泡沫 ――壊れた恋は偽者の恋 はらり、と背に銀色の髪が滑る。 「アニキ、そろそろ行きましょうや」 「そうだな」 声をかけられて、潮風にはためくままにしていた髪を、さらりとひとまとめにする。 柔らかい銀色がまるで波濤のように煌いた。 「その髪、いつまでそのままにするんで?」 「さぁなぁ…でも、あいつと約束しちまったからな」 「あいつって誰です?」 聞いてくる仲間に笑いかけ、断定することは避けた。そして自分の背にかかる重みを感じいるように、仲間達に鬨をかけた。 眼前の海には、敵船が犇いている――それを一網打尽にすべく、今はこの船に乗っているのだ。 荒れ狂う波にも、何にも負けるつもりはなかった。 ――ヒュッ 耳元で何かが裂けるような音が響いた。小競り合いは圧勝――だが、最後に飛んできた矢を失念していた。 甘さがあったのだ――緊張を解いた矢先だった。 「――――ッ」 左目に差し掛かった火矢。 後のことはあまり覚えていない。 「無様だな」 「それが見舞った相手にいう言葉かよ」 左目側の顔半分を白い晒しで覆ったまま、松ヶ枝の元に行く。見舞いになど来てくれる事はないと解っていたから、わざわざ押しかけた。 元就は浜辺を歩きながら「貴様らしい」と嘲笑さえ浮かべてくる。 歩いていても背中に揺れる髪はもうない――火矢に焼かれ、その殆どを斬ってしまった。短くなった頭があまりにも軽くて馴染めない。 「まぁ、油断していたんだよ」 「詰めの甘さが貴様にはある。故に我に適うべくもなし」 「酷ぇな」 じくじくと左の目が痛む。痛みと疼きに歩を緩め、波間を眺めた。小さな白い泡が砂浜に出来ていた。 「もっと優しい言葉はかけられないのかよ、元就。仮にも怪我してんだぜ?」 「我は怒っておるのだ」 「――……?」 「約束を、忘れおったか」 「忘れていない。でも、これは不可抗力だ」 眉根を寄せて弁明するが、表情を変えずに見据えてくる元就の瞳が冷たい。 まるで氷山にぶつかっているかのようだ。 元親が立ち尽くしていると、元就は腕を伸ばしてきた。そして胸倉を掴むと、強い力で引き寄せた。 顔と、顔が近づく。 そして耳に彼の冷たい一言が突き刺さる。 「うそつき」 「――ッッ」 ぱ、と次の瞬間には腕を放される。元就は踵を返すと、元親に構わず館の方へと向っていってしまう。 彼の背中を見つめ、元親は「参った」と呻いた。 そして痛む左目を手で覆った。 「お前、それは愛の告白だよ」 ざざ、と柔らかい波が音楽を奏でていく。その中で、失った左の目と引き換えに、彼の心を掴み取った気がした。 ――子どもの頃に約束した。 「弥三郎は、その髪を切らないでおけ」 「何故?」 「我はその髪が好きだ」 「この髪?」 「真珠のような色だ。波のような色だ――飽きぬ」 「そんな風に言われたのは初めてだよ」 「我以外のものに、触れさせるな」 ――それほどに強くなれ。 「だったら、松寿丸…ずっと、私を想っていて」 「――…そう、望むのなら」 別れの日に、そんな話をした。遠い幼い日の記憶でしかない。 だがその時から、互いを所有しあう約束をした。 Date:2009.05.14.Thu.22:17 |