嵐を連れて、私を攫って





 がらがら、と急に空が啼き出した。その音を聞きつけて、屋敷内は雨戸をがたがたと閉めていく。次第に、ぽつ、ぽつ、と大粒の雨が降り出してくる。

「政宗様、斯様な処に…濡れてしまいますぞ」
「ああ…良いんだ」
「どうか、されたので?」

 庭に通じる軒先に座り込んでいると、小十郎が回廊を渡ってこちら側に来る。そして政宗の側に座り込んだ。
 政宗は隣の小十郎に、ちら、と視線を動かしてから再び庭に視線を向けた。右の膝をそれと同時に立て、その上に肘を乗せる。
 ばらばら、と大粒の雨が降り始める。片肘を乗せたままで、政宗は庭に視線を向けたままで口を開いた。

「小十郎、お前…」
「はい?」
「好いた奴はいるか?」
「は?」

 ――ガラガラガラ…ッ

 光が弾けたと思ったら、後から地面までも轟く音が響く。ざばざばと降り出す雨が、政宗の声を掻き消していく。政宗は眉根を寄せ、小十郎の方へと顔を向けると、強めの語調でもう一度問うた。

「だから、好いた奴は、いるのかと」
「何を申すのかと思えば」

 ふふふ、と小十郎が困ったように苦笑した。はらはら、と雨の滴が縁側に跳ねてくる。念を押すように政宗は続けた。

「答えろよ」

 小十郎の方にも――政宗と向き合っているので、左側が外に面しているからか――左の頬の傷に、ぱらぱら、と雨が弾かれていく。傷跡があるせいで、其処にだけ滴がたまってから、ゆったりと頤に流れていく。
 小十郎は手でそれを拭ってから、心持ち俯いた。

「――おりますよ」

 ざざ、と雨が吹き込む。だがその言葉を聴いて、政宗が瞳を微かに見開き――直ぐに眇めた。

 ――いる、のか。

 小十郎は「居た」のではなく「居る」と言って来た。言葉の端を取り上げるわけではないが、それが現在も続いている思いなのだと思うと、政宗の胸にその言葉が突き刺さるよようだった。
 自分よりも10歳も年上だ――その殆どを共に過ごして来ているが、自分の知らないところで彼が何を思い、そして誰を思っているかは解らない。
 政宗は、嵐のように胸の中をざわつかせながら――なんとかそれを圧し留めて、瞼を閉じ、再び見開くと片肘に乗せていた腕を払った。

 ――ぱら。

 降りかかっていた雨粒が、指先から放たれる。その軌跡を追いながら、政宗は小十郎から顔を背けた。

「そっか…悪いな、こんな事聞いて」
「おや、その先は聞かれないので?」

 意外だと言わんばかりに、小十郎が畳み掛けてくる。政宗は苛立ちを感じ、棘のある声で小十郎のほうへと――背けた顔を戻した。
 カッ、と空に白い閃光が走る。立て続けに光り続ける空は、まるで今の政宗の胸の裡を代弁しているかのようだった。
 光が止んで、ゴロロ、と空が轟き出す。政宗は左の口の端を吊り上げながら、吐き捨てるように――投げ遣りな感で腕を後ろ手についた。

「どうせ惚気だろ?お前程の男が振られるとは思えねぇ」
「買い被りです。見向きもされて居りません」

 ――寂しいものです、気付かれなくて。

 はは、と小十郎が自嘲気味に笑う。だが今の政宗には其れさえも感に触った。

 ――お前にそんな顔させる奴になんて、靡くんじゃねぇよ。

 自分だったらそんな顔はさせない。そう想うのに――それ程に小十郎に想われている相手が羨ましく、憎らしく感じた。

「そいつぁ、見る目がねぇな。俺が口添えしてやろうか」
「出来うるのでございますれば」
「じゃあ、誰か、教えろ」

 良いだろ、と肩を竦めて仰け反るように頭を反らした。弾けてくる雨飛沫が咽喉元にも、はらはらと当たってくる。政宗は天井を見上げると、ぐっと咽喉の奥から飛び出そうな告白を飲み込んだ。

 ――厭だ、厭だ。

 本当は口添えなんてしたくない――相手が誰かを知ったら、この爪で切り裂いてやりたい。だがそんな事をしたら小十郎は自分を許さないだろう。
 かく、と頭を元に戻すと、どきり、と胸が高鳴った。何時の間にやら小十郎が間近に着ていた。雷の音に、彼の動く音は掻き消され、気付くのが遅れた。

「では、お耳を拝借」
「何だよ、声を大にしては云えねぇのか…」

 焦りながらも皮肉ると、小十郎は、ふ、と口元を微笑ませ、政宗の耳元に口を近づけた。

「――――ッ」

 さら、と小十郎の添えた手が政宗の髪に触れる。政宗はびくりと肩を揺らした。
 彼の吐息と共に、低く、抑えた声が、耳朶に添えられる。


「――――」


 近づいて来た時の素早さとは打って変わって、小十郎はゆっくりと政宗の耳元から顔を離した。そして、ず、と半歩ほど後ろに下がると、ぺこりと頭を下げた。

「口添え、宜しくお願い致します」
「…馬鹿野郎が」

 政宗は囁かれた耳元に手を当てて、吐き捨てた。耳が熱い――告げられた名前に、心当たりがありすぎる――いや、反則だろうと言ってしまいたくなる。
 政宗は顔を起こして此方に――はしばみ色の瞳を向けてくる小十郎に、視線を投げる。笑いとばしてしまいたいのに、そんな事は出来なかった。

「おい、小十郎」
「何でございましょう?」

 がらがらがら、と空はまだ荒々しく猛っている。光る閃光に、この片目の涙が見つからなければいい。政宗は眉根を寄せながら、小十郎に告げた。

「さっさと俺を抱き締めろ」

 吐き捨てるように言うと、小十郎は「御意のままに」と膝を寄せてきた。彼の腕が伸びてきた瞬間、政宗はしがみ付いて強く強く抱き締めていった。

 嵐の日に恋は訪れて、雷鳴が途切れても、胸の中にだけは恋の嵐が吹き荒れる。









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