雪月花 しんしんと降り積もる雪に、板戸も床も冷え切っていく。その上に足を乗せて歩くのは、この時期には辛いことだが、火鉢をおけばそれなりに暖かくもなるというものだ。 はらはら、と降る雪には音がない――こういう雪は積もるんだよな、と思いながら、佐助は化粧箱を取り出した。 「旦那、それじゃあ…始めますよ」 「うむ、よろしく頼む」 すい、と頭を垂れるのは真田幸村――佐助の主だ。 彼は真田家の次男、そして巫でもある。その彼が今、此処で奉納舞をする。その為の化粧をするのは、己の役目だ。 奉納舞は神に捧げるものであり、だれが見るわけでもない。しかし幸村は佐助には練習を見せてくれていた。 ――人から、人ならざるものに。 そう言いながら彼が扇を開き、低い姿勢から立ち上がって、腕を広げる。それだけでこの場所が、瞬時に神域になるような気がしていた。 「お前もよく勤めてくれているな…」 「まぁね…ただの化粧師で終わるはずだった俺に、忍と云う役割を思い出させてくれたのはあんただし」 「…あのように身軽な化粧師がいるものか」 ふふふ、と幸村は白い着物を着て笑う。幸村と佐助の出会いは、幸村の兄・信幸を暗殺しに来たことに始まる。 ――あの瞬間は忘れられない。 舞を見せながら剣を持って躍り出た先で、弾き飛ばされた白刃――目の前に居たのは白い水干を着た少年、いや青年だった。黒い大きな瞳に、真っ直ぐに伸ばされた刃が、佐助の首を狙っていた。 ――まさか旦那が信幸様の影武者だったなんてね。 影武者とは知らずに刃を向け、そしてまんまと捕らえられた。しかし幸村は自分を起用してくれた。 「目、閉じて」 「うむ」 目元に朱を乗せようとすると、素直に瞼を落とされる。陶器のような肌に、長い睫毛――それに芯の強そうな眉、彩るものが全て愛しく見えてしまう。 ――すぅ。 ふ、と顔を寄せて彼の唇に己のそれを触れ合わせた。そして幸村が瞳を見開くのと同時に抱き締めていた。 「ごめんね、旦那…俺」 「気にするな。しかし俺は…もとより俺自身のものではないから、お前に与えるわけにはいかぬ」 「知ってるよ。巫は神のもの、そして真田幸村は真田信幸の影…あんたは、あんたの人生を生まれたときから決められていた人だ」 「すまぬな…」 抱き締めた背に、優しく幸村の腕が絡まる。いっそ此処で押し倒してしまえたらいいのに、と思いながらも、口付けるだけで精一杯だった。 「大丈夫、あんたの操は俺様が護るからさ」 「馬鹿を言うな」 「神様にさえ俺は…」 其処まで言うと、幸村の指先が佐助の頬に触れた。そして彼が眉を寄せたまま首を振った。 「何も与えられぬ俺を赦してくれ」 「旦那…」 「せめて、お前の名を呼ぶ時は、お前と共にある時は、誰のものでもない俺として…触れ合いたい」 「…うん、すきだよ、旦那」 かたん、と紅筆が落ちる。彼の唇にこの色を載せる前に、何度も口づける。彩をつければあとは奉納舞をしに彼は神のものになる。それさえも阻みたくて仕方なかった。 「どんなに辛く、冷たい世でも…俺にはあんたは花でしかないよ」 そんな睦言を耳元に囁きながら、彼を抱き締める。服越しの温もりが手に切なく伝わってくるだけだった。 了 110127/120416up 確か、舞う旦那が書きたくて書いたお話だった筈 |