめる。

「ああ、確かに。元就は白いもんな」
「焼けたいとも思わぬ」
「まぁた、生っちろくなってんじゃねぇの?」
「我を侮辱するか」

 ぐい、と袖から先を捲っていく。強引に袖を捲り上げられ、白い素肌が剥き出しになる。左腕を元親に預けたまま、元就は右手で構うことなく煙管を燻らせ続けた。

「いや…あー、でも男の腕だな。硬い」
「それはそうだろう?我は男だ」
「――うん」
「何だ?」

 ――さらり。

 肩口から、指先にむけて元親が手を滑らせる。まじまじと比べてみると、太さが違う。元就が彼の腕と見比べながら、眉根を不快そうに寄せていく。だがそれには構わず元親は腕に手を滑らせて、言った。

「いや、それでもよ。触ってたいもんだな」
「冗談は止せ」

 ぐ、と嫌気が差したように吐き捨て、腕を振り払おうとする。しかしそれを阻むように元親が指を絡ませてきた。

「おい、元親」
「元就…――」

 絡んできた指を引き剥がすことが出来ない。腕を動かして引き離そうとするが、それと同時に元親の腕が元就の背に回る。引き寄せられ、背が撓る。

「おい、こらッ!」

 撓った背を良い事にその上から覆いかぶさってくる。じたばたと腕を動かし、身体を捻るが元親の身体に押し倒されてしまう。そして気付けば覆いかぶさってきていた。

「黙れよ、なぁ…元就」
「――っん、――ち…、っ」

 唇に柔らかく元親の唇が触れてくる。擦り合わせるように角度を変えて、繰り返してくる。上唇、下唇と啄ばまれ、口を開きかけるとすかさず舌が滑り込んでくる。

 ――ちゅ。

「――んぅ、」

 絡まった舌が濡れた音を立てた。元就は煙管を持っていた手をどうにか動かし、思い切り横に向って振り払った。

 ――ばきっ。

 鈍い音と共に元親の身体が元就の上から退く。はあはあ、と息を荒げながら元就が身体を起こすと、元親は殴られた左頬を擦っていた。

「痛ぇなぁ…」
「何をするか、この…――ッ」

 手の甲で唇を拭いながら怒りに任せて元就が怒鳴ろうとする。元親はまだ頬を擦ったままだった。そして然程悪びれた風もなく、元就を見上げて言った。

「だってよ、長く海にいると溜まってさ」
「――――…」

 怒鳴ろうとした元就の口が、あんぐりと開く。

 ――なんて言った?

 聞き間違えたかと思って動きを止めていると、胡坐を掻き直して元親が、にやり、と笑った。

「溜まって仕方ねぇのよ」

 ボッ、と顔に火が点いた気がした。元就は腕を振り上げ、一気に叫ぶと同時に振り下ろした。

「知るかッ!」

 ――ゴンッ。

 鈍い音を立てて元親の脳天に拳が吸い込まれる。一撃を受けた後に元親が顔を起こすと、今度は元就が部屋の方へと思い切り突き飛ばした。

「ああっ、ちょ…――元就?元就?」
「貴様、そこから出てくるなッ」

 ――バシンッ。

 勢い良く襖が閉められる。がたがたと襖を動かすが、しっかりと押さえられているのか、はたまたつっかえ棒でも挟めているのか、動かない。

「え、ええええ?おい、マジかよッ?」
「我は知らぬ。知らぬぞッ」

 夕陽が映しこむ影から、元就が耳を塞いでいるのが解る。襖には飾りが施してあり、下段に障子が張られていた。そこから彼の影が見える。その影に向って元親が地団駄を踏んだ。

「あーもう、触らせろよぅ」
「静まるまで出てくるな、うつけッ!」

 耳を塞いだままの元就が――元就の形をした影が、徐々にこの部屋から遠ざかる。足音も荒くなっているのが、元就の動揺を映していた。

「ああ、もう…仕方ねぇなぁ…――」

 ぽりぽり、と頭を掻きながら元親はその場にずるずると襖を背にして座り込んでいった。










 夕陽もとっくに姿をなくし、夜の帳が下りてくる。動揺した自分を落ち着かせるために時間が掛かってしまった、と元就は思いつつも、何度も呼吸を整えていた。
 気付けば夜の香りが鼻をくすぐり、背中がずしんと重くなってくる気がした。

「元就様、夕餉の支度がもう直ぐできまする」
「ああ、そうか…」
「長曾我部様と一緒に摂られますか」

 家人に言われ、はたり、と思い出す。そういえば元親を閉じ込めたままだった。
 念には念を入れるように、部屋の四方の樋を押さえこんでいた。いざとなれば邸を破壊して出てくるだろうとも思うが、もう落ち着いているだろうとも思いつく。
 元就は別室に用意して置くように家人に伝えると、再び先ほどの部屋へと足を向けた。
 だがどんな顔をして戸を開ければいいのか悩む。

 ――なんて声をかければいいのか。

 思案しながら、袖に両腕を差し込む。自然、部屋に近づくにつれて、気配や足音までも消してしまう。

「は……ッ、ッ」

 ふと耳にか細い声が聴こえた。くぐもったような、切羽詰ったような声だった。

「…は、――ッ」

 聞き間違いではないことは、断続的に――だがリズムよく聞こえることで解った。そしてその吐息交じりの声が聴こえるのは、他ならない先ほど元親を放り込んだ部屋からだった。

「――――…」

 部屋の前に立ち、その戸の先を窺う。そっと襖に手を添えると、再び声が聴こえた。だがその声を聞いて、元就の背に戦慄が走った。

「元就、元就…――」
「――……ッ」

 急に中から自分の名を呼ばれ、心臓が跳ねた。片手で口元を押さえる。思わず声を上げてしまいそうになった。ゆっくりと襖に背中を預け、元就は熱くなってくる自身の頬に手の甲を当てた。

 ――くちゅ、

 耳を済ませると濡れた音が響く。それだけで、彼が中で何をしているのか伺い知れた。

「元就、――ッ」
「…………ッッ」

 甘く囁くように元親の声が擦れながら、自分の名を呼ぶ。

 ――あ。

 がくがくと膝が揺れ、元就はその場にへたり込んだ。耳を塞ごうにも、元親の甘い声が焼きついて消えない。顔に、身体に、急激に熱が集まってくる。

 ――呼ぶな、呼ぶな。

「元就…もとなり…――ッ」

 切なそうに擦れる元親の声に、果てが近いことが解る。ふるふる、と元就の肩も揺れてくる。それに気付いていないのか、背中越しの襖からは元親の声が響く。
 くしゃり、と懐紙の音が聞こえ、そして「はー」と大きな溜息が聞こえた。それに顔を起こすと、今度は舌打ちが聴こえる。

「ちくしょう、触りてぇ…――」

 切羽詰った元親の声が、耳から自身を犯していくようだった。そんな風に触れたこともないのに、元就の肌に彼の手が絡んでいるような気がする。

 ――もう、呼ぶな。我を呼ばないでくれ。

「もとなり…――」

 どくどく、と跳ねる鼓動に願う。だが果てる瞬間、元親は彼の名を呼んだ。










 それから然程時間は経っていなかった。からり、と襖が開き、中から元親が現れた。いつの間にか襖の樋は外れていたらしい。そして廊下に出ようとして、直ぐ間際に元就がいる事に気付いて、驚いた声を上げた。

「あ?何してんの?」

 元親が見下ろすと――上からだと元就のつむじと鼻先が見える。そして長い睫毛が、ぱちり、と動いたのが解った。

「――――た」
「え?」

 小声で聞き取れずにいると、ゆっくりと元就が顔を挙げ、見上げてきた。その顔は固まり、夜闇の中といえどもほんのりと赤みを帯びているかのようだった。
 何があったのかと元親が呆然と見下ろしていると、今度は怒ったように言う。

「こ、腰が…抜けた」
「ぶふッ!」

 口元を思い切り押さえても笑いが抑えられない。元親ががたがたと肩を揺らす。だが程なく、ぶふ、と噴出し腹を抱えて笑い出した。

「わ、笑うなッ」
「すまん、すまん…――ッくくく、ああ駄目だ!笑えるッ」
「貴様のせいだッ!」

 真っ赤になりながら元就が叫ぶ。その声に涙さえ浮かべて笑い続けていた元親の動きが止まった。

「ええ?俺ぇ?」
「貴様が…あんな…――…」

 か細くなる元就の声に合点がいった。

 ――聞いてたのか。

 先ほどまでの自分の痴態――いや、別に彼になら見せてもいい――それを聞いてしまったのだと気付いた。元親は口元に不敵な笑みを浮かべて膝を抱えるようにしゃがみ込んだ。そして横目で元就に視線を送りと、柔らかく囁く。

「聞いちゃった?」
「――――…」

 ぐ、と咽喉を詰まらせる元就が顔を背ける。その頭に手を乗せて、ぐしゃぐしゃとかき混ぜた。いつもならだ振り解くが、今は動けないのか抵抗しない。

「おかずにして御免な」
「今日の肴は、鰹だ」

 精一杯の虚勢とも言える反応が返ってくる。それを聞きながら元親は元就の腕を引っ張った。

「――ああ。さてと、ほらよ」
「――――?」
「俺の背中に乗れよ」

 のろのろ、と腕を元親の首に回して背に凭れると、よいしょ、と元親が声をかけて立ち上がる。元親の背からは、未だに陽の匂いがするかのようだった。

 ――で、いつからそこに居たんだ?

 肩越しに聞いてきた彼の頭を、ばし、ともう一度叩く。

「本当に、恥ずかしい奴だ、貴様は」
「どうも」

 元親が笑いながら言う。噛み付いてやりたい気持ちを抑えながら、元就はそっと元親の項に顔を寄せていく。項にかかる吐息に、何度も元親が「くすぐったい」と笑っていった。







 夕餉には元親の持ってきた鰹が並べられていた。
 それを摘みながら、元親は様々に話を繰り広げる。

 ――向日葵ってよ、お天道様の方に向って咲くんだってさ。なら、俺はお前の方を見て咲く向日葵って感じだよな。

 そんな話をしながら、行灯の火にいつもより色の濃い陰影を浮かべていく元親を見ながら、元就は酒を煽り続けていった。








20090528 日焼けアニキがテーマ。