名もなき貝



――もし暗闇切り裂いて、君が訪れたら



 暗くなっていく洞窟内に座り込み、間近に迫った波を見つめていると、洞窟の入り口付近に行っていた長曾我部元親が戻ってくる。
 参ったとばかりに後頭を掻きながら、元親は溜息混じりに言った。

「駄目だ、こっちも満ち潮でふさがってる」
「ならば此処で夜明かしか」
「すまねぇな、元就……」
「全くだ」

 ざざ、と小さな波は此処までは迫っては来ない。それでも入り口から外は海だ。通常ならば陸に通じる道が出来る――だが、うっかりしている内に満ち潮で塞がってしまった。
 自分達が戻らなければ、家臣たちは如何するだろうか、と少々思案するが、それよりも目の前にどっかりと腰を下ろした元親が、膝を立てた上に肘を乗せて、にやりと笑った、
 その不敵な笑い方に視線を奪われていると、胸内を察したかのように彼が口を開く。

「でも、楽しめただろう?」
「何がだ。海に連れ出して、その挙句に船の転覆、その何処が楽しいというのだ」

 ――貴様は馬鹿か。

 呆れ半分、憤り半分で叫ぶと、洞窟内に自分の声が反響した。反響した音に、忌々しげに舌打ちをすると、膝を寄せて元親が笑う。

「俺は楽しかったぜぇ」
「――……」

 手ごろに落ちていた流木を手にし、ごそごそと手ぬぐいを出す仕草は慣れていた。
 今までもこのような出来事にあったことがあるのだろう。じっと元就がその仕草を見つめていると、火を起こしながら元親はにやりと笑った。

「ガキの頃に戻ったみてぇでよ」
「――……」
「お前が、俺を嫁にしてやるって言ってたころみたいだ」

 ザッ、と血の気が引いた。子どもの頃の記憶とはいえ、自分の中では汚点のような発言だ。それを此処で、当の本人に言われるとは思いもしなかった。

「何を世迷言をッ!貴様、其処に跪けっ!今すぐに海の藻屑にしてくれようぞ」

 すっくと立ち上がり、上から見下ろしながら怒鳴る。ぐわんぐわん、と洞窟内には声が響き渡っていく。元親は耳を塞ぎながら、にやにやと笑ったままだ。

「あははは、そういきりなさんな」
「まだ言うかッ」
「だから、落ち着けよ。元就」

 穏やかな視線で見上げてくる瞳には、何処にも揺らぎがない。他に何を言っても暖簾に腕押しの状態から変わることはないのだ。
 そうなれば怒りをぶつけようが如何しようが、意味を成さない。元就は肩で溜息をつくと、ゆっくりと膝を折ってもとのように座り込んだ。

「ふん……ッ」

 それでも収まらない感情を表すかのように、鼻から息を吐き出すと「ふふ」と楽しげな元親の微笑む声が聴こえた。
 ぱちぱち、と先ほどの火は勢いを増して、二人の間に温もりを作っていく。湿気ていない木を確認しつつ、薪を作ると元親はずるずると膝を寄せてきて、元就の隣に座り込む。

「どうせ、今日は此処で夜明かしだ。泣いても笑っても俺とお前しかいない」
「――だから何だというのだ」

 穏やかな元親の瞳を横目でちらりと見やる。しかし彼は火に視線をとられている。

「遺恨を忘れ、一時でも昔に戻ろうじゃないか」
「――…戯言だ」

 吐き捨てるように言うと、直ぐに元親が口を開く。

「戯言で結構、夢で結構」

 まるで世の中を儚んでいるかのような、不穏な空気を感じて眉根を寄せた。窺うように隣に視線を流す。

「元親、貴様何を企んでいる?」
「企んでなどいないさ。俺はぁ、お前みたいに頭が切れる訳でもないからな」
 ――なぁ、知将さんよ。

 ぱきん、と薪が弾けた。
 皮肉った言い方に驚いた――卑屈な言い方は彼に似合わない。いや、今までそんな言い方を聞いたことがなかった。

「腹の立つ物言いだな」
「それでも結構。そういうお前はいつまでも刺々しい」
「貴様に言われても痛くも痒くもないわ」

 徐々に不穏な空気が二人の間に流れる。緊張感とも取れる空気の張り――腹の探りあいのような空気を感じながら、横目で元親を睨み付けた。だが当の本人はそれを受け流すだけだ。

「その刺、俺にはきかないね」
「――……ッ」
「美しい花には、刺があるって、言うじゃないか」
「――元親……?」

 ――どんッ

 急に伸びてきた元親の大きな掌に肩を押される。背中に衝撃が走った――突き飛ばされた事に、背中の痛みで気付いた。
 元就は勢いをつけて起き上がろうとしたが、更にその上から元親の掌が覆いかぶさってくる。
 咽喉元に、地面に縫い付けるかのような強い力を持って押さえつけられた。

「――ぐっ、何をするッ!」
「ふふ……何を、か」
「元親……?」

 腕をバタつかせると、片手で元就の両手首を掴み込み、頭の上に纏め上げてしまう。

「なぁ、後で何を詰ってくれても良いからさ」
「――……もと…」

 元親は覆いかぶさるようにして顔を寄せてくる。ごく、と彼の手に押さえつけられている咽喉が音を立てた。それを掌で感じているだろう彼は、肩口に顔を埋めると耳元に囁いてきた。

「今だけ……、今だけ現世を忘れようぜ」
「な…何を……――」
「叫んだって、何したって、誰も来やしねぇよ。手前だって丸腰だ」
「――ッ、おいっ」

 ぐっと元親の重みが身体の上に覆いかぶさる。身体がほぼ彼の身体によって押さえ込まれてしまっている。暴れても、何をしても元親とは体格が違う。

「そんな可愛くない口、閉じちまえよ」
「元親……」

 耳元に彼の切なそうな声が聴こえたと思った瞬間、唇に彼の唇が触れてくる。緊張のせいか、彼の唇はかさかさに乾いていた。










 何度も唇を重ねていく内に、どちらの唾液か解らない程に湿り気を帯びてくる。それを、ぺろりと舐め上げてから、元親は元就の額にかかる髪を撫で上げた。

「なぁ、元就……、こんな風に思うことはねぇか」
「――っ、は……、なに、を」

 掌が熱く、汗ばんでいる。だがそれは元就も同じことだ。触れているところは何処も彼処も熱くてたまらない。
 足を開かされて、間に元親の身体を受け入れながら、途切れ途切れになる思考をぐっと繋ぎとめる事に必死になる。何かに掴まるものが欲しくて手を動かしても、触れるのは元親のむき出しの肌だけだ。

「あの時のまま、時間が止まっていれば、ってさ」
「そんな、こと……」

 ぎり、と元親の肩に爪を立てると、その手を愛しそうに外され、指先に口付けられる。

「――お前の爪が痛む。ん……ああそうか、駄目か。あのままじゃ」
「ぃッ……」

 人指し指の先、爪を歯で甘噛みされ、思わず痛みに声が漏れた。
 ぎゅっと瞑った眦から、涙が流れる。それを彼の親指が拭い、更に鼻先が間近に迫る。

「あのままなら、こんな事出来ないか」
「元親……貴様…――っ」
「気持ち良いだろう?」
「――……ッ」

 ぐ、と強く腰を打ちつけられる。それと同時に声にもならない声が漏れでそうになる。それを必死に耐えながら揺さぶられていると、淡々と元親は話した。

「俺は海賊だ。だから欲しいものは奪う。でもよ、本当に欲しいものだけは、奪えねぇ」
「――……ッ」
「なぁ、元就」

 ――ずる

 繋がっていた下肢から、濡れた音がする。圧迫されるだけの快楽に、息が切れて仕方ない。折り曲げられた膝が――足がぎしぎしと軋んでだるい。
 それでも熱に負かされながら、彼の腰に足を絡めたのは事実だ。

 ――これがただの睦事ならば。

 それならばどんなに良いか。
 ただ甘く、溶かされるだけの自分達ならばどんなに良いか。
 それを口に出すことは憚られ、今はただ全てが謀略に取って代わる自分達だ。そんな中で何を信じていけばいいのだろう。

 ――負けはせぬ。

「どうせ……朝になれば、後悔するだけ…っ、」
「何それ?今を楽しめよ」

 気だるくなる身体は動かすのも億劫だ。それでもまだ燻る下肢をそのままにして――元親に掴まれたままの手を、そっと彼の頬に当てた。
 撫でるかの仕草に元親が、うっとりと瞳を細める。彼の動きに、どきどきと胸が高鳴る。だがそれをどん底に突き落とすとしても、言わずにはいられなかった。

「違う」
「――?」

 元親が瞳を開く。それを真っ直ぐに見据えた。

「貴様が、我を抱いたことを、後悔する」
「――……っ」
「情けをかけることは、我にはない」

 身体を繋ぎ合せても、情けをかけることはない――どんな状況でも、どんな相手でも非常になってみせる。
 それを突きつけると、元親は泣き出しそうな笑顔を見せた。

「――……好きだよ、元就」
 ――お前の手に掛かれるのなら。

 そういうや否や、再び彼の身体が深く沈みこんでくる。それを受け止め、喘ぐだけ喘ぐと、後は暗い海に沈みこんでいくかのようだった。










 翌日、目を覚ますと元親はじっと自分を抱え込むように抱き締めていた。そして元就が目を覚ましたのに気付くと、何も言わずに抱きしめる手を解いた。

 ――ざざん、ざざ…

 潮は引いて、道が出来ている。
 それを見つめ、朝日が差し込んでいる外を見た。

「夢は此処で終りだ」
「――……」
「なぁ、元就……」

 此方に顔を向けずに、元親が立ち上がって歩を進める。その後に続いて洞窟を抜け出した。そして再びそれぞれの路へと歩を進めていく。
 だんだんと元親の背中が遠くなっていく。それを見つめながら、ぎり、と唇を噛み締めた。

 ――ただ、甘いだけならば。

 立場も何も投げ打って、ただ寄り添えあえれば。叶わないからこそ、貝のように口を閉ざすしかない。

「愚か者が」

 波濤は激しくなることなく、打ち寄せていく。それを視界の隅に追いやって、元就は館へと歩き出した。








090506 かっこいいアニキ!とのリクに応えて…