Joker 政務に真面目に取り組んでいたが、午前中の涼しさが引く頃には既にそれにも飽きてしまった。溜めに溜め込んだ政務を徹夜で――その間までに数日を要して――こなした後だったりする。その為にかなりぼろぼろの状態だ。正直もう座っているのも面倒なくらいに疲れてきていた。 政宗は自室で足を伸ばすと、ごろり、とその場に大の字になって寝転んだ。 ――暑いなぁ… 横になってみても、畳の上すら熱されて暑く感じた。こんな風に暑く感じるのは、夜の――それも誰かの腕の中だけでいい。そんな風に思って、あいつはそんなに体温高くねぇな、と考えを改める。そうして畳の上をごろごろしていると、ふいに視界の先に鳶が飛んでいった。 「あ」 鳶の飛ぶ姿を見送り、がばりと起き上がる。そして慌てて暦を捲り、日付を確認すると政宗は戸を思い切りよく開け放つと、小十郎の名前を呼んで飛び出していった。 「何事かと思いましたが」 「俺としたことが、忘れてたんだよ」 別室で政宗の終えた文書やらの確認をしていた小十郎は、飛び込んできた政宗を見上げながら、手元の書類を片付け始める。そうすると政宗の座る分のスペースが出来、彼はすとんと其処に座った――勢いよく座るが胡坐をかいていたので足が顕になる。それを小十郎は「しまいなさい」と一言告げると、文机も片付けて政宗の傍らに居すまいを正す。 政宗は裾を指先で、ちょいちょい、と直してから自分の髪を引っ張って見せた。 「髪、このままじゃ駄目だろ。結ってくれ」 「珍しいことを」 ――いつもは乱れても気になさいませんのに。 小十郎は咽喉の奥で、普段の不精を嗜めるように笑った。だが政宗は構うことなく、鼻先で笑い飛ばす。 「成実が来るんだよ」 「成実様が、ですか。もうそんな時期なのですね」 口を尖らせながら――それでも寸暇も惜しいように、忙しなく表情を変えながら政宗は自分の髪を、指先でくるくると弄ってみせる。 成実が軍議以外の私用でのみ現れるのは、いつもこの時期だ。なんでも政宗と幼い頃に交わした約束を未だに律儀に守っているという。 「あいつ、煩いからさ…」 「そういうお顔が笑ってますよ」 ふ、と口元を綻ばせて告げると、政宗は自分の顎先に手を当てて表情を取り繕う。すると小十郎は手を伸ばして、政宗の手をどかすと、顎先をさらりと撫でてみせた。 「でもその前に、髭も剃りましょうか」 「oh,shit!それさえ忘れてたぜ」 は、と思い出したように政宗が自分の顎先を撫でる。さりさり、と確かに無精髭が生えてきている。ついでに、このまま伸ばしたら、と云い掛けると、小十郎に即効で「似合いません」と打ちすてられた。 「それに政宗様に髭があったら、口付けたときに痛くてかないませんので」 「おま…――ッ、さり気なく誘うなよッ!」 さらりと云われた色を含む言葉に、かあ、と頬が熱くなる。両の頬を掌で押さえると、小十郎の手が伸びてきて政宗の唇に触れた。 「ですから、終わるまではお預けです」 「酷ぇよ」 誘われて、なのに直にはしてくれない。仕事だってこんなに頑張ったのに、ご褒美もくれないのかと、口を尖らせてブーイングするが、彼は知らん顔で席をたった。 ――あいつも俺に付き合って寝てないんだろな。クマ、出来てた。 ふと席を立つ瞬間の小十郎の顔色を思い出しながら、彼を待った。 早々に小十郎が支度をして戻ってくる。勝手知ったるという風情で、小十郎の膝に頭を乗せてころりと横になると、てきぱきと小十郎は政宗の頬に剃刀を当てていく。 ――しょり、しょり、 規則正しく聞こえる音に合わせて、水音が時折耳に涼しく聞こえてくる。剃刀を手にしている間は二人の間に会話はなかった。ただすべて終わると、上から小十郎が覗き込み、終わりました、と声をかけてくる。 「じゃあ、キス」 「支度が終わってから」 強請るとまたお預けされる。政宗は身体を起こしながら、自分の頤から顎先に触れる。そしてそのまま、小十郎に背中を向けたままでいると、今度は髪に櫛が入ってくる。 それと同時に眼帯が外されていった。 「――失礼します」 「ああ…」 傍らに眼帯が置かれる。政宗は閉じた右目を――傷跡を指先でなぞってから大人しく小十郎に任せていく。 ちらりと政宗が肩越しに見上げると、小十郎は膝たちになって彼の髪を梳いて行く。 前髪を上げて――掻き上げて、椿油を染み込ませて、きゅ、と髪が纏められる。 「顔の皮がひっぱられるみてぇだ」 「痛いですか?」 「いや…痛くはねぇけど、変な感じだ」 政宗が、いつもは髪で覆われる首元を――項を晒して云う。ふいに顕になった首に、彼の手が巻きつき、こそばゆそうに撫でていく。 「首が何か涼しいっていうか…」 「――――…」 小十郎がじっと首に見入っていると、政宗は背中を見せたままで「美人画より好いだろ」と云って来た。 「確かに…いつも隠していますからな。白く、白い…御首で」 「触れたいか、小十郎」 「それは…勿論」 小十郎の大きな手で纏められ、時に頭を撫でるように動く感触に、政宗は瞼を閉じる。腕を組みながら背後で、髪が強く引き結ばれるのを感じていく。 「この俺の首、欲しいか?」 「いいえ」 直に返ってきた返答に、肩透かしを食らった気がした。政宗は面白くなさそうに溜息をつくと、首元を叩いてみせた。 「Humm…この首、お前にならやっても良いんだけど」 「そういう冗談は好きませぬ」 ――はい、出来ました。 とん、と肩に小十郎の手が触れる。その手を掴んで身体の向きを変えると、顎先を仰のかせて小十郎の方へと向き直る。 すると心得ているとばかりに、右目に眼帯がかけられた。 「私は貴方様の右目。どうして首を欲しがるとお思いですか」 「――…そうだな、どうかしてた」 ふふ、と微笑むと小十郎は額を撫でて、其処に口付けをひとつくれた。こそばゆいような気もして、口付けられたところに手を触れて撫でていると、肩を震わせて笑われてしまった。 昼過ぎに待ち人は来た。軍議の際のような重々しさはなく、両腕を広げて政宗の名を呼んでくる。 「藤次郎…ッ!」 それに合わせて政宗もまた相手の名前を呼んで、両腕を広げた。 「藤五郎…ッ!」 ――がしッ。 腕に成実を抱えるようにして抱擁すると、互いに「元気だったか」と伺いを立てながら話し出す。顔を合わせれば――子どもの頃のように笑いあって話が出来る相手だ。 「成実、今日はどれくいらいるつもりだ?」 「何だよ、早々に追い出そうって魂胆か?」 「違ぇよ」 ふふふ、と笑いながら話していると、成実はふいに政宗の項に手を添えた。 ――ぴく。 「綺麗に結い上げて。珍しいなぁ…」 「――手前ぇが口煩いからだろ?」 「戦場で見るよりいい男だぜ?」 成実は茶化しながらそんな話をしてくる。戦場の方がかっこいい方がいい、と応えると成実は大口を開けて高笑いした。 「そういえばよ、どうして今日に来るようになったんだったっけな?」 「忘れたのかよ、酷ぇもんだ」 下女が運んできた肴を摘みながら杯を重ね、成実が皮肉った。政宗は酒を咽喉に流しながら、思い出せねぇ、と唸った。 「ほら、やっぱり主従関係をはっきりさせなきゃならない、っていう時に、お前が駄々こねたんだよ」 ――そんなの嫌だ。 子どもだった政宗が――梵天丸が手をぎゅうと握り締めて断固として引かなかった。その時の様子を成実は懐かしそうに教えてくれた。 「そうだったか?」 「そう。だから年に一回くらいは、従兄弟に戻ろうって」 ぱく、と煮豆を口に入れながら政宗はぼんやりと昔のことを思い出す。そういわれてみれば、そうだったかもしれない。 「でも…政宗は、俺が四六時中傍にいなくても、な」 「え?」 かたん、と戸が開いて小十郎が二人の間に追加の酒を置いていく。その間、成実も口を閉ざしたが、視線は小十郎にしっかりと注がれていた。小十郎は去り際に成実に会釈していく。そして政宗に視線を移すと、静かに微笑んだ。 「ごゆっくりなさいませ」 「すまねぇな、小十郎」 小十郎が下がると、再び杯に口を付けながら政宗が問いかける。成実は小十郎が出て行った戸の方を見たまま、くつくつ、と咽喉の奥から笑いを零し始める。 「で?何が言いたいんだ?」 舐めていた酒から口を離し、政宗が成実を見上げると、成実は肩を組んでくる。そうして耳元で揶揄うように告げてきた。 「俺が傍に四六時中居なくてもさ」 「うん?」 「藤次郎には――好い奴が居るからなぁ…」 「――…ッ」 かっ、と意図せずに頬が熱くなる。いつもは受け流せているのに、成実の前だからか、すっかりと油断していた。 「お、珍しい」 「煩せぇよ、そういうお前はどうなんだよ」 腕を振り払い、ぎゃあぎゃあ、と騒ぐ。成実は笑って誤魔化して政宗に更に拍車をかけていく。 「俺は別に〜。ずっと昔から一緒だもんなぁ…」 「俺の事はいいんだよ」 「で?藤次郎、お前、あいつどうするつもり?」 「どう…?」 「もうやった?」 「――――…ッ!」 ぼぼぼ、と再び赤くなる政宗に成実はまた盛大に笑い飛ばしてくれた。照れ隠しに政宗は酒を一気に煽り、この話は辞めだ、と叫ぶ。その度に成実は大声で笑ってくれる。 「でもさ…昔、藤次郎は俺に、牽牛織女のように、って。この日にしたんだぜ?」 「う…――そ、そうだったか?」 「俺、幼心にお前貰うつもりだったんだけどなぁ」 「冗談だろ?」 ――冗談でいいよ。 成実は穏やかに微笑むと空いていた杯に自分で酒を注ぎ、そして政宗の杯にも酒を注ぐ。 二人の語らいは長く続き、庭先に淡い光を放つ蛍が飛び交っても尽きることは無かった。 翌朝に成実は帰っていった。再び家臣としての彼の立ち位置と、伊達当主としての自分の立ち位置が明確になる。まるでひと時の逢瀬のようだ。彼の後ろ姿を見ながら、寂寥感に襲われる――空は青く、夏の気配を漂わせていた。 ――寂しいなんてな。 昔から慣れているはずの感情だ――それなのに、どうしても胸にぽっかりと穴があいてしまったかのようだった。 ――いつもなら、あいつがいてくれるのに。 肩越しに振り返ってみるが、其処には誰もいない。いつもある背後の気配がないのが、この寂寥感の原因のような気がしてしまう。 ――成実がからかうからだ。 昨日話している間、しきりと彼は小十郎の存在を誇大してくれていた。それを思うと、今この場に彼がいないというのが、どうしても落ち着かない。 政宗はふと思いついて馬に乗ると、そのまま小十郎の元へと走らせていった。 「随分と楽しげなご様子で、良うございました」 「――でも、成実が帰っちまうと後の寂しさが応えるな」 「お年が近い方は少ないですからね…」 「ああ…――」 小十郎の元に出向いたが、生憎と彼は畑に出てしまっていた。 その為に彼が戻ってくるまで、じっくりと居室内で茶を啜りながら政宗は寛いでいた。政宗が来ていると知って、真っ先に叱責の声が上がるかと思ったが、怒られることは無かった。 ――つい。 目の前を、淡い光を放つ蛍が飛んでいく。 「年に数度しか、軍議以外では親交を深めていないのが不思議とお見受けする次第なんですがねぇ」 「良いんだよ、これくらいの距離が」 片足を立てて縁側に座り、庭を見つめる。思い出せば昨日の成実との時間が嘘のように遠くに感じてしまう。政宗が口元に手を宛がって、夜闇に増えていく蛍を見つめていると、蛍が、ふい、と政宗の肩に止まりかけた。それを小十郎が手で払う。 その手が伸びてきて、顕になっている首筋に触れる。 「――小十郎めは、少々妬けました」 「――…ッ!」 「私には見せてくれない笑顔ですから」 俯く政宗の顔を上げさせるように、ゆっくりと小十郎の手が頭を撫でてくる。いつもの、解いた髪と違うから撫でられると自分の頭の形がよく解ってくる――そして彼の手の平の大きさが、何だか愛しくてならなくなってきた。 「妬けた…って、だからお前、仏頂面してたのか?」 「仏頂面してましたか?」 政宗は吃驚したのか、瞳を少し大きく見開いたまま、小十郎のほうへと身を乗り出していく。そして昨日からのことを彼是と指摘していく。 「――だって、さっさと戻ってしまうし」 「それはお二人の時間を邪魔したくなくてですが」 着々と応える小十郎に、そういえば一度成実が席を立った後から、小十郎の姿が見えなくなっていたことを思い出す。思いがけない置き土産を残してくれた成実に歯噛みしてしまいたくなった。 政宗は額を押さえながら唸る。 「マジかよ…――それ、成実と何か話したか?」 「宣戦布告されましたが」 「はあ?」 「いつか貰っていくと。政宗様を」 「Shit!!――あんの、莫迦ッ!」 とんだ道化師だ。自分の知らない間に、様々にトラップを仕掛けていくようなものだ。何を考えているのか――何も考えていないのか。その本意は解らない。 「まあ、でも解らなくもないです。成実様にとっては、貴方様を奪った相手でしょうし」 「小十郎…――」 小十郎がふわりと微笑みながら云うのを、両肩に手を載せて項垂れる。すると再び彼の手が伸びてきて顎先を掴み上げる。 「あ…――」 小さく声を上げると、小十郎の顔が近づいて鼻先が触れる。こつ、と鼻先が触れたのに気付いて政宗がうっすらと唇を開くと、彼の唇がゆっくりと重なってきた。 ――ちゅぅ。 後を引くように、強く吸い上げると、離れるのを惜しむように互いの唇が弾む。政宗はぺろり、と自分の唇を舐めてから俯き、ごそごそと動くと小十郎の膝の上に両足を開いて乗り上げる。 「あのな、小十郎…」 そうやって乗り上げると、心得ていたとばかりに小十郎の手が腰に触れる。それを感じて政宗は言い様に両腕を頭の後ろに向けた。 ――ばさ。 結い上げていた髪を振りほどく。それに合わせて眼帯が、がつん、と足元に落ちた。小十郎は乗り上げている政宗を見上げて動かない。 「俺、お前にはもっとすべて曝け出しているぜ?」 「――……」 「それこそ、身体だってな」 手を伸ばして小十郎の左の頬の傷跡に指先を触れさせる。 それをするりと振り下ろし、自分の腰に当たっている小十郎の手の上から――後ろ手で帯を探り、一気にひっぱった。 ――しゅっ。 小気味良い音を立てて帯が外れる。政宗はそのまま腕を前に戻すと、目の前の小十郎の頭を――しっかりと整えられている髪を、ぐしゃぐしゃと掻き混ぜる。そして額を付け合せ、徐々に彼に体重を預けていく。 「俺が寂しいなんて思わないように」 「政宗様」 間近にある小十郎の瞳を見つめながら、両の掌を彼の頬に添える。 「今すぐ抱け」 強くそう云うと、了承の合図のように小十郎からの口付けが迫ってきた。それを深く味わいながら、政宗は身体を預けていくだけだった。 りぃ、りぃ、と鈴虫が羽音を聞かせている間、政宗は横になりながら髪を指先で弄った。熱くてどうしようもなかった筈なのに、彼の胸の上がやたらと涼しく感じる。 「お前とは、ずっと一緒がいい」 「どうかしたんですか?」 「牽牛織女の話、知っているだろ?恋に溺れて、罰として年に一回の逢瀬しかさせて貰えないんだぜ?」 「有名な話ですよね。まだ、遣りますか?」 「――ん、ヤるけどよ…」 ――ここの所ご無沙汰だったし。 自分を翻弄し続けていた男の胸の上に乗り上げ、胸に顔を埋めたままで云うと、再び小十郎の手が下半身に伸びてくる。その手を掴んで、べぇ、と舌を出すと笑われた。 「でもよぅ…溺れるくらいに恋しても、一緒に居れないとなぁ…」 「――…」 「俺はヤだな。ずっと一緒に居たい」 「居ますとも」 優しく小十郎の手が伸びてきて背中から撫で上げていく。そして汗に濡れたままの髪を、彼はくしゃりと撫でて、その指に絡めた。 「――どうだか」 「疑い召されるな」 勢いよく身体を起こした彼に押し倒されていく。小十郎の胸の下に敷きこまれながら、傍に居ろ、と繰り返していった。 了 090719 成実ちゃんがジョーカー。武の成実、筆頭に恋してればな〜と。七夕ネタ。 |