深海色の空



 一度だけ交わした情は、二度と忘れられない記憶として今でも残っている。



「おめでとうございます、政宗様」
「――ああ、うん……」

 恭しく男子誕生に祝いを述べると、政宗は然程面白くも無い風体で相槌を打った。
 政宗は鳥が餌を啄ばんで歩く姿を、ただ眺めていた。

「喜ばしくは、無いので?」
「喜んではいるさ…愛も、児も、健康だしな」
「それにしては浮かないお顔で」

 小十郎が気遣うと、政宗は手にした煙管を口元に向け、ふい、と紫煙を吐いた。そして浮かない表情で目元を伏せる。
 伏せた目元のせいで、睫毛が色濃く彼の頬に影を落とした。

「――…」
「政宗、様?」
「虚しくてよ……」
「は?」
「愛は愛らしい。いい女だ。だが…――俺は」

 伏せた目元を横に流し、政宗が呟く。政宗の視線の先には小十郎しかいなない。
 政宗の言葉は、彼に向けられている。

「俺の本当に求めているのは」

 弱弱しくなる語尾に、ぴしゃりとさえぎる小十郎の声が響いた。

「政宗様」

 ――バサバサ…

 小十郎の声に驚いて、鳥が一気に飛び立った。羽音に驚いて政宗が空を仰ぐ――空は紺碧に染まっていた。

「――…ッ」
「言っては、なりませぬ」
「小十郎……」

 振り返れば、小十郎が搾り出すように低い声で告げてきていた。

 ――聴きたくない。

 彼の言葉は心地よい。だがそんな拒絶の言葉は聴きたくなかった。小十郎は眉根を寄せて――眉間に皺がくっきりと出来ているが、その眦にも細かい皺が刻まれ始めていた。

「あれは、無かったことにございます」
「酷ぇな、手前ぇはよ」

 はは、と空笑いする。そして政宗は片手で左目を覆うように掌を押し付けた。
 小十郎はただじっと政宗の背中を見守っている。それはいつ如何なる時でも変わることはない。

「なら、せめて俺の名前を呼び続けてくれ」
「はい」

 崩れ落ちそうになる足を、どうにか地面にしっかりとつけたまま、政宗は明るい声を出して言った。
 その頬にいくら泪が流れても、小十郎に気付かれてはいけない。

「俺の、最期の時には、お前に手を引かれたい」
「はい…お約束いたしましょう」

 静かに主従の礼を尽くす彼に、ただ切なさだけが迫る。絶対だぞ、と釘を刺すと「約束は破ったことがございません」と小十郎は応えた。




 あの日、たった一度だと彼を誘った。
 一度きりと、そう決めたのは自分だった。





2009.07.06/091103 up