微熱注意報 風邪を引いた。 ことの起こりはそもそも政宗が川で遊び倒して風邪をひいた事に始まる。その政宗の看病をしていて風邪を貰ってきてしまったようだ。小十郎は困ったと思いながらも静かに床に伏せる。 ――ああ、でも苗……支柱を立てておいたから大丈夫か。 ふと畑のことを思い出したりもする。だが直ぐにまた別のことも脳裏に浮かぶ。日常から様々な事に関わっているせいで、あれもこれもと考えてしまう。 臥せることが少ない――いや、近年臥せた記憶すらない。身支度もせずに床に臥せりながら額に手を添える。それが何だか歯痒かった。 すると、からり、と障子が開いた。何事かと思い指先の合間から視線を流すと、見知った青年が藍色の着物を着てそこに姿を現した。 「よぅ、風邪ひいたんだって?」 「政宗様…このような所に」 慌てて身体を起こしかけると、悠然と手をはためかせて近づいてくる。 「ああ、いい、いい。そのままで居ろよ」 「はぁ…こほッ」 身体を起こし、それでも座りなおすと咽喉の奥から軽く咳が出た。目の前の政宗は数日前まで臥せっていたとは思えないほど、清清しい表情をしている。そして先日とは打って変わり、小十郎の傍らに胡坐をかく。 「へぇ〜…」 「何ですか?」 まじまじと小十郎の顔を覗き込み、政宗は満足気に笑みを浮かべた。 「お前の風邪って俺からのだよな」 「そうなりますね」 あっさりと答え、小十郎は額から解れてきた長い髪を撫で付けた。はらはら、と髪が落ちてきて鬱陶しい。その仕草を見ながら、政宗が目を丸くし頬杖をついた。 「――へぇ」 「政宗様?」 「いやぁ、なんか嬉しくてよ」 「私は不覚の至りと」 苦々しく己の今の現状と心中を言葉にすると、口を尖らせて政宗が否定した。 「そんな事ねぇだろ。お前、俺からの風邪なら喜んで貰うって言ってなかったか」 「――言いましたね」 「だろう?」 そういえば言った、と思い出し、回らない頭にぐらぐら眩暈すら覚える。そのせいか自然と言葉尻がきつくなってしまう。 ――気が、思考が回らねぇ…政宗様に無礼を働く前に帰っていただいた方が… 自分の至らなさを考え、どうにかして政宗を遠ざけようと思考が動き出す。小十郎は肩に羽織を手繰り寄せながら、枕元に手を伸ばし水を飲み込む。 ――こく。 乾いていた咽喉が音を立てると、間近で政宗の頬が少しだけ赤らんだように見えた。 「で、今日の用向きは何ですか」 「何だよ、邪険にするなよな。見舞いだ、見舞い。あと…」 「あと?」 「看病」 に、と歯を見せて無邪気に笑う政宗に、溜息が出る。大きな溜息をつく。 「結構です。お戻りください」 「厭だね」 「政宗様」 「あんまり怒るなよ。それよりさ、コレ俺も口移しで飲ませてやろうか?」 強情に「帰らない」という政宗が、袖から見覚えのある薬袋を取り出す。それを見て咥内に味が広がるようだった――それは政宗が寝込んだ時にも飲んでいた薬だ。 味は正直かなり苦い。叫びたくなるほど苦かった。 ――良薬は口に苦しっていうが、苦すぎだ、アレは。 かなり効く事には効くが、今思い出しても口にしたくない代物だ。しかし前回のこともあり、飲まないとはいえない。 「結構です。飲みますので」 「つまんねぇな」 ち、と舌打ちをして政宗が拗ねる。そうこうしている内に、家人が声をかけてきた。すかさず――小十郎が止めるのも聞かず――政宗が立ち上がり、障子のところまで行くと、家人から小さな土鍋を受け取ってくる。家人が障子が閉まる瞬間に、困ったように視線を寄越していたが、小十郎には気にしている状態でもなかった。 ――気ぃ、使わせてしまったか。 いつもなら慌てるところだが、その元気が今の小十郎にはない。政宗は鼻歌を歌いながら土鍋を手に戻ってくると、盆を傍らに置き蓋を開けた。 土鍋の蓋を開けると、ほわり、と湯気が立つ。そして塩気のある香りと共に、鳥の子色の粥が目に入った。 「お、見ろよ。卵粥だ」 「あまり食欲ありませんが」 「旨そうだぜぇ。食いな」 卵粥を見ながら、政宗が嬉しそうに匙を手にする。そしてひと掬いすると空かさず、息を吹きかけた。 ――ふう、ふう 呆気にとられている間に、す、と目の前に匙が迫る。 「ほら」 「自分で食べられますので…」 盆に手を伸ばすが、彼の手で遠くに追いやられてしまう。政宗は真剣な目つきで匙を小十郎の口元に寄せた。 「甘えろよ」 思案する間にも、ほわ、と匙の上の粥が湯気を揺らす。小十郎は観念しつつ、一礼すると顔を寄せた。 「――では、失礼して…」 ――ぱく。 「――…ッ」 「政宗さま…?」 口に広がる塩気を感じながら、咀嚼してから声をかける。すると政宗は徐々に首筋から紅くなってきた。そして再び同じように匙に粥を乗せると小十郎の口元に運ぶ。 繰り返していく内にも、むずむずと政宗は口元を動かして笑いを堪えているようだった。 「やべぇ、楽しい……――」 「何とでも仰い」 半分ほど食べ終わったところで、小十郎が水を引き寄せて咽喉に流す。するとそれを見ながら、政宗は瞳を眇めて言った。 「昔、よくこうして小十郎に食べさせて貰ったよな」 「そうですねぇ。昔は利発でも身体は弱い、そんなお子でしたからねぇ」 「今はどうだ?」 先を促されたが、もう腹も一杯だと断る。すると政宗は鍋に蓋をしてから、膝を寄せてより近づいてきた。 「強く、お成りで」 「そうじゃなくて」 「――…?」 「今は、子どもじゃねぇぞ」 す、と政宗の細めの指が額に掛かる。乱れている髪を両手で撫で上げ、額を顕わにすると、政宗は自分の額を付けてきた。 ――こつん。 互いの額が付き、音を立てる。 ――冷たい。 食事をした後だという事もある。身体が先ほどよりも熱くなった気がした。ごそ、と衣擦れの音がして腿の上に政宗が座り込んできたのが解った。 そうすると条件反射のように腕を伸ばして彼の腰を支えてしまう。 ――ふ、 鼻先に政宗の吐息が触れる。そして額、鼻先、頬と口付けが落とされた。 「政宗さま…」 「なぁ、もう子どもじゃねぇだろ?」 ――だから邪険にするなよ。 耳朶に噛み付きながら政宗が言う。それが、あまりにも可愛らしくて小十郎は咽喉を震わせて笑った。そして腰から背に手を滑らせて、胸をぴったりと付けるように彼を抱きしめる。 見舞いに来たのに喜ぶ所か、帰そうとしていた――それを政宗も気付いていたのだろう。 ――だから拗ねたのか。 いつもと変わらないように見えていて、色々考えているな、と思いながらも今度は小十郎から彼の耳元に囁いてやった。 「ご随意になさい。今日は抵抗する気もありませんよ」 「一度かかった風邪には二回は掛からないって言うからな」 「――どうぞ」 少しだけ抱きしめる力を弱めると、政宗は膝に乗ったままで小十郎の頬を包み込み、口付けてきた。擦りあわせるだけのような口付けを繰り返し、そのまま政宗の好きにさせる。 直ぐに離れる口付けのあと、首筋からゆっくりと舌先を使って舐めていく。 ――かり。 鎖骨に噛み付き、懐に手を差し込んでくると政宗が動きを止めた。 「温ったけぇ…――」 「熱、ありますから」 さわさわと襟元から触れてくる掌が、ひやりとしていて気持ちが良い。小十郎の身体の方が幾分も熱くて、政宗の身体が冷たいのが心地よかった。だが政宗は逆に小十郎の身体が温かいという。 ――ああ、駄目だ。 触れてくる手が政宗のだということを自覚すると、どうしようもない。ぐらぐら揺れる頭が――押し留めようとする理性が必死に対抗する。 小十郎は、ぐい、と政宗の背を引き寄せると襟首を強くつかみ、首元をほころばせると其処に鼻先を埋めた。 「気持ちいい……小十郎、擽ったいぞ、コラ」 「此方は冷たくて気持ちいいんですよ」 「ふふふ、言ってろよ」 小首を傾げて身を縮める政宗が、より一層身体を摺り寄せてくる。どくどくと鼓動が煩くなり、小十郎は観念したように呟いた。 「はぁ…――後でこの無礼、後悔しそうです」 「俺といて後悔なんてさせねぇよ」 額に掛かる髪を、再び撫で上げられる。そして政宗が伸び上がって自分の胸に小十郎の頭を引き寄せ、抱きしめていった。 「弱っている時って、誰かが居てくれると良いもんだろ?」 「まぁ、そうですね」 同じ布団の中に入りながら、腕枕の上の政宗に言う。いつの間にか陽も傾き、小十郎の熱も下がってきていた。傍らの政宗は素肌の肩を寒そうに撫でている。 それを視界に納め、身体を浮かせて肩にキスを落とすと、冷たくなった政宗の腕が頭に回ってくる。引き寄せられ、キスを繰り返しながら話す。 「でも添い寝はどうかと思いますよ?」 「家人が来たら驚くだろうなぁ…」 「家の者が驚きすぎて寝込まなければ良いんですがね」 ふふふ、と二人で悪巧みをするように笑いながら、隠れるように褥の中に身体を沈めていった。 090531 やったかやらなかったかは想像にお任せ。 |