いりませんか 昼日中から布団に横になっていられればと、常日頃は思うものだが、いざそうなってみると退屈になってしまう。だが退屈よりも耳障りなのが説教だ。 上半身を起こして傍らに座る男の、眉間の皺を見つめながらしみじみとそう思う。 「まったく川なんぞで年甲斐もなく遊ぶからですよ」 「いいじゃねぇかよ」 「よくありません」 「いいじゃねぇか。俺が風邪をひいたから、こうして俺と一緒にいられるだろ?」 片倉小十郎は傍らからすかさず羽織を差し出し、肩にかけてくる。それを羽織ると布団の中がいかに熱で熱くなっていたかと思わせられた。 半身でも身体を起こしてみると、外気がひやりと身に染みる――それもその筈で、喚気だと窓を開けたままにしていた。 ふる、と微かに身を震わせると、音も無く小十郎が立ち上がり窓を閉めにいく。しっとりとした空気が鼻につき、霧雨が降っていることが窺い知れた。 窓を閉めて、そして再び傍らに戻ると小十郎は先ほどの問いに溜息をつきながら言った。 「いつもお供しておりますので、然程変わりはございません」 ――それよりも心労が大きいので。 「そうかよ」 唇を尖らせている間に下女が盆を持って訪れる――それを襖越しに小十郎が受けて、静かに襖を閉じた。あれこれと忙しない――確かに昨日、広瀬川の浅瀬で水遊びをした。もう春も終り、初夏の陽気が続いていたから気を許していたのは事実だ。それを畠仕事をしながら止めもせずに見ていた小十郎は、今では小うるさい男に成り下がっている。 だが膝を詰めて座ると小十郎は腿に手を添え、ちらりと政宗のほうへと視線を流した。 ――ぴし。 空気が震撼しそうなほど、その視線が痛い。政宗は小十郎の視線をさけるように、すい、と視線を背けた。 「それはそうと何故私が呼ばれたのか」 「ああ、それは…」 口篭るが、ずい、と小十郎の手が政宗の鼻先に、小さな包みを下げて寄越す。その手には小さな――白い包みがあった。 ――薬。 ちら、とそれを視界の先で確認する。鼻先に匂ってきそうな臭気は、息を止めることで回避できた。だが小十郎はずいずいとそれを政宗の鼻先に近づけてくる。 「解っていらっしゃるなら、早く飲みなさい」 「oh!お前が言うとやらしいな」 「政宗様ッ」 誤魔化すように身体を徐々に後退させる。鼻っ面に近づいていた彼の手を、ひょいと掴んで下ろさせる。だが小十郎は引かない体を要している。 政宗は顎先を、きゅ、と引き寄せると小さな声で抵抗を示した。 「――飲まなくても」 「いいえ、飲んでいただきます」 ばし、と強い口調で遮られた。売り言葉に買い言葉――それに対抗すべく政宗の声も大きくなる。 「厭だ」 「お飲みくださいッ」 「い・や・だッ」 「飲みなさいッ」 同じ言葉の応酬を繰り広げていくと、再び小十郎の手が政宗の鼻先に向ってきた。 ――ぎゅ。 思わず、ふが、と口を開きかけた。だが直ぐに彼の意図に気付き口を引き結ぶ。彼は政宗の鼻を摘んできたのだ。 ――あけて堪るかよッ。 ぐ、と歯を食いしばる。呼吸が出来なくて苦しい。歯を食いしばると同時に目も、ぎゅ、と瞑った。 「――……ッッ」 「強情な…子どもではあるまいし」 ――ぱっ。 ふいに小十郎の手が退いた。彼から身体を離して政宗は、はあはあ、と吸いきれなかった酸素を細かく吸う。小十郎も眉根に皺を寄せたままで困った顔をしている。小十郎が手を離したことに、勝ったような気がして、にやりと笑った。 「飲みたくないんだよ」 「そんな子どもじみたことで如何するんです」 「へッ、子どもで結構。苦ぇんだよ、半端なく!」 「そんなでもないでしょうが」 歯をむき出して「いーっ」と拒絶を見せると、小十郎は首を捻りながら手元の薬袋をかさかさを広げる。そして小指で少し摂るとそれを舐めた。 ――ぺろ 「――――……ッッ」 言った傍から小十郎が口元を手で覆う。彼の顔色が徐々に青くなりそうな程だった。それを傍目に見つつ、政宗は自分の膝に肘を乗せて頬杖を着く。 「だろ?なぁ、苦ぇだろうがッ」 何も言えずに小十郎は水を飲み干す。それをニヤニヤしながら政宗は見つめていた。 そして手元の薬をじっと見つめると、今度は鼻から深い溜息をついて――右の眉が、ぴくり、と上がった――政宗に窺いを立ててくる。 「ならばどうしたら飲んでくださいますか」 「そうだな…小十郎がキスでもしてくれたら」 拒絶の意味で舌を出しながら言うと、小十郎は再び深い溜息をつきながら額を押さえた。 「まったくどうしてそういう…」 「でもキスしたら感染るか」 「政宗様の風邪ならば喜んでお受けしましょう」 「言うなぁ、手前ぇも」 ――伊達に何年もお仕えしていませんから。 ふ、と小十郎の口元が綻んだ。政宗は頬杖を拳に替え、手の甲に今度は頬を乗せる。斜に構えると、左目のだけの視界に全て彼が映りこむ。 「でもそりゃ無しで。やっぱキスは止めとく」 ――その気になりそうだ。 小十郎は政宗が薬を飲まないことに困っているようだが、なんだか話しているうちは嬉しそうにも見える。そんな彼を見ながら、なんで実力行使に出ないのかとさえ考えてしまう。 ――鼻っ柱、押さえることしかしねぇ。 時にもよるが、いつもなら張り手も食らわす、刀も交えることもあるというのにだ。そうしている内に小十郎の口元が、ふ、と引き結ばれた。 「茶は如何です?」 「ああ、それなら…」 考えている内にいつもの調子で軽く答えた。頬杖を外して身体を起こす――すると、小十郎の手が伸びてきて顎先に触れた。 「……失礼」 「え」 ぐい、と強く顎先をつかまれる。そうすると口を開かずには居られない。それと同時に柔らかい感触が唇に降って来た。 ――ざら。 「――ッ!――ッ」 厭な苦味が咥内に広がる。政宗が身じろぎをすると、それを跳ね除けるように強く小十郎の腕が背中に回ってくる。そして頭を引き寄せて固定すると、舌先が咥内に滑り込んできた。 ――くちゅ。 滑る舌先が政宗の舌を舐るように動く。苦味から逃げたくて舌先を引っ込めるのに、咽喉の奥まで絡めるようにして彼の舌が動く。 ――ちゅ、じゅ。 「ふ、――んぅ、っ」 強く吸い上げると音が漏れる。そして再び角度を変えて深く唇が重なりだす。 ――苦い。でも、気持ち良い。 呼吸が上手く出来なくて、酸素が足りない。それを欲するように、ふ、ふ、と息を吐くがその度に彼の唇に全て奪われていく。 「んん…――っ、っく」 ――もっと欲しい。 口付けだけじゃなくて、熱であつくなるだけじゃなくて、彼の身体を感じたい。そんな風に思うと自然と手が動いた。 政宗が腕を伸ばし、小十郎の背中に両手を這わせる。そして誘うように体重をかけた。 ――ぐら。 傾く身体を静かに受け止めながら、布団の上に背中をつける。額にさらりと小十郎の掌が伸びてきて、髪を払った。そして瞳を開けると、優しく彼が微笑みながら髪を撫でてきていた。ぼう、としながら見つめていると小十郎は、ぽん、と政宗の胸に手を当ててから上体を起こした。 「はい、おしまい」 「な…ッ!――ぅッ」 ――うぇぇええぇぇぇえええぇぇ、不味ッッッ! がばりと身体を起こすと、咥内の薬の苦さが込みあげてくる。再び布団の上に口元を押さえて転がると、小十郎は肩で笑った。 「酷でぇ……酷いじゃねぇか、その気にさせておいて」 「その気も何も、貴方様が言ったんじゃありませんか」 「ああああ、もう……ムカつく、腹立つ、小十郎の馬鹿野郎」 涙目になりながら布団の上に転がっていると、今度は彼の腕が背に差し込まれ上体を起こさせられる。 「何とでも仰いませ。さぁ、脱いで」 「は?」 「清拭です」 「――手前ぇ、どこまでストイックなんだよ…」 ――がっかりだ。 淡々と看病に専念し出す彼は、既に手に濡れた手ぬぐいを用意し絞っている。水が桶にぽたぽたと落ちる音を聞きつつ、がくりと政宗は項垂れつつ毒づいた。だが彼は至って真面目に言う。 「それほど汗をかかれているのに着替えないとは言わせません」 「汗かくならヤるのと変わんねぇだろう〜」 額を押さえて毒づく。誘いに乗ってくれない彼に、一泡噴かせてやりたい気持ちがふつふつと湧いてきた。 ――このまま脱がずに困らせてやろうか。 袂を握り込みじっと見ていると、濡れた手ぬぐいを手にして小十郎が眉を曲げた。 「政宗様」 「あ?」 「あまり小十郎を煽られますな」 「――――……ッッ」 片手で政宗の頬に触れて、撫でてくる。まだ熱で熱い身体が余計に熱くなってくる。じわり、と触れられた所から熱が広がっていきそうで、頬に触れている腕を指を絡ませた。すると余計に小十郎は困り顔で笑う。 「体力の無い貴方様を襲うほど廃れてはおりません」 「ぅん、――…?」 「今でも艶やかな貴方様を見ているだけで理性も飛びそうなんですがね」 ――解りませんか。 頬にかけた手を外せないでいる小十郎に、溜息が出る。政宗が拳で軽く彼の額を、こつ、と小突いた。 「解りずれぇよ」 「申し訳ありません」 ふふ、と笑いながら静かに政宗の手を離し、単をはだけさせる。手伝うように政宗は自分から袖を抜き、素肌を晒す。するとそれを待っていたかのように、小十郎の手が滑り、肩から腕を撫でていった。 ――びく。 柔らかい動きに思わず身体が反応する。だが先に手拭いの感触が項から背にかかった。 「言ってしまいますが、他の誰にもこの肌に触れさせたくない」 「俺だって触れさせたくねぇよ、手前ぇ以外には」 もどかしい思いもありながら、身体を拭かせていく。出来ればこのまま縺れ込みたいが、たぶん彼は応えないだろう。それを思うと苦虫を潰すしかない。 「ならば辛く当たるも小十郎めの愛と受け取り、大人しくしていてくださいませ」 「恥ずかしいこと、さらっと言うんじゃねぇよ」 耳に告白を受けたような気がする。 ぐしゃぐしゃと頭を掻きながら、フン、と鼻を鳴らした。 「他に出来ることならば、何なりと」 小十郎はそんな政宗の機嫌をとるように、柔らかく後ろから耳に囁く。 ――こいつ、解ってて煽る。 厭な男だ、と思いながら唇を尖らせる。そうしている間にも、ざ、と手拭いを再び水に浸し、絞っている音がする。 ――ひた。 肩甲骨に、濡れた感触が降りてくる。 背中は彼に任せると決めた。それは戦場でも、日常でも変わらない。背に触れる彼に、肩越しに振り返ると顔を寄せた。 「小十郎…」 肩越しに近づく――そうすると腕を動かして彼の首に回す。身体の向きを変え、両腕を彼の首に回しこみ、引き寄せた。触れてみると自分の方が熱い身体をしている事に気付かされる。 「――だったら、」 「はい」 応える彼に――彼の耳に静かに囁く。 「手、握っててくれよ」 「かしこまりました」 小十郎の肩に顎先を乗せて力を抜くと、彼は新しい単を引き寄せ政宗にかけてくる。されるがままにしていると、もっとわがまま言っていいですよ、と笑われた。 ――それは手前ぇだよ。 もっと求めろ、とは言えない。でももっと求めて欲しい。「もっと」と思うことを何度も繰り返しながら、寝入りざまに手に彼の指の感触を感じていった。 090531 up ちょっと不完全燃焼 |