頬触れる雪花



 春まだ遠い奥州の地が、白く染まる。
 白い外を見つめてから、そっと立ち上がると、政宗は首を竦めながら縁側に足を向けた。畳から廊下に出るだけで、ひやり、と冷たさが響いてくる。

 ――ふわ。

 不意に肩に触れた暖かさに振り返ると、其処には見慣れた右眼――小十郎がいた。そっと肩にかけてきたのは羽織に他ならない。

「冷えておりますぞ、政宗様。薄着のままではお風邪を召してしまわれます」
「風邪引いたら、お前が看病してくれるんだよな?」

 肩に乗せられた羽織に袖を通していると、背後から小十郎が手伝ってくれる。されるに任せていながらも、小十郎はいつもの口調を崩さない。

「それは勿論…いえ、その前にお風邪を召さないように、予防です。予防ッ!」
「予防ねぇ…」
「そうでございます。政宗様ときたら鍛錬の後に着替えもせず、転寝をされることもしばしば…更には腹を出して寝てしまうこともあられ、また常に薄着になられて…いっそ何時も戦支度をさせて置こうかと思う程でございます。これでは風邪を引かないのが嘘と云うもの…」

 くどくどと言われてしまうと弱いものだ。小十郎を前にして小言を言われると静かに聴いてしまう自分もどうかと思う。主は自分なのだから跳ね除けてもいいだろうに。

 ――此れが肌を合わせる相手に言う言葉かよ。

 できれば少しくらい優しく接して欲しいものだ。政宗は嘆息しながらうんざりしつつも口を開いた。

「相変らず堅苦しい…そこで少しは甘い言葉でも吐きやがれ」
「滅相もない」

 ――まだ昼間です故。

 ふん、と鼻息も荒く小十郎が言い退ける。こうなればもう勝てる気もしない。無理に反抗すれば彼は行動に移すほどだ。そして時には「腹を切る」ということにもなりかねない。
 だが小十郎の続けていった言葉にピンと来た――政宗は背後に立つ小十郎に向って顔を寄せ、挑むように囁いた。

「じゃあ、夜なら甘い言葉でも囁いてくれるのか?」
「――…」
「どうなんだよ、小十郎」

 す、と身を引いて腕を組みながら告げる。すると小十郎は一瞬口を噤み、なにやら考えるような素振りを見せた後、さらりと腕を延ばしてきた。

 ――ぐい。

 強く引き寄せられて抵抗できなかった。引き寄せられて、右耳に触れている髪が、温かい空気に吹かれる――其れが小十郎の吐息だと気付くに時間は必要なかった。

「貴方様が満足するまで、永劫囁き続けましょう」
「――…ッ、てめ…ッ」

 耳朶に直接語りかけられる言葉に、ぞくり、と背筋が粟立つ。離れようとするが強い男の腕に抱かれて上手くいかない。それなのに小十郎は立て続けに低く掠れた声で囁いてくる。

「この声が枯れるまで、いえ…枯れても尚、貴方様を」
「――…ッ」

 ずく、と腰が重くなるような気がした。ぞくぞくと背筋には戦慄が走り、馴染んだ感覚に身を震わせる。

「小十郎…ッ」
「政宗様…――どうか、私を拒まず、受け入れて下さいませ」
「あ…ッ」

 ――ヤバイ…ッ

 こういう時の小十郎は性質が悪い。閨でも散々啼かされた――彼が強引な手口を使ってくる時は、早めに火を消してしまうに越したことはない。

「Stop!」

 咄嗟に政宗は声を張り上げた。だがまだ余韻のように項がぴりぴりとする。政宗は睨みつけるようにして肩越しの小十郎を振り仰いだ。耳が熱い――気付いたら囁かれていた右耳を手で覆っていた。
 だが小十郎はまるっきり涼しい顔をしている。その顔にささやかに怒りが込み上げるが、政宗は舌打だけでやり過ごした。

「如何なさいました?」
「お前、最低…声でも誑し込むのかよ」
「ご冗談を」

 ふふ、と笑う小十郎に、ふん、と鼻で抗議する。そして視線を縁側の外に向ければ、雪がはらはらと降ってきていた。
 白い綿のような雪が天から降りてくる――それを見上げていると、そっと左目の上に雪が落ちてきた。
 睫毛についた雪が、瞬きをする度に雫へと姿を変える。

「政宗様、雪が…」
「OH…どうせ融ける」
「いえ、泣いているかのようで」

 ――風情があります。

 小十郎の言葉に苦笑するしかない。この男の瞳には自分はどれだけ美化されているのだろうか。
 嘆息するのにも飽きて、政宗は瞼を閉じた。すると「失礼」と言いながら、そっと小十郎の唇がふれてくる。

「お前さ…俺の瞼にkissするの好きだな」
「貴方様を彩る箇所で厭うべき場所などありはしませぬ」
「でも…俺は母上にも忌み嫌われ…」
「――…」
「お前にも辛い…厭な思いをさせた」

 雪が青く光っていた――それをしっかりと覚えている。
 自分で差し込んだ傷は浅く、この瞳を抉りきることは出来なかった。だが彼が――小十郎が最後の一筋までも抉り取ってくれた。

 ――私めが、共に最期まで背負いましょう。

 昏く黒い空の先に見えたのは、小十郎と赤く染まった雪。
 それを思い返し、この記憶は何時になっても薄れることはないのだろうと思った。そうしていると再び小十郎が瞼にキスをしてくる。

「私は貴方様の右眼にござりますれば…政宗様を愛しく思わぬはずはございませぬ」
「…馬鹿」
「馬鹿で結構」

 ふわ、と再び白雪が舞い込んでくる。その寒さから護るように背後から小十郎が抱き締めてきた。全ての風も、雪も、何物からも背を護るようにして抱き締められる。

 ――心地良いなんてな。

 政宗は苦笑しながら、廻ってきている小十郎の腕に手を添えた。そして視線を天に向けて、はっきりと告げる。

「もう雪も飽きてきた」
「まだ冬が始まったばかりでございます。それも直…春となりましょう」
「um…」

 ふふ、と笑うと頭上の小十郎が見下ろしてくる。彼に背後から抱き締められると、どうしてもその体に全て隠れてしまうから少しばかり悔しい。見上げる空に雪、そして小十郎の笑顔――それも、この先に待ち構えているであろう戦場を予期しているかのような、そんな笑顔だった。

「春になりましたら、出陣されますか?」
「愚問だな」

 政宗は体重を背後に預けると、すい、と手を前に差し出した。掌にはらはらと綿雪が触れる。次々と堕ちては政宗の体温に消える雪――儚いが、それはそれで美しいものだ。

「まぁ…桜も良いがこれも悪くねぇ」
「は……」

 頷く小十郎に擦り寄るようにして体の向きを変える。そして政宗は腕を彼の首に絡めながら、そっと告げて言った。

「奥州には雪の花が降る」

 引き寄せた腕に彼の熱い吐息が触れる。背に絡まるのは彼の強い腕だ――それを感じながら、政宗は「寒いから暖めろ」と囁くと、そっと身を寄せて行った。









20110113 up/小政は私の原点。原点回帰。