きつねととら



 小さな獣達の姿を見て、周囲の大人たちは口を揃えて、物好きだ、と言った。
 それもその筈でこの虎だらけの集落の中で色の違うものが一匹混じっている――小さな虎とは殆ど同じ大きさの、狐だった。
 元々は狩の練習のためにと仔虎の元に連れてこられた仔狐だったが、肝心の仔虎の方が何故かこの仔狐を気に入ってしまった。終始共に居て、気付けば仔狐は仔虎の面倒を見ている節すらあった。
 とある夜、二匹はねぐらでころころと横に蹲って身を寄せ合っていた。小さな狐の手にはその内に余ってしまうようになる仔虎の手を取って、狐は云った。

「弁丸さまのお耳は、どうして、まぁるいの?」
「…とら、だからだ」
「弁丸さまの尻尾はどうして長いの?」
「虎、だからであろう」
「そうだよね…俺様とは違うよね」

 きゅ、と手を握りこむと仔虎――弁丸は狐に身を寄せて、ぐるる、と咽喉を鳴らした。小さな身体を仔狐に擦り付けて甘える仕種は実に愛らしい。細くなる瞳も、甘えて鳴らす咽喉も、その全てで狐に寄り添っていく。

「ねぇ、弁丸さま」
「うん?」
「俺ね、いつか弁丸さまが俺を食べても、俺恨まないよ」
「弁丸は佐助を食わぬぞ」

 急に言い出した狐に、虎が驚いて瞳を上げる。力いっぱいに反論するが、狐は咽喉の奥でくすくすと笑いながら、虎の手をぺろぺろと舐めた。

「でもね、いつか…弁丸さまは俺を傷つける日が来ると思う。何があっても俺は恨まないから」

 ぶんぶん、と仔虎が首を振る。それでも狐は言い聞かせるように言いながらも、微笑んだ。にこりと微笑んで、そして幸せそうに云う。

「だからさ、ねぇ、弁丸さま。もしその時には、一息で息の根を止めてね。俺が少しでも苦しまないように」
「だから、俺は佐助を食ったりはせぬッ」
「大きくなったら、たぶん解るよ」

 狐が仔虎を窘めると、仔虎は身体を起こして涙目になりながら、怒りを顕にした。喜怒哀楽の激しい性分の彼は、ぶるぶると毛を怒らせながら――それにも増して悲しそうに云う。

「だったら弁丸は大きくなんてならないッ」
「弁丸さま…」
「どうしてお前は、いなくなるようなことを言うのだ?」

 徐々に泣き声になった仔虎が、しょんぼりと肩を落とす。狐もまた起き上がって彼を引き寄せると、ふるる、と仔虎は咽喉を鳴らしながら彼にしがみ付いた。

「佐助は俺の、大切な狐だ」
「ありがとう」

 まだお互いの身体の大きさは同じくらいだった。だが仔虎は知らなかった――狐と虎では、大きさも、力も、何もかも違うということを。
 そして狐は彼が大きくなったら、たぶん自分は支えきれなくなっていくことを気付いていた。小さな仔虎の力が強くなる、爪が硬くなる、そんな変化を楽しみながらも、【いつか】の日がこなければいいと思った。







 だけどその日は直ぐにやってきた。
 ただ遊んでいただけだった。昔のように甘噛みをして、じゃれて、気付いたら狐はぐったりと力を抜いて、腕の中に崩れ落ちた。

「――――…ッ」

 虎の仔は、自分の爪が、牙が、彼を傷つけたのだと気付いて、そして咆哮を上げて号泣した。ただ抱き締めたかった、甘えたかった、それだけだったのに、鋭い爪は彼の背を裂き、甘噛みした牙は彼の肉を抉った。







 瀕死になった狐に、ただ仔虎は泣き続けるばかりだった。大人たちは一様に、諦めろ、と云う。だが仔虎は諦め切れなかった。

「べん…まる、さま」
「佐助ッ」
「ああ…もう一度、弁丸さまの顔が見たいと思ってたの」

 ずっとねぐらで横になっていた狐が、鼻先を向けてくる。労りながら、肩を落として仔虎は後悔をその顔に染みこませていた。

「済まぬ、済まぬ…俺が」
「…大きくなったねぇ」
「――…ッ」

 罵られるかと思っていたのに、狐の口から出たのは、感心するような声だった。驚いて仔虎が瞳を瞬くと、狐は誇らしげに微笑む。どうしてそんな顔が出来るのか不思議でならなかった。

「俺は弁丸様に全て捧げた身だもの。これ以上の幸せはないもの。だから恨まない」
「佐助…ぇ」

 ぽろぽろと涙を零す仔虎に、狐は痛みを押して体を起こす。そして慰めるようにその涙を掬うと、丸い彼の耳に囁いた。

「好きだよ、弁丸さま」

 仔虎の首元に自分の首を擦りつけて触れる。柔らかい毛の感触が心地よくて、すりすりと何度も触れた。

「――ッ、一度でいいから抱き締めあいたかったな」
「同じ、獣なら…」

 ぽつ、と仔虎が大きな雫を瞳から落として云う。その言葉に狐は苦笑するだけだった。

「そうだよね、俺達同じ種族なら良かったね」

 そう言って狐は目を閉じて眠ってしまった。
とぼとぼと彼のねぐらから歩いていく弁丸の耳に、医師の声がかすかに聞こえてきた。佐助を診てくれた医師だった。

 ――谷あいにある黄色い花は、薬になる。

 それがどんな傷にも効くというので、弁丸はそのままこっそりと抜け出した。










 小耳に挟んだ薬草を探して谷あいに向う。何処にあるのかと、下ばかりを見て、とぼとぼと歩いた。一人歩きは殆どしたことがない。いつも狐が先導に立って、道を教えてくれた。

 ――あ。

 どれくらい来たのか、谷の頂から、下降する視界の最中に一面の花が見えた。其処に行くにはこの谷を下らねばならない。

 ――怖い。

 足元が揺るぎそうになる。だがそれでも狐のことを思うと、奮起して仔虎は谷を下り始めた。目指すのはあの花――あれを煎じて飲ませれば、きっと良くなる。
 そうしたら、また彼の笑顔が見れる。彼を傷つけるのならもう触れなくてもいい。ただ寒い夜に身を寄せ合うだけでいい。温もりが触れるだけで、それだけでいいから、側に居たい。

 ――がらら。

 足元が揺らいで、何度も落ちそうになった。それでも慎重に降りていった。だがあと少しと云うところで、突風が吹いた。

「――ッ」

 思わず身を硬くすると、次の瞬間、ふわり、と身体が浮いた。いや、足元の岩が崩れたのだ。

 ――あ。

 身体が落下する――そう気付いたのは、視界に青い空が見えたからだ。

「弁丸さま――…ッ」

 青い空の中から、ぼろぼろの身体が飛び込んできた。身軽な動きで谷をおり、そして自分の元に飛び込んでくる。

 ――……ッ

 彼の小さな手には自分は支えられないだろう。でも彼の小さくなった身体を支えることは自分には出来るかもしれない。
 仔虎は狐を抱き締めるようにして落下していった。










 何処も彼処も痛くて動かすことなんて出来なくなった。だけど目の前に瞼を閉じた仔虎が居て、引き摺るようにして彼の元に身体を寄せた。

「べ…――、……ま」

 周りに飛び散っている赤、その中に彼は居て、静かに瞼を閉じている。彼の鼻先に自分の鼻先を摺り寄せて、ぱたり、と身体の力を抜いた。
 護りたかった。
 この手が、腕が、こんなに非力でなかったら。

「――…ッ」

 彼を呼ぶ声すら、もう咽喉から出ることはなかった。でも彼の側に居られるのならいい。身を寄せて、そして仔狐もまた瞼を下ろしていくだけだった。











「夢の中で俺は虎でな、お前は狐だった」
「へぇ…」

 暗くなった寝所で、横になりながら幸村はそう語った。夜半に目覚めて、側にいる佐助に声をかけると、佐助もまた瞼を上げた。

「どんなにか願ったか。この腕に爪もなく、この口に牙もなければ、抱き合えるのにと」
「だったら今はそれが叶ったって訳だね」

 云うや否や佐助は腕を伸ばして幸村を引き寄せる。熱は当に収まったが、触れた温もりが心地よい。彼の胸元に引き寄せられて、甘えるようにすると唇に柔らかく吸いつかれる。

「ん…――ッ」

 漏れた吐息に、塗れた唇――それを指で拭ってから、幸村もまた佐助の背に腕を回した。

「だがこの世だ…この身に牙も爪もないが、我らは刃を持つ身。戦わねばならん」
「そうだねぇ」

 甘えるようにして佐助の胸元で擦り寄りながら云うと、佐助は腕枕をしながら、幸村の額に口付ける。その擽ったさに、じわりと温もりが伝わってきて、幸村は顔を起こした。

「だからこの安寧のひと時を」
「そうだね、旦那」

 刹那でもいい。触れ合えるのなら、いつか果てる身としても、こんな時くらいは幸福を得てもいいじゃないか。そんな想いを抱きながら、口付けを繰り返し体勢を入れ替えながら、幸村は佐助の上に乗り上げた。すると佐助は「仕方ない人」と言うと、そっと幸村の腰を引き寄せる。すると小さな――とても小さな声で佐助が呟いた。

「あんたはこの世でも、綺麗な虎だよ」
「え…?」
「こっちの事。ほら、溺れさせてあげる」

 云うや否や、ただ熱に翻弄されていく。触れ合える、語り合える、そんな相手を前にただ夜に溺れていくだけだった。

 ――あなたを傷つけない腕が欲しかった。ただそれだけ。








*Wパロ仕様

2010.09.11./120416up
[ダンディライオン]聴いて号泣しながら書いたお話