あなた あたし





 政務に取り組む時、政宗は集中して取り組む。その為、言葉を交わすことなど滅多にない。それが議論ならば別だが、黙々と書面に目を通し、さらさらと手を動かしていく。
 およそ主とするには手に掛からない――だがこれがいざ戦場ともなるとそうでもない。
 それを思えば、こうして政務に取り組んでいる時の彼に従うのは、どんなにか易いことかとさえ想ってしまう。
 小十郎は政宗が終えた書面を確認し、新しいものを彼の傍へと持っていく。
 上座に政宗を配し、自身はその傍らで文机を構えていた。

「小十郎」
「――……」

 ふと政宗が呼びかけてくる。いつもならば政務の際には黙している事が多く、呼ばれたのに対しても一瞬反応できなかった。するともう一度、

「小十郎」
「はい」

 これは聞き間違えでは無かった、と想いながらも書面から今目を離すわけには行かなかった。その為、彼に顔を向けずにそのままで応えた。

「――小十郎」
「――……」

 声はいつもと変わらず、名を呼ぶ際にも、ばさ、と紙の音がしていた。彼が次の書面を手に取ったのが気配で解る。だが、その合間に何度も呼びかけてくる。

「小十郎」
「何ですか、政宗様」

 さらさら、と添削をしながらも、次々に書類を仕上げていく。そうしている間にも、政宗の呼び方が変わってくる。そもそも呼びかけてくるのに、その先を告げない。おかしいとも想いながらも、その真意を探る気にはならずに目の前の仕事に打ち込んでいく。それでも政宗の呼びかけは終らなかった。

「こじゅうろう」
「はい?」
「こ―じゅ―ろ――ぅ」
「まったく、どうしたんですか?」

 トン、と手元で政宗が放り投げてきた書面をまとめ上げる。そして顔を起こし、政宗のほうへと視線を移した。だが、視線を移して直ぐに後悔した――こちらをじっと見つめてきていた。
 蒼い――綺麗な、光を弾くような瞳が、小十郎自身に向ってじっと見つめてきていた。

 ――なんて美しい。

 一瞬見惚れてしまう。頬杖を付き、脇息にもたれている彼は、ふうん、と少しだけ吐息を漏らすと、はっきりとした口調で言ってきた。

「お前は良い男だぜ、小十郎」
「――……ッ」

 一瞬、視界が真っ白になる気がした――いや、彼の言葉の意味を理解できない自分が居る。ばさばさ、と手元から今まとめあげたばかりの書類が零れ落ちる。すぐさまそれをかき集めることも出来ない。固まりながら政宗の方を見つめていると、今度は口の端を少しだけ釣り上げて彼は満足そうに笑う。そしてきっぱりと此方を向いて告げてくる。

「好きだ」

 息が止まるかと想った。
 簡単な一言、それなのにどんなものよりも強い力を持つ言葉だった。

「――…っは、あ…ありがとう、ございます」
「うん」

 ぶわ、と脂汗が浮かぶ。それに合わせて顔に火がついたかのように血が集まるのを感じた。たぶん今自分は真っ赤な――茹蛸よりも紅い顔をしているに違いない。
 やっとの事で言えた言葉に、政宗は頷くと再び手元の書類に顔を落としていった。しかしその瞬間に政宗の口元が、満足そうに――やわらかく微笑んでいた。

 ――やられた。

 何時までも幼いままとは思わせてくれない。
 揺さぶりをかけて、上手に立つ――どんな時でも彼から目が離せなくなりそうだと想った。










090526 writen / 090601 up