紅く染まったのは





 紅く染まったのは、空だった。
 見上げた先に映る空が赤くて、紅くて、朱くて、今にも堕ちてきそうだった。

 ――政宗様。

 手を伸ばしても掴めるものなど無い。それくらい知っていた。この腕が掴み、縋るものは無い。なぜなら自分が縋られるための者だからだ。

 ――政宗様。

 何度も胸のうちで名前を呼んだ。呼んで、呼んで、でも声には出せなかった。







「お前ぇの笛が聴きたい」

 いつだったか夏の虫が煩い夜だった。酔いも回った頃に、彼はそう云った。

「生憎と、笛がございません」
「俺のがある。ま、俺は吹きはしねぇが」
「お戯れを申しますな」

 酔った彼は「そうかい」と呟くと、暗い庭先に視線を向けてしまった。
 長い睫毛が、ぱちり、と瞬きの合間に揺れる。彼の見ている先には蛍が飛んでいた。

 ――りぃ、りぃ、りぃ

 夏虫が転がるような音を奏でていく。それをただじっと聴いた。彼の杯が空になれば、それに酒を満たす――その繰り返しでしかなかった。

「…紅かったな」
「は……?」
「お前の顔」
「え、い…いつですか?」

 思わず何か粗相でもしたのかと焦る。取り乱すと途端に楽しそうに彼は指先を向けてきた。

「stop!違う、違う、お前ぇの顔を見た俺の視界が、だ」
「――?」
「最初に、お前を真正面から見たときだ」
「あ……」

 云われて、背筋が寒くなった。
 彼が自分を始めて射抜いたのは、その瞳で射抜いたのは、まだ幼少の砌だ。
 刃を向けた己を、じっと、見ていた。
 見つめていた。
 無垢な瞳のまま、ただ凝視していた。

「――――……」
「景綱は、紅い色に染まっていたぞ」
「まさ…宗、様」
「綺麗だと、思ったんだ」

 ず、と音を立てて彼が杯に口をつける。それを肝の冷える思いで見つめるしか出来なかった。









081009 up