甘い傷 すれ違いざまに気づいたのは、本当に偶然だった。 嗅ぎなれた香の香りの中に、もっと嗅ぎなれた鉄錆の匂いが混ざっていた。 小十郎を引き連れて自室に向かい、政宗は小十郎が座ったのを見計らって傍に行くと、彼の前に仁王立ちになった。 「背中、見せろ」 「厭です」 「いいから、見せろ」 「お断りいたします」 いつもは見下ろされているが、こんな時ばかりは見下ろして威嚇する。だがまったく小十郎には効いていない。 政宗は片膝を突くと、覗き込むようにして口を開く。だがその前に、開いた足のせいで見えた素肌に「はしたないですよ」と小十郎が釘を刺してくる。それを笑い飛ばしながら政宗は片膝を付いたままで詰め寄った。 「小十郎…俺はお前の背中に爪痕があったとしても許すぜ?」 「それは寛大な」 「だから、見せろ」 「断固としてお断りします」 「――……」 頑固な小十郎に、舌打ちを繰り返す。思うとおりに行かない目の前の男に苛付いているのに、彼はそれを知らないかのように真顔のままだ。微動だにしない表情が余計に腹立たしい。 「それに私の背に爪痕を残すのは、政宗様くらいなものです」 「だったらよ…」 「お許しを」 低頭しながら小十郎が瞳を伏せる。余計にそれが政宗の苛立ちを助長した。 ――がっ。 政宗は舌打ちと共に彼の胸倉を掴み上げる。 「つべこべ言わず見せやがれ」 「――…」 ぎりぎりと歯を食いしばっていると、解りました、と小十郎が折れた。そしてゆっくりと政宗の手を外させると、溜息を付いて自ら袂に手を向けた。 「まったく仕様の無い方だ」 ――ばさ。 勢い良く脱がれた上半身に、政宗は息を呑んだ。正面からでも見えるのは、赤く蚯蚓腫れになっている痕――傷跡だ。 政宗は立ち上がり、小十郎の背後に回る。 目には見慣れた背中がある――だが、其処に新しい傷があった。 「――やっぱりな…」 「間違ったことはしておりませんが」 「お前、俺をかばって此れか」 「盾には、なれたかと」 「当たり前だ」 ふん、と鼻を鳴らすと、小十郎は緊張を解くように微笑んだ。 昔から政宗をかばって何度も背に傷を受けてきた。その痕がこの背中にはある――そしてそれを見下ろしながら、政宗は優越感と屈辱感を同時に味わうことになる。 彼が自分のために傷ついたこと。 ――大事にしてくれている。 彼をむざむざ盾にしなくてはならないこと。 ――自分の未熟さ加減に反吐が出る。 そんな気持ちがぐるぐると渦を巻いていくようだった。政宗はじっくりと傷跡を見つめると、膝を折ってそっと小十郎の背に掌を触れさせた。そして直に立ち上がると、彼を手招きする。 「来い」 「――――?」 「薬、塗ってやるからよ」 「爪は、立てないで下さいね」 「さあな」 ふふ、と笑いながら小十郎を誘っていく。 その背中に自分の爪痕だけなら、どれ程に甘い傷だろうかと想いながら、ただ彼の腕に身を預けることしか出来なくなっていった。 了 Date:2009.07.05.Sun.03:46 /090714 |